全体での基礎練習が終わった後は楽器ごとに分かれてパート練習になった。練習メニューは各楽器のパートリーダー次第。クラリネットパートは、一時間の個人練習を挟んでから曲の合わせをすることになった。
 個人練習の内容は自由。基礎練習をしてもいいし、曲をさらってもいい。でもほとんどのメンバーが曲の練習をしている。
 先週まとめて配られた十五曲分の譜面は、みんな練習が追いついていないみたいだった。譜読みが速い人はある程度吹けるようになっているのかもしれないけど、さすがに全ての曲が吹けるようになりました、とは言えない。

 せめてもう少し時間をくれるか、もうちょっとばらけて譜面を配ってくれればいいのに。
 そんな不満はあるけれど、言えるはずもない。
 選曲したのも、譜面を配るタイミングを決めるのも、全て外部講師でありプロの奏者である鯨井さんだから。どんな縁があるかは知らないけれど、なぜかプロのトロンボーン奏者の鯨井さんは、西館女子高校に無償で指揮をしに来てくれる。

 鯨井さんが指導してくれるようになってから、西女のコンクール成績は上がった。
 だから西女吹奏楽部の部員のほとんどは、鯨井さんを神様のように崇拝しているし、逆らったりもしない。鯨井さんから譜面を配られるのが遅くても何も言わない。毎年恒例だった定期演奏会が、急に他校との合同演奏会に変わったと聞かされても、何も言えない。
 西館女子高校吹奏楽部と、指揮者の鯨井さんはそういう関係性だ。

「鈴音、午後から相楽高校の人来るんだよね? 最初から合奏?」

 十二時まであと少し。フルートパートの沙優が私の元に質問にきた。すでに他のメンバーからももらった質問だったので、私は迷わず答える。

「お昼くらいにこっちに来るらしいから、ご飯食べながら顔合わせ。編成とか確認して軽く基礎練したら、鯨井さんが来る予定だよ」

 西館女子高校と合同演奏会をすることに決まったのは、県内で三本指に入る進学校、相楽高校の吹奏楽部。ちなみに相楽高校は男子校なので、合同演奏会が決まってからもかなり話し合いは難航していたらしい。
 男子が女子校に足を踏み入れるか。女子が男子校まで練習しに行くか。
 結局、他の部の練習の邪魔にならないようにすることを条件に、相楽の部員たちが西女まで通うことになった。西女の吹奏楽部の練習場所が、本校舎ではないことが大きな決め手になったらしい。いくら公式で決まった練習とはいえ、女子校の校舎内に男子高校生が足を踏み入れるのは、さすがに体面が良くないから。

 まだ相楽の吹奏楽部とは、顔合わせもしていない。何人くらいの編成なのか、それすらも知らされていない。
 今日の午後から本格的な練習が始動することになっているけれど、そもそも合同演奏会の話を聞いたのも先週譜面を配られたときだ。

 ほとんど準備する間もないまま練習初日を迎えてしまった。今日からどういう方針で進めていくのか、私も聞かされていないので、正直たくさん不安はあった。

「緊張しちゃうなぁ……」

 そう言いながらも、沙優の目は心なしかキラキラしている。この間フルートパートのメンバーたちが、「相楽の吹奏楽部にかっこいい人がいるんだって!」とはしゃいでいたのを私は思い出した。

 それってどんな意味の緊張なの? と言ってやりたい気持ちもあるけれど、そんなことを言っても仕方がない。キリキリとお腹に鈍い痛みを感じながら、そうだね、と私は曖昧に笑ってみせた。


 相楽高校吹奏楽部のメンバーが到着したのは十二時五分前だった。桜記念館の入り口のあたりがざわざわと騒がしくなり、練習中だったメンバーたちも少しずつ手を止め始める。
 他校の、しかも男子がやってきたのだから当然の反応かもしれない。部員たちはみんなそわそわしていて、残り五分の練習をまじめにやるとは思えなかった。

「鈴音、挨拶いくよ」

 部長の朱莉が私を呼びにきて、私はクラリネットを置いて立ち上がる。そしてクラリネットパートのリーダーである亜美に、「もうお昼にしちゃったら?」と私は声をかける。あからさまに朱莉が嫌そうな顔をしたけれど、集中していないのなら練習の意味がないと私は思ってしまう。
 クラリネットの練習する小部屋を離れた瞬間、朱莉の口から文句の言葉が飛び出した。

「なんで他のパートはまだ練習してるのにクラだけ切り上げようとしてるの? 変じゃない?」
「パートリーダーが決めることだし、そもそもあんなに浮き足立ってたら集中できないよ」
「そうかもしれないけど、形だけでもやらないと他の部員に示しがつかないじゃん!」

 あまり好きではない言葉がでてきて、私は思わず眉をひそめる。
 形だけの練習。そんなものになんの意味があるのだろう。

 それでも朱莉と言い争いはしたくなくて、私は曖昧に笑みを作って話を逸らす。

「相楽高校との挨拶って代表者同士?」
「うん。相楽の部員さんには一階の休憩室使ってもらってる。お昼食べながら顔合わせするけど、木管と金管のリーダーだけ先に挨拶しておこうと思って」

 朱莉の表情にはわずかな緊張の色が混ざっている。それはたぶん、私も。
 鈍い痛みを訴える下腹部をそっとさすって、私は小さなため息をこぼした。