柳は一見クールに見えるし、同級生の間では口数は少ない。それでも実際のところ、舞斗の前だけで多弁になるということは夏には分かっていた。
秋の3ヶ月で分かったことは。
舞斗への独占欲が強いということ。
乱暴とか横暴とかでは決してない、凜とした荒々しさで舞斗を独り占めしようとする。
俺ってやっぱり、…獲物?
「杉山先輩の好きな野菜って何?」
12月になったばかりの昼休み、部室で柳と弁当を食べていると舞斗の手元にあった弁当箱を覗き込みながら柳が尋ねてきた。
「ん〜。…三つ葉かな」
週に2日ほど、昼休みに部室に行く。
あとはいつも通り、教室で伊部と昼ご飯を食べる。だいたい黙って、互いの世界に深く潜りこんでいる。だけど意外に沈黙が心地よかったりもする、不思議な関係。
真逆に柳とは昼休み時間に弁当を食べ終えられないんじゃないかって思うくらい、全方位に話題が炸裂した会話をしている。
そんなとりとめのない言葉を互いに手渡しながら、ゆっくりと互いのデータを交換する時間が今は楽しい。
「で、おまえは?何が好きなの」
「パクチーかな」
「かぶせてきたじゃん。タイ料理好き?」
「うん。トムヤムクンとか。杉山先輩は辛いのイケる?」
「あんま食べないんだよなぁ。薄味が好き」
「三つ子の魂百まで。3歳まで京都だったよね」
「そうだけど。京料理は薄味なんかじゃない」
「そうなの?」
「淡い色だけど、ダシの風味と味がしっかりと染みた濃い味なんだ」
「ダシを語るね。杉山先輩のフェロモンの一部にはダシも含まれてるのかな」
「…おまえ何言ってんの?」
「男の潜在意識を刺激するフェロモン出してるじゃん」
「出してねぇわ」
「気付いてないだけ。それにやられると無意識に体が動いて先輩の首すじを噛んじゃう」
「……そうなるの、たぶんおまえだけだよ」
舞斗は柳の言葉に度肝を抜かれ、返事をする声が掠れた。
柳の思いも寄らない、柳本人が意図しない舞斗への渇望の表現に、舞斗はしばしば脱力させられる。
「無自覚すぎるんだよ。一線を越えるなって先輩のミッション。ハリィノネドコロで守るのに俺がどれだけ苦労したか知らないだろ」
「………」
たぶん舞斗は既に体温を高めていると思う。柳の言葉がストレートすぎる。
「京都行った時さ、アサギマダラの天井画見たでしょ」
「うん。すっごく良かった。柳、よく知ってたな」
小さな時に住んでいたという京都のことを、舞斗はほとんど知らない。
夏の京都への旅のプランは、隅から隅まで柳が一人でたてた。押しつけがましく、愛に溢れて。
「杉山先輩と畳で寝転んでアサギマダラを見た時間にもう一回戻りたい」
「ふはは!また行こ」
机に重ねて置いた両腕に顎を乗せて、舞斗を上目遣いに見上げて拗ねたように言った柳がなんだか可愛くて笑ってしまった。
「1,000㌔の長旅する渡り蝶ってすごいよな」
「俺と杉山先輩だけの時間だったのに」
「…ん?」
「伊部部長にも話をしてたって分かって、妬いた」
「…何をどう妬くんだよ」
「杉山先輩は伊部部長の言いたいことが分かるってこともモヤモヤする」
「あいつの通訳がいないとボランティア部は回んないだろ」
「それはそう。だから煩悶する」
「なぁおまえミッション中は難しい言葉使って大人だなって俺すごく感心するんだけど、俺のことになると子どもみたいになるよな?」
「…だったら?」
「そういうとこ。好き」
「……」
あ、初めて俺は柳に“ 好き ”って言葉を伝えたな。
舞斗がそう気付いた時、柳が食べかけのおにぎりを机に置いて静かに顔を寄せてきた。
舞斗は箸を持ったまま「いま卵焼き食べてンだけど」と一応申告する。
柳がにっこりと笑った。どーでもいいらしい。
唇を互いに寄せる、15秒。
「ほんとだ。薄味。たぶん出汁巻き」
「…だまれ!」
「ごちそうさまでした先輩のお母さん」
「やめろっての!」
部室で食べる昼休みは油断ならない。舞斗はこんな風に未だに時々ハリネズミ化してしまう。
トゲはもう、かなり柔らかい。
トゲの抜けたハリネズミは可愛くないんだろうか。
舞斗の思考は春から変わらず、精神年齢は低いままかもしれない。
校庭の樹木も葉を落とし、ブレザーだけでは凍える季節。
多くの生徒がマフラーや手袋をつけて木枯らしから身を守っている。
前までは全身の毛を逆立てることの多かった舞斗は怒りで体を温めていたのか冬の寒さは苦手じゃなかった。
でも今は、柳に精神面で丸裸にされた影響か気温差や外界の刺激に敏感になっている。
これはなんなんだろう。
寒い、心地よい、ちょっとこそばい。
こんな感覚を丁寧に感じられるようになってきている気がする。
噛まれて少し痛いのに、何故か嬉しい…とか。
「時枝前部長のコードネームのアルファベットは何なんですか」
放課後の部室でLが尋ねてきて舞斗は首を傾げた。
「あれ?知らない?」
「だって部長しかミッション出さないじゃないですか。部長自身のコードネームは出てこないし」
あ。そうだったかもしれない。
舞斗は底冷えのする教室に身震いしながら、石油ストーブに火を点けて暖を取る。
なんで今だに熱源が石油なんだ。
「Eだよ」
「あ!柳英二のエイジとかぶってる。だから柳くんがJになったんですね〜。納得」
Lが大きく頷いていると部室の扉が開き、Rが「お疲れ様〜ッス」と元気に入ってくる。
さらに賑やかになる予感。
「ルーシー。初代の部長と副部長がジョージとエミリーだったって話、聴いた?」
「聴いた!時枝元部長から昨日」
LとRの日常のマシンガントークが開始される。
「譲治さんと絵美里さんって名前だったらしいな」
「うん。確かに二人ともフツーに名前聞いたら欧米人みたい」
「そう呼び合ってるうちにボラ部のメンバーたちにも欧米風に名前呼ぶのが波及したっていう」
「コードネームで身バレ防ぐって、昭和ならではの危機管理だったのかな」
「いや、ガチに単なる遊びじゃね?それに昭和じゃなくて平成だろ。ボランティアって概念、昭和にはなさそうじゃん」
舞斗が石油ストーブを離れて換気のために窓を開けていると、そっと柳が部室に入ってきた。
柳は舞斗を見て、静かに口角を上げながら右手をそっと挙げる。
その「来たよ」の合図が舞斗にだけ向けられていることを、今ではもう分かるようになっている。
そんな仕草に、舞斗はいつも以上に今日は胸を締め付けられた。
「エミリーさん何歳かなぁ。どの時代であれ高校生にも遊び心、大切よねぇ」
「これがエミリーから毎年届くらしい」
Rの手には美しくオレンジ色に艶めく蜜柑がある。
珍しく柳はRとLの間に入ってきて、その蜜柑をRから受け取って嬉しそうにしている。
「ジェイも蜜柑好きなんだ。私も大好き。嬉しいッ」
「俺も好き。エミリーに御礼の手紙でも送る?1年生からの愛。ジェイは字が綺麗だから代表して書いてもらうか」
「ロジャーいいね!新時代のクラフトビールに挑戦してるカイザーキッチンビールと一緒に…なんてどう?」
「ルーシー、アイデアが大人だな。隠れて呑んでないよな?エミリーさんビール好きだったらいいな」
Rの言葉に柳が「ふふ」と笑ったので、LとRがさらに目を輝かせた。
「うん。今はエミリーさん瀬戸内海でしょ?目黒区の風を届けたら喜ぶかなぁって。うちの兄貴がカイザーキッチン好きなの」
その言葉を聞いて柳がさらに笑顔になる。
「…瀬戸内海か。いいな。次はしまなみ海道かとびしま海道に行ってみたいな。Мと」
柳が爆弾発言をした。
「「え?Мと?」」
「うん。Мと」
その柳の言葉を聞いてLとRが互いに顔を見合わせる。
「瑞希ちゃんボランティア部入るって、私、彼女から聞いたばかりなの。Мって瑞希ちゃん?」
舞斗がどう返答しようか逡巡していると、柳は平然と答えた。
「Мはもちろん杉山先輩だよ。コードネームは被らないようにするだろ」
「…だな。マット先輩とレッツエンジョイ瀬戸内海」
Rが大人な対応で柳の返事を受け入れたところでLが首を傾ける。
「あ、じゃあ瑞希ちゃんのコードネームのアルファベットは何なんですか」
また今日の会話の最初に戻ったみたいな、不思議なやり取りになってしまった。
「Zだよ。アルファベットは決まってる。コードネームを何にするか、今ケリーが1日頭を悩ましてる」
舞斗がそう言ったタイミングで、伊部が部室の扉を開けて呟いた。
「ザラかゼルダ」
今日の伊部は一言じゃない。
いつも単語だけ言い放つ伊部が珍しく迷っていると知った舞斗は、こんな些細なことだけで感激してしまう。
面倒見ざるを得ない同級生であり、自分の世界を広げてくれる貴重な唯一の友人であり、舞斗の柳への想いを的確に見抜いた超絶不思議人間である伊部の、迷い。
あのとき。
舞斗の柳への感情が「恋か愛」って言ってくれた時。
伊部なりに真剣に考えて、俺に言葉を手渡してくれてたんだ。
舞斗は、親友の自分への深い思いやりを理解する。
俺にも分からないよ、恋か愛かだなんて。
でも、いい。
分からないままで深めていくから。
でもって。
柳。また伊達眼鏡かけてくんないかな。



