「柳。おまえ何やってんの」
「ユマニチュード」
「は?」
「来週の高齢者施設の訪問ボランティアで必要でしょ」
「何が?」
「認知機能が落ちた高齢者には『見る』『話す』『触れる』ケアが大切だって」
「… だからって触るなよ」
「今から練習しておかないと」
「いや練習は一年同志でやれ」
柳が舞斗の肩に触れていた右手を掴んで、舞斗は乱暴に自分から引き剥がす。
ほら、平常心でいられる。
そう思いながら柳の後ろにいるLとRを指差した。
「三人で思う存分ユマニチュードケアを深めろ」
「赤松と白浜?あの二人は既にペアってるんだから、こっちもペアってたらいいんじゃない?」
「よくない。トリプルったらいいだろ」
赤松Lと白浜Rが舞斗と柳のやりとりを見て、目をぱちくりさせた。
LとRは出身中学もクラスも性別も違うのに息が合っている。
恋愛感情は抜きにして、親友同志という感じ。
舞斗が指差した瞬間に顔を上げるのも同時だったし、柳が“ ペアってる ”と言ったのを聴いて互いに向き合って目を合わせるタイミングも同じだった。
これがシンクロってやつ?
「マッド先輩、何がトリプルんですか?」
「杉山先輩。ジェイによくキレてますねぇ。可愛いッ」
「あ、ルーシー。柳のこともジェイって呼んでる」
「やっとね。なんで柳君がジェイで白浜君がロジャーなの?って疑問はあるけど、だんだん平気になってきたっていうか」
「俺はこのコードネームで呼び合うの好きだな。違う人格に切り替わるって感じ?」
「切り替える必要ある?」
「ルーシーは赤松理紗のままでいいよ。…そのままの理紗がいいんだ。…どうよ?別人格の俺」
「演劇部に入ったら?」
ぽんぽんと飛び交うLとRの会話を聞きながら、舞斗は2人の多弁さに感心する。
俺と伊部の会話を聴いてみたらいい。
禅問答か無言の行みたいだと呆れるんじゃないか。
舞斗がつい心を飛ばしてLとRに視線を向けていたら、頬に柳の手が触れる。
はっと我に返った舞斗が柳の手を振りほどこうと頬に手をやった時、小さな声が割り込んできた。
「イチャコラされているときにすみません…」
「わ!」
横を向くと小さな女子が舞斗と柳を見上げていた。
頬に張り付く意外に冷たい柳の手に自分の手を重ねたままの自分に気付いて、向かいにいる柳の目を見る。
目が合うと真面目な顔をしていた柳がふわりと笑ったので、舞斗は爪を立てて渾身の力を込めて左手で柳の右手を握り返してやった。
「いて」と呟いた柳に「ざまみろ」と言い放ち、舞斗はボランティア部の部室に紛れ込んできた左横にいる女子高生を見つめた。
小さすぎて中学生に見える。
多分、1年生なんだろう。
舞斗は交流関係が狭いので、同じ学年の女子の顔をほとんど知らない。目の前にいるのが同級生の可能性もあるわけだが、1年生だろうと思わせる物慣れない雰囲気を相手がまとっていた。
「誰?ってか…イチャついてないし!」
「え…ってきりそうかと」
「どこをどう見たらそう見えるの?ってか君の言い方昭和じゃない?ってそうじゃなくて何の用?」
舞斗は相手が緊張している様子なので、舞斗なりに優しいトーンに切り替える。
「1年生だよね?入部希望じゃないだろうし」
「ええっと。私の将来を…みてほしくて」
「ここは占いの館じゃないよ。水晶とか置いてあるように見える?」
「ええと!その視る…じゃなくて私の面倒を見て下さい。お願いします!」
小さな声で絞り出すように女子生徒が言葉を放つと、窓側の席で背中を向けて座っていた伊部がそっと立ち上がった。
伊部が舞斗の側に来る。
同じくらいの背の高さの伊部が舞斗の正面に来ると、前髪が少し揺れたタイミングで髪の隙間から普段は隠された瞳が一瞬だけ見えた。
部室の空気が揺れる。
「人には適度な気晴らしが必要な時もある」
「…それで?」
「それは品性のある気晴らしでなければならない」
「…それ、またモンテスキュー?」
「当たり」
「うっわ。当たった。で?」
「気晴らしに引き受けたらいい。LとR。おまえらメイン」
普段は舞斗と部長相手にしか言葉を出さない伊部が、初めてLとRに顔を向けた。
LとRが同時に息を呑む。
揺れた伊部の前髪の隙間から、もしかしたら舞斗しか知らないあいつの澄んだ瞳がチラ見できたのかもしれない。
「ケリー先輩ッ。俺たち初メイン!?やった」
「伊部先輩ッ。私たちに初声掛け♡やった」
大喜びしたLとRが小さな女子を抱え込むようにして部室の隅に誘導する。
早速インテークを始めた二人を見て、舞斗はひっそり笑った。
「次の部長は伊部先輩?」
真横にいた柳が小さな声で言ったので舞斗は驚いた。
「おまえもそう思った?」
実は舞斗も同じことを感じたんだった。
3年生が受験に専念しはじめる七月、次の学年にバトンタッチをする部活動が多い中でボランティア部は適当だ。
今でも時枝部長はマメに顔を出しているし、引き継ぎの話も出ていない。
それでも、2年生が二人しかいない中で1年生と会話するのは舞斗だけだったし、自分が部長をすることになるんだろうと思っていた。
でも、さっきの伊部の指示の出し方。
カッコよかった。
普段喋らないヤツが、迷いなく声出してさ。
あの小さな女子の迷子になってる心、キャッチしたから動いたんだろ。やるじゃん伊部。
あいつ、ミッション出すの適性あるかも。
そんな風に舞斗は一人で胸を震わせていたんだった。
「実は俺もまさにそう思ってた」
「意見合いますね」
「残念だけど、そうみたい」
「シンパシーってやつ?共鳴したんだ。俺たち付き合いますか?杉山先輩」
「…ッやめろ!そういうの」
睨みつけると、逆に柳に睨みつけられて舞斗はビビった。
「何で駄目なの。俺ふざけて言ってるんじゃないし」
「…え?」
「冗談でアプローチしてるとでも思った?」
「……違うの?」
「俺はいたって真面目です」
「真面目すぎるのが怖いっての」
「ロック画面の男、誰?」
「…は!?」
舞斗は柳の思いも寄らない質問に面食う。
「小学生くらいの杉山先輩と見つめ合ってる男」
「…おまえ。いつ見たんだよ」
心の中でL⇔Rの曲が自動再生される。
ふとした瞬間に
君のことを想うだろう
ブルーを撃ち抜いて
ヤバい。
…って俺スマホ、いつ置きっ放しにしてた?
「教育虐待事案で一緒に家庭訪問した日。杉山先輩がLRにオンライン中継した時に見えた」
「…あ。あの日な」
普段はスマホをカバンの中に入れっぱなしにしている。常にスマホを手にして周りが画面を覗きこむ、だなんてことは舞斗の日常にはない。
「で、あれ誰?」
「何でそんなこと気になるの」
「見つめあってさ。当時の年上の恋人?」
「…おい。俺は小学生だっての」
「彼氏じゃないんですか」
「誰とも付き合ったことねぇわ」
「甘いピンクの照明の前で微笑みあってたじゃん」
「一瞬のチラ見でどこまで記憶してんだ」
「男の眼鏡がSOLID BLUEシリーズ」
「え?…何それ?何で分かるんだよ」
「俺の眼鏡もそうだから」
「…」
「この人のこと話してもらうまで」
柳が高い背を屈めて舞斗の左耳に唇を寄せた。
「離さないから」
眼鏡をまだ掛けてない柳なのに、何故だ。
平常心でいられない。



