I could dream my life away
What would I care anyway
It′d be so fine
If you were my baby
とにかく!
俺のしたいように生きることを妄想できて
すんごくいいワケ
君が俺の恋人だったらね
メロンヌ先生のアオハルが歌詞の翻訳で爆発している。恒例の月曜日の授業で舞斗はそう思った。
I'd be walking ten feet tall
With your love, girl
Why should I worry at all
If you were my baby
空を歩いているみたいな夢見心地になるんだよ。
人生、何を心配することがあるんだ?
君が俺の恋人だったら無敵なんだからさ。
どうもメロンヌ先生のプライベートはかなり充実しているようだ。
メロンヌ先生がうきうきとした表情で、今日も黒板に歌詞を紡ぐ。
甘くてメロディアスなフレーズが休み明けの教室に優しく繰り返され、この授業の時間だけはクラスの皆がリラックスしているのが舞斗にも伝わってくる。
この甘い曲のような未来が、舞斗自身の人生に起こり得るなんて考えたことは、かつてなかった。
それが。
アオハル爆発と他人事みたいに思っていた舞斗にも、空を歩いているみたいな夢見心地な時間が来るだなんて。
3ヶ月前の自分には信じられないことだ。
3ヶ月前の己の記憶にハードボイルドに介入せよ。
こんな風に自分で自分にミッションを出すことも、最近は出てきてしまった。
いったいどこまで自分はボランティア部の裏活動にコミットしちゃってるんだ。
もはや…これは危ない性癖?
まだ大人しい黒髪だったころの自分。
殻を破る前の自分は結構トゲトゲしかった。
…って。
今もまだハリネズミしちゃってるけど。
振り返ると、舞斗は高校生になってから様々な植物の名前を新たに覚えている。
ハゴロモジャスミン。ユキヤナギ。イヌエンジュ。
同じボランティア部の同級生、伊部が教えてくるからだ。一方的に。前置きもなく。
舞斗は桜と薔薇とタンポポくらいしか知らなかったけれど、今は高校にある樹木や花壇の花をほとんど見分けられるようになっている。
あまり喋らない伊部がポツリと「スーパートレニアカタリーナ」と言うのを聞いて舞斗が立ち止まると、伊部が指差している先に紫色の小さな植物がある。
こんなふうに普段聴くことのない声で単語だけ発せられると、不思議にインパクトがあって心に留まる。
前髪で顔を隠した伊部が唐突に言葉を発するのは、他にも哲学者の名前だったり数式だったりと想定外の言葉もある。
どの言葉も伊部は抑揚なく淡々と言うけれど、それでも少しだけ感情が込められてるんじゃないかと舞斗が感じるのが伊部が植物の名前を言う瞬間だった。
(特技は植物のフリってなんだよ。普段から部室に同化してるのは認めるけどさ)
伊部との時間を積み重ねているうちに、舞斗の世界が広がってきたのが不思議だ。名前を知ることで樹木や草木と妙に仲良くなってしまったように感じたりして。
交友関係の小さな舞斗はボランティア部に入ったことで伊部を通じて視野が広がりはじめたと言ってもいい。
それでも舞斗の生き様を変えてしまったと言えるのは、ボランティア部には実は裏活動があった…ということにつきる。
コードネームで呼ばれるとミッション開始。
デートDVで悩む女子生徒を救うために現場に潜入したり、教育虐待で苦しむ生徒を救うために家庭に介入したりするハードボイルドな日々。それ以外は地味なボランティア活動という激しい落差。
舞斗は柳英二がミッション中に眼鏡をかけた姿に翻弄されるようになっている。
いつもは普通の真面目な後輩に見える柳が伊達眼鏡をかけた途端にカッティングエッジなイケメンに変身する姿に惹かれるのはどうやら舞斗だけのようで。
この案件だけ、未解決。
いったい何故なんだろう。
「杉山先輩。俺のことヤバい奴って前に言ったけど先輩もヤバいんじゃない?」
「どこが?」
舞斗は予想だにしなかった言葉を傍らの柳から投げかけられて驚いた。
普段は放課後の部活動の時に顔を合わせる日々だが、今日は昼休みの購買帰りにばったり会って柳に引きずられるようにして部室に来ていた。
仕方がないから、舞斗は大人しく部室の椅子に座ってサンドイッチを食べる。柳はおにぎりを手にして、会話の合間に器用に頬張っていた。
普段は何も喋らない伊部の横で、同じく静かにお弁当を食べるのが舞斗の日常だったから、こんなふうに会話を弾ませながら食べるのは新鮮…だなんて感じながら。
「黒髪から茶髪になったのに、生まれた時からこんな色でした、前は黒く染めてましたって感じの馴染み具合。それと髪質と色彩の調和がヤバい」
「え?そこ?」
人生初、髪を染めて栗色にした。結局、黒色にすぐに戻す計画は頓挫して、今も。
高校ではド派手にしない限りは注意されない校風だったけれど、舞斗はボランティア部の裏活動で必要に迫られなかったら一生カラーリングはしなかったかもしれない。
目立つのを極力避けたい性分だから。
でも、肌色も瞳の虹彩も色素が薄めの舞斗が髪を栗色にするとにわかに周囲の見る目が変わった。
柔らかい髪質にすぐに馴染んだ明るい色彩が、舞斗の存在自体もトーンアップさせたかのような変化。
長年地味に生きてきた舞斗だからこそわかる、視線の投げ掛けられ方の違い。
「そのヤバいって言葉は、褒め言葉だと解釈していいんだよな?」
柳が頷いたので舞斗は勢いよく続ける。
「俺がおまえをヤバいって言ったのは言葉そのまんまの意味。ふつ〜同性相手に頬骨のフォルムやまぶたの形が工芸品なみとかって発言しないだろって話」
先月に部室で柳がいきなり舞斗のまぶたに触れてきた時に言われた言葉を初めて再現した途端、舞斗は羞恥に襲われて体温を上げ、叫び出しそうになった。
あの時は二人の後ろに部室に同化した伊部が居て、舞斗が柳にそのうちに捕獲されるということを不思議ワードで予告してきてブチ切れたんだった。
さらには不思議なことに、その予言が当たったと言えるような言えないような。
柳が不服そうに長い脚を伸ばしてきて舞斗の上靴をギュッと踏んだ。
「やめろ」
子どもかよ。
柳は足を退けたかわりに舞斗の座っている席に自分の席を近付けてきて真横に座った。
「文化遺産なみとか言ったんだったら確かにヤバい奴かもしれないけど」
そう言いながら柳が長身を傾けて舞斗の顔を斜め下から見上げる。
舞斗は相手の視線が自分の頰からまぶた、額と移っていくのを感じて言葉を飲み込んだ。
柳は身体を起こしてゆっくりと言う。
「じゃあ逆に聞くけど。造形の美しいものを見て胸が震える感覚を他にどう表現したらいいの?」
「いやそういうこと言っちゃうとこがヤバいだろ」
舞斗は柳の言葉に脱力させられながらも素早く突っ込んだ。
からかっているのではなく、とことん真面目に誠実に問うてくる、その柳の真顔が怖い。
怖いついでに舞斗は昼休みが終わる前に疑問を柳にぶつけることにした。
「あとナチュラルに俺だけにたまに敬語省略するのなんで?」
「なんとなく」
そう言いながら柳が舞斗の頰に顔を寄せてこようとしたので「やめろ!」と全力で止めた。
「駄目なの?」
柳が不思議そうな顔をするので舞斗は混乱する。
…俺らは恋人同志でもなんでもないだろ?
「前は止めなかったのに」
「あれは!おまえが眼鏡かけてる間は…って言ったの!」
そうだった。
前のミッション後、柳にこう言ってしまったんだった。
― J。その眼鏡かけてる時だけ言うこと聞いてやる
その後に舞斗の頰やらまぶたやらに相手が熱を移してくるのを陶然と受けていた。
あれは麻薬に溺れたような時間だったと今さらに思う。いや、もちろん麻薬も煙草もアルコールも無縁な健全な人生だけど。
柳がミッション中に伊達眼鏡をつけているのを見ると舞斗はもう駄目だ。
格好良さが半端なく感じられて目眩のような恋心的な何かに翻弄される。
柳が眼鏡をかけている間は何をされてもいいと目を閉じてしまうくらいの多幸感。
自分の世界が作り変えられてしまい、触れていてほしいと祈るような気持ちになる。
今まで恋人同志としての交際を誰ともしたことのない舞斗は、経験値が足りなさすぎてよくわからない。
「好き」とかの言葉を介さずに人はこんな風に触れ合うものなのか。
お互いに好意があるかどうかを確かめたこともないのに。
なぜミッション後は、自分に柳が触れることを一時的に受け入れてしまうんだろう。
ミステリーだ。
うちのボランティア部でこの謎を解けそうなのが、超絶不思議人間の同級生の伊部だけってのもどうなんだろう。
俺の交友関係こそ、ハードボイルドに介入してもらわないといけないんじゃないか?
舞斗が捕獲されてしまった経緯。
記憶を辿るだけで、発熱しそう。
「何であの伊達眼鏡に俺だけ翻弄されるんだよ」
自分で自分に出したミッションで記憶に介入して舞斗なりに悩みぬいた上で、一人では解決できない事実にぶちあたった。
だから。
勇気を出してケリーもとい伊部に尋ねた。
答えはシンプル。
「恋か愛」
シンプルすぎるだろ。
恋とか愛とかって、どんなものなのか分かんない。眼鏡さえ取ってくれたら、フツーの柳からは見つめられようが触られようが平常心でいられる。だから、良かった。
… 良いのか?
なんでアイツは公衆の面前で、俺に触れてくるんだ?



