高校の花壇にあるハゴロモジャスミンが白い花を咲かせている。
一階にある部室の窓を開けると花の甘い香りがする放課後。平和な日とそうじゃない日の落差について舞斗は思索に耽る。
ボランティアというにはリスク高すぎるだろ、俺らの部活動。
そうは思うものの、舞斗はいつの間にか普通のボランティア活動では物足りない体になってしまっている自分が憎い。
( 蜘蛛の巣取るのが初日の活動って部活動としてどうなんだろな )
舞斗は目の前で折り紙を折っている1年生のRとLを見る。
Rは白浜亮介。
Lは赤松理紗。
今のところ、Jの柳英二を含めてボランティア部の新入生はこの三人。
月に1回、近隣の保育園と高齢者施設を訪問して園児や利用者と交流している。
園児たちと遊ぶ時のスキルを最大限に高めるのも大切な活動って。
地味すぎる。
舞斗は柳がまだ来ていないうちに疑問を解決させようと二人に尋ねた。
「眼鏡かけた柳。見たことある?」
手元に視線を落としていた二人が同時に舞斗を見て、それからRとLは互いに視線を合わせた。
「はい。蜘蛛の巣取る時ポケットから出して眼鏡つけてましたよ。なぁ?」
「うん。ボヤ騒ぎの後の片付けの時も眼鏡つけてたよね?消火器のピンクの泡だらけの理科室!泡部屋、ほんとやばかった〜」
そうRとLで頷きながら言い合って、また同時に舞斗に向き合う。
「眼鏡がどうしたンですか?」
あれおかしいな。
柳、眼鏡かけた途端に変わるだろ。
「えっと。それ見て何も思わなかった?」
「え?何が?」
そうやってまた二人が互いを見る。
舞斗はデートDVを尾行していた時の伊達眼鏡をかけた柳を思い出して、さらに疑問が深まった。眼鏡をかけた切れ長の目を見た瞬間に「どの分野でもカッティングエッジな男」というワードが脳裏に浮かんだけど、あれは何だったんだ。
部室の一番窓側の席でノートパソコンに向かって背を向けていた伊部が立ち上がって舞斗の横まで歩いてきた。
長い前髪で目を見せることがほとんどない伊部が立ったまま、座っている舞斗を見下ろして言う。
「学問ですら優美に洗練さをもって世に問われたもののほうに高い価値があるって言ってる」
唐突に不思議な言葉を放つ同級生の伊部に舞斗は慣れているけれど、おそらく初めて伊部の声を聴いたであろうRとLが石みたいに固まった。
「誰が」
「モンテスキュー」
「で?それが何」
「文章はあらゆる文体で書かれるべきだし部活動も優美にハードボイルドにキメるべき」
「ハードボイルドの定義は?」
「それはJが体現してる」
そう言って伊部が自分の首の後ろを右手で引っ張る仕草をした。
「首根っこホールドされてただろオマエ」
舞斗は体温をマッハ20の速度で上昇させる。しかし伊部の超絶不思議トークでは1年生に何も伝わらないのが救いだった。
「ああいう冷徹さを伊達眼鏡が引き出してんだろ」
それだけ言って伊部は窓側の定位置に戻っていった。
今日の伊部はコンディションがとてもいいんだろう。この会話のストロークは先月の発語の一ヶ月分。
「ケリー先輩喋ったな」
「伊部先輩の声ヤバいよね?もっと聴きたいッ」
RとLがまた同時に囁やきあっている声をつむじで受け止めながら、舞斗は手元の紺色折り紙でやっこさんを作るのに夢中になっているフリを装った。
柳に首筋を噛まれた時の一瞬の熱を思い出して顔が沸騰しそうになっていたから。
柳が部室に入ってきた。後ろから部長の時枝も続いて入ってくる。
時枝が声高に言った。
「MKRLJ」
その瞬間、舞斗の細胞が組み替わる。カチッと耳元で音がした気がして姿勢を正す。
「新しいミッション。六月中旬の土日空けておいて。次は3年男子宅に友人役でMとJが訪問。依頼は本人。テーマ教育虐待。親子関係が瀕死状態。俺の中学時代の同級生。そいつの同意得てONLINEで繋げるからLとR観ておいて。Kは何かあったら介入できるように近所で待機」
そう言った時枝の横をするっと抜けて、柳が舞斗の横の椅子に座った。
眼鏡をかけていない柳はどこにでもいる普通の高校生にしか見えない。賢そうではあるが地味で真面目な容貌。
舞斗はまだJになっていない柳の地味顔を見つめ続けていた自分に気付き、慌てて声を出した。
「なんで部長ばかりキャスティングボード握ってるんですか!また柳と俺が潜入?」
舞斗が怒ると時枝がニヤリと笑った。
「Jの介入する時の言葉の使い方が秀逸なんだよ。ちゃんと聴いておいて」
RとLが真面目に頷く。
Jの言葉の使い方?
伊部がさっき言っていた“ 優美にハードボイルドにキメる ”ってやつ?
「ケルベロス」
伊部が窓側の席で背中を向けたまま一言を放った。
それを聞いた時枝が「あ、そっか」と反応する。
「L。デートDVの被害女子のところに明日の放課後行ってきて。スマホにケルベロス的な追跡アプリが入ってないかチェック。mSpyとかTrackViewとか入ってたらアンインストールして。追跡アプリ巧妙に隠れてるから明日またレクする。じゃあ今日は解散」
時枝とRとLが帰った後も、柳英二は長い脚を投げ出して舞斗の横に座っていた。
机の上に出しっぱなしになっていた折り紙を見てパッと笑顔になった柳を見て舞斗は感心する。
いろんな表情ができるヤツだなこいつは。
柳が折り紙で何を作り出したのか見定めようと重ねた腕の上に顔を置いて眺めていたら、柳が舞斗のまぶたに右手の中指で触れてきたので驚いた。
「触んなよ」
ガバっと身を起こして舞斗が言うと柳は口角を上げて静かに答える。
「頬骨のフォルム。目を伏せた時のまぶたの形」
「…はい?」
「M工芸品なみ」
「…」
こいつヤバいヤツ?
身を固くしたタイミングで手元に置いていたスマホにメッセージが入った。
真後ろに居る伊部からだ。背中を向けながらの送信。
【 J言葉が優美 】
優美ってなんだよ。
「なぁおまえヤバいヤツ?」
舞斗は今度はきちんと言葉にして柳に問うた。
「そんなことない」
またメッセージが入る。
【 Jヤバい 】
スマホに視線を落とした舞斗が顔を上げると、柳が切れ長の目を細めて黙って笑っている。こいつの考えていることが読めない。
伊部からのメッセージがポコンと入った。
【 コヨーテは獲物を追うのに時間をかける 】
「は?」
【 ハリネズミが疲れはてた時に襲いかかる 】
「伊部ッやめろ!」
舞斗が立ち上がって窓側にいる背中に怒鳴りつけた。
毛を逆立てている自分の横で、静かに折り紙を折る長身の男。しかも笑顔で。
ハードボイルドな部活動は本当にハードだ。



