あいつ、後輩失格。
✓ 敬語使えない
✓ 勝手な行動に出る
✓ 俺より背が高い
✓ 可愛げがない
✓ 教えられることがない
( なんでもできやがるから )
春。
高校2年生になって一ヶ月。
杉山舞斗は月曜日の一時間目の英語の授業中、“ 自分が先輩失格 ”だなんて1㍉も考えず、新入生の粗さがしをしていた。
眼鏡取ったらイケメンってのはよくある。
だけど、眼鏡つけたらイケメンって。
どういうこと?
あの眼鏡、ドラ◯もんの道具!?
それとも、キ◯レツの発明品?
怒りで周りが見えなくなる時、舞斗は馬鹿な思考ループから抜け出せなくなる。
こういう精神状態が、自分をまったく成長させないということに気付いてはいても。
( いや、むしろ俺の精神年齢を後退させてるよな…)
Maybe my love will come back someday
Only Heaven knows
担任のメロンヌ先生がアオハル時代に好きだったという洋楽を流して、黒板に歌詞を書いている。
And maybe our hearts will find a way
Only Heaven knows
毎週、一曲ずつ新しい曲を紹介してくれる。
教科書とは別に10分くらい、そんな時間を積み重ねて歌詞を伝えながら文法の復習や省略した関係代名詞を説明したりして。
メロンヌ先生が熱く語りながらチョークで書く筆記体はとてもかっこいいと舞斗も思う。
さっきまでのトゲトゲしい黒色の怒りが、流れるような白字の筆記体を見ることで中和されてくる。
一時的に、毒が消える。
海に漂ったままのような心待ちで、舞斗はぼんやりと黒板を眺めて耳を澄ませた。
甘い声。
優しくて、切なくて。
オーストラリアのアーティストだというメロンヌ先生の言葉だけは舞斗の心まで届いた。
世の中には愛が溢れているらしいのに、どうして俺はこんなに怒ってるんだろう?
And all I can do is hope and pray
′Cause Heaven knows
舞斗はメロンヌ先生から配られたプリントを見た。
ちなみに担任は井上先生という名前だけど、発音がとてもネイティブ寄りでカッコいい。
メロンを発音した時にメロンヌと聴こえた!と一部の女子が目をハートにして騒いだことで井上先生についた仇名がメロンヌだった。
朝一番の気だるい物思いと共に、メロンヌ先生の書いた日本語和訳をゆっくりと目で追う。
― 僕にできることはただ祈り続けることだけだよ
だって空だけが知っていることなんだから
え。カッコよすぎじゃない?
メロンヌ先生はこうやって好きな人に音楽を通して言葉を手渡したんだろうか。
あの人も俺に、そうしようとして自分の好きなアーティストのアルバムを手渡してきたんだろうか。
舞斗は久しぶりに混乱する。
普段は体の深いところに隠していた疼きが一瞬で立ち昇って蘇る。
それを必死に押さえ込んで舞斗は耐えた。
愛のことは、俺にはよく分かんないよ。
「時枝先輩。なんで俺。あいつと組まされたんですか」
放課後、舞斗は部室に入るなり部長の側まで詰め寄って感情的に言った。
フードバンク団体のプロジェクトの一環に関わって、食品をダンボールに仕分けしていた時枝がきょとんとした顔で舞斗を見ながら体を起こした。
「なに杉山。昨日のこと?柳がどうした」
部長の時枝は、入部したばかりの1年生三人の中でJと呼ばれはじめた一人の男子生徒の名を挙げた。
もう一人の新入生男子はR。女子はL。
ボランティア部の部室には今やダンボールがところ狭しと並べられている。
そこをモーゼの十戒の海割りのようにかき分けて舞斗が近付いていったんだから、必死さは伝わっているはずだ。時枝には部長として真面目に対処してほしい。
いや、してほしいって言い方は弱い。
真面目に、早急に、部長が誠実に対処すべき案件。
「ミッションうまくいったんだろ?伊部から報告は受けてるよ。日曜日におつかれさん」
食品の仕分けと並行して企業や市民から寄せられた寄贈品を1世帯ごとに分ける作業は、月に1回はあるボランティア部の大切な活動だ。
舞斗も慣れたものでホワイトボードに貼られた一覧表を見ながら、指示されなくても仕分け作業の続きに合流した。
「伊部の報告に入ってました?あいつの勝手な行動!」
舞斗は手にしていたインスタント食品の容器を怒りで潰しそうになった。
「俺、小声でちゃんと制したのに!あの伊達眼鏡…常時曇りやがれ」
日曜日は部員三人でデートDVの現場に潜入した。庭園美術館に隣接する自然園。舞斗はデートする二人を追って初めて足を踏み入れた。
ボランティア部は時々なんでも屋のような有様になる。依頼が入ってきてしまうから。
舞斗は入部してから度肝を抜かれることばかり。依頼が入った途端に時枝から「ハードボイルドに介入せよ」と指示をされ、コードネームで呼ばれる。最初はバカバカしかったけれど、今では気持ちをカチッと切り替える合図のように馴染んでしまっているのだから慣れって怖い。
舞斗のコードネームはM。
もしくは“マッド”と呼ばれる。
1年生になったばかりのときは“ マット ”だったのに、舞斗がよく毛を逆立てるように怒るからという理由で“ マッド ”に変更されてしまった。
今回はMとJが実行部隊。つまり舞斗と柳で3年生カップルのデート尾行と音声録音。舞斗と2年間同じクラスのKもしくは“ ケリー ”と呼ばれている伊部圭吾が撮影係。
加害男子生徒を刺激しないようにしながら被害女子生徒を守る方法を探るため、状況を把握する必要があった。
依頼主は被害女子の親友。
« 彼氏が服装や髪型など細かく指示するの »
« LINEで即レスしないと怒られて… »
« 「別れたら死ぬ」って言われちゃった »
こんなことを被害女子から相談された時枝のクラスメイトの女子が、慌ててボランティア部に助けを求めてきたのが発端だった。
デートする場所はあらかじめ依頼主から聞いていた。
尾行するのに不自然にならないようにMとJも恋人同士のフリを…という指示が出て、舞斗はジェンダーレスファッションでキメた。
ゆったりしたシルエットのシャツを着てダークトーンのキャップを目深にかぶるとメンズっぽいスタイルを楽しんでいる女子に見える。こんなこと自慢にも何にもならないけど。
路傍植物園付近に咲いていた苺の花に似たイチリンソウやニリンソウ。
綺麗だなぁ。
舞斗は柳の横を歩きながら、任務を忘れて見惚れそうになった日曜日。
男子生徒が女子生徒に「位置情報を共有させろって」と迫って相手のスマホを奪った時、MとJはすぐ後ろの常緑樹の陰で身を寄せ合っていた。
「森の小道で俺たちが加害男子と目が合ったタイミングで柳がダンプリングバックからノート出して。俺慌てて『ミスリードすんなよ!待て!』って小声で言ったんですよ。なのにノート広げて相手に見せやがって」
舞斗は話しながらまたムカムカしてきた。
「柳が何かノートに書いてた?それ、伊部から聞いてなかった」
眉間に皺を寄せている舞斗をなだめるような仕草をしながら時枝が近付いてきて、優しい顔で見下ろしてくる。
「でっかい字で “ デートDVは犯罪 ” って」
「何それウケる」
時枝が盛大に笑った。
「いや刺激しちゃダメじゃん!小さな字で “場合によっては” ってカッコ書きで書いてたけど。相手がビビって彼女の手をひいて逃げてった。これで誤解して彼女にキレて暴力振るったりしないか心配で…」
舞斗が表情を曇らせると、時枝は明るい声できっぱりと言った。
「それで彼女が怪我すれば警察に相談しよ。暴行罪や傷害罪に該当する可能性出てくるから。いや俺、おまえが怒ってるの別のことだと勘違いしてたわ。恋人のフリしてる時に柳に抱きつかれて首の後ろ噛まれてたからさ」
その時枝の言葉を聞いて、舞斗は「は?」と一瞬固まる。
「なんで知ってんの部長!?」
舞斗の声が1オクターブ近く跳ね上がった。
「伊部が写真送ってきたんだよ。相手に密着してる瞬間のヤバい写真だなというのが第一印象。これが加害の男子生徒かと思いながらよく見たらJだった。ウケる」
「データ抹殺して…」
部長。何回ウケてんだよ。
森の小道で相手に近付きすぎたかなと舞斗が心配した刹那、柳に抱きすくめられて壁ドンならぬ常緑樹ドンをされた。
相手に尾行を悟られないようにラブシーンに持ち込んだなと納得したから身体の力を抜いてしまっていた。
多分、今までの人生の中で一番の不覚。
目を閉じて耳を澄ませて、真横にいる加害男子の言動に集中していた。
必要とあらば飛び出していく準備をしないと…。
そう思って舞斗が瞳を閉じたまま自分の中に降りていく感覚を味わっていたら首すじに熱い息がかかって。
…噛まれた。
その時の柳の行為が、舞斗には全く理解できない。
― 介入って外科手術くらい派手にやらないと。
立ち去った二人を静かに見送りながら柳が静かに言ったので舞斗は声が出せなかった。
― あいつらの関係を操作して変化させるには、これくらいの痛みが必要なんだ。
伊達眼鏡を外しながら真面目な顔で舞斗を見たので、数分前の出来事については何も取り扱えないまま帰宅したのだった。
「で、この写真に添付されてた伊部のテキストが傑作」
そう言って時枝が左手で笑った口元を押さえながら、右手のスマホを舞斗に見せてきた。
見たくないと思いながらも見ないわけにはいかない、ジレンマ。
舞斗は目を細めて、こわごわ画面を覗き込む。
【 コヨーテJハリネズミMヲ捕獲 】
「……」
舞斗は小さな声で「伊部おぼえてろ」と呟いた。
ダンボールの海のド真ん中で。



