なんとなく『DNA』という単語を検索したことがあった。平たく言えば、遺伝情報の物質的な実体らしい。その言葉の通り、わたしたち生物は、この世に生を受けることが決まったその瞬間から、DNAによって形作られている。
例えば、好き嫌いが多いところが父親に似てるだとか、兄弟姉妹と顔が似てるとか。それらが生物の中にあるDNAによるものだということは、言うまでもないだろう。もちろん、生まれてからの環境も大きく関係してくるが、大体のことはこのDNAによって決められてしまう。
そして、そのDNAが、人によっては一生自身を縛り付ける呪いになるということを、多くの人は実感しないまま死んでゆくことだろう。
例年よりも低い気温が続く三月の某日、わたしは現在進行形で、そのDNAという呪いに苦しんでいる。
これまでと何も変わらない日常。それが、わたしにとっては不快でしかない。
三月の浮ついた空気で満たされた箱に押し込まれ、わたしはいつも通りの惰性で授業を受け、放課後はさっさと家に帰る。
「星野さん、今日の弁論大会で賞状貰ってたやん! しかも優秀賞!」
辞書のせいで重たく感じるリュックを背負おうとした時だった。クラスメイトが声をかけてきた。斜向かいの席の西野紗英さんだった。さらさらの黒髪に、女子高生らしい、どこかに幼さを残した顔立ちの子だ。わたしは彼女を初めて見たとき、なんとなく日焼け止めとかポカリスエットのCMに出てきそうな雰囲気だな、と思った。
「賞状は本選に出た人ならみんなもらえるし、それに最優秀賞じゃなかったし」
弁論大会は、この高校の伝統行事のひとつだ。スクールポリシーの中にある、「自らの意見を主体的に表現する」という項目に基づいて行われる行事だと、校長先生が説明していた。
本選——全校生徒の前で発表をするのは六人。優秀賞はふたり選ばれるので、とくべつすごいというわけではない。
「いやいや、本選に出れるだけでもすごいのに、そのうえ上位二位の成績を残したんだよ? もっと誇った方がいいよ!」
そういうものだろうか。いまいちピンとこない。もしかしたらわたしは、面倒なタイプの完璧主義者なのかもしれない。
「もー、謙遜しちゃって!」と、自身の机に腰かけ、西野さんは茶目っ気たっぷりに言う。彼女は少しあざとすぎる気がする。
「まあ、謙遜するところが優等生っぽいよねえ‥‥‥よっ! 我が校一の優等生!」
西野さんは、そう言ってわたしを持ち上げた。
その言葉に、わたしの心がわずかにえぐられる。悟られないように、「そ、そうかもね」と返した。
「じゃあ、うちは部活あるけん、じゃね!」
流れるようなしぐさで手を振って、離れたところにいた同じ部活の友人と教室を出て行った。
それを見届けた後、わたしもさっさと教室を出た。鍵を職員室に戻すのが面倒なので、なるべく最後にはなりたくない。
三階分の階段を降りて、昇降口で靴を履き、外に出た。門をくぐって、校外へと飛び出す——前に、わたしはつと、足を止める。春特有の暖か何おいに混じって、微かに甘い匂いが鼻を掠めた。
ただ甘いのではなく、砂糖を焦がしたような焦げ臭さも混じった匂いだった。
この匂いがしたときは、だいたい近くに〝いる〟のだ。辺りを見渡していると、
「あっ」
三階の渡り廊下に、その姿をとらえた。
わたしは急いで昇降口に戻って、スリッパに履き替えた。
あの匂いは、まだ残っている。
例えば、好き嫌いが多いところが父親に似てるだとか、兄弟姉妹と顔が似てるとか。それらが生物の中にあるDNAによるものだということは、言うまでもないだろう。もちろん、生まれてからの環境も大きく関係してくるが、大体のことはこのDNAによって決められてしまう。
そして、そのDNAが、人によっては一生自身を縛り付ける呪いになるということを、多くの人は実感しないまま死んでゆくことだろう。
例年よりも低い気温が続く三月の某日、わたしは現在進行形で、そのDNAという呪いに苦しんでいる。
これまでと何も変わらない日常。それが、わたしにとっては不快でしかない。
三月の浮ついた空気で満たされた箱に押し込まれ、わたしはいつも通りの惰性で授業を受け、放課後はさっさと家に帰る。
「星野さん、今日の弁論大会で賞状貰ってたやん! しかも優秀賞!」
辞書のせいで重たく感じるリュックを背負おうとした時だった。クラスメイトが声をかけてきた。斜向かいの席の西野紗英さんだった。さらさらの黒髪に、女子高生らしい、どこかに幼さを残した顔立ちの子だ。わたしは彼女を初めて見たとき、なんとなく日焼け止めとかポカリスエットのCMに出てきそうな雰囲気だな、と思った。
「賞状は本選に出た人ならみんなもらえるし、それに最優秀賞じゃなかったし」
弁論大会は、この高校の伝統行事のひとつだ。スクールポリシーの中にある、「自らの意見を主体的に表現する」という項目に基づいて行われる行事だと、校長先生が説明していた。
本選——全校生徒の前で発表をするのは六人。優秀賞はふたり選ばれるので、とくべつすごいというわけではない。
「いやいや、本選に出れるだけでもすごいのに、そのうえ上位二位の成績を残したんだよ? もっと誇った方がいいよ!」
そういうものだろうか。いまいちピンとこない。もしかしたらわたしは、面倒なタイプの完璧主義者なのかもしれない。
「もー、謙遜しちゃって!」と、自身の机に腰かけ、西野さんは茶目っ気たっぷりに言う。彼女は少しあざとすぎる気がする。
「まあ、謙遜するところが優等生っぽいよねえ‥‥‥よっ! 我が校一の優等生!」
西野さんは、そう言ってわたしを持ち上げた。
その言葉に、わたしの心がわずかにえぐられる。悟られないように、「そ、そうかもね」と返した。
「じゃあ、うちは部活あるけん、じゃね!」
流れるようなしぐさで手を振って、離れたところにいた同じ部活の友人と教室を出て行った。
それを見届けた後、わたしもさっさと教室を出た。鍵を職員室に戻すのが面倒なので、なるべく最後にはなりたくない。
三階分の階段を降りて、昇降口で靴を履き、外に出た。門をくぐって、校外へと飛び出す——前に、わたしはつと、足を止める。春特有の暖か何おいに混じって、微かに甘い匂いが鼻を掠めた。
ただ甘いのではなく、砂糖を焦がしたような焦げ臭さも混じった匂いだった。
この匂いがしたときは、だいたい近くに〝いる〟のだ。辺りを見渡していると、
「あっ」
三階の渡り廊下に、その姿をとらえた。
わたしは急いで昇降口に戻って、スリッパに履き替えた。
あの匂いは、まだ残っている。



