こうして楽しかったオフ会は、予定を早めて終わることになった。セイさんはこの件を重く取ってくれ、タクヤさんと話してくれるとのことだった。状況によっては、事を公にすると。
 今回の一件はセイさんが責任持って対応するから、それまで公にしないで欲しいと頼まれた。タクヤさんの今後に間違いなく響くから、慎重に進めたいと。
「やっぱりすごいなセイさんは。私なら感情のまま配信でぶち撒けてしまっていたけどそれはタクヤさんの活動や仕事に響いて、下手したらこっちが難癖付けたと潰されていたかもしれないもんね」
 顔を見合わせて苦笑いを浮かべた私達は、東京湾に反射してキラキラと輝く太陽の光を眺めていた。
 歌い手。ボカロP。今の流行りであり、キラキラしたものだと思われる界隈。だけど勿論それだけではなく有名になりたいと思っている人に甘い声をかけ、時に権力を利用して脅してくることもある怖い世界。
 海に映る太陽は綺麗だけど、直接太陽を直視すれば目を痛める。もしかしたらそれと同じで、映像を通して見る視聴者の立場が一番いいのかもしれない。
 だけど私達は目を痛めても太陽を直視して、光の元に行こうと火傷も厭わず近付いていく。素敵な楽曲を作りたいから、誰かに響く歌を届けたいから。音楽を心から愛しているから。そこには挫折や、身を焼かれるほどの痛みを伴っても。
「真面目くんは、どうして歌い手になったの?」
 一ミリも興味なかったはずなのに、気になった。
 音楽を愛しているのは分かるけど、歌い手になって配信なんてしなくてもいくらでも関わり方などあるだろうに。身バレのリスクを冒してまでどうして?
「剛力さんは、俺のことどう思います?」
 こちらに目をやった真面目くんの目元には、光る眼鏡。クラスに居る時は教科書を開き、授業をしっかり受けて先生に当てられてもしっかり答えて、常に学年一位。そんな人を一言で言うなら。
「真面目くん、かな?」
 そう口にした途端、一瞬変わった表情。それを見逃さなかった。
「……ごめん」
「え?」
「泣きそうな顔した」
「いや。そんなことが言いたかったのではなくて! すみません」
 また互いに逸らした目は、押しては引いていく波をただ見つめていた。

「……そう、俺は真面目。それしか取り柄がないからです。気付いたのは、小学校高学年の時。周りは運動会で一位獲ったり、クラスのリーダーだったり、書道や工作の芸術を開花させているのに、俺は何も出来ない。鈍臭くて運動会もマラソン大会もビリだし、クラスをまとめる力なんてないし、ムードメーカーになることも出来ない。唯一出来ることは、何ごとにも真面目に向き合うだけ。勉強をして百点を取り、クラス委員なども断らず、嫌なこと言われても言い返さずひたすらに勉強を続ければ気付けば中学生になり、学年一位になっていました。もう引き返せないところまで。周りは俺を勉強好きの真面目だと思っているし、両親や先生は俺は優等生だから将来安泰だと期待してくるし、少しでも手を抜けば勉強は分からなくなる。だから予習をして基礎知識を入れて授業を聞き、宿題だけでなく今日習ったことの復習を繰り返してなんとか学年一位をキープしました。地頭が良いとか言われますけど、それは一回話を聞いただけで覚えて学べて理解が出来る人のことを指します。俺は努力している凡人。元々地頭が良いなんて、お門違いです。それを理解してもらえず僻まれ、調子に乗ってると陰口を叩かれ、反論をすれば冗談も流せない真面目だと笑われる。だから俺は目立たないように背中を丸めて歩き、真面目だとバカにされても否定せず、求められる虚像を演じてきました」
 浜辺でくちばしをツンツンとしていた白黒の鳥たちが、一斉にバサバサと飛び立っていく。その姿を眺めていた彼の目が細まったのは、太陽の光が眩しかったせいではないだろう。
 
「そうしていくうちに、本当の自分が分からなくなりました。親や先生の期待に応えないといけない、常に一位でいないといけない。真面目だと持て囃されて、やって当然。やらなければ、結果を出さなければ、良い気になってると勝手なことを言われる。そんな中学時代でした。テストが近付くにつれ眠れなくなって、食べ物が喉を通らなくなっていって、息が苦しくなって。その時にAkiraさんの投稿を見ました。『ぶっ壊せ! くだらねぇ、価値観を!』、『その拳は何のために付いてある!』、『その幻影に惑わされるな』、『余計な言葉はノーサンキュー。あんたの物差しで測んなよ』『冗談にマジになるなよ? いやいや、こっちが怒ってる時点で冗談じゃないんですけど?』。それらの書き込みが言い表せなかった苦しみを言語化してくれて、俺の中で消化していきました。確かにみんなが俺に関心あるわけないし、無責任な言葉にいちいち傷付いてバカみたいだし、優等生じゃないといけないと決めたのは俺の価値観。そんなもの、いつでもぶっ壊していいやって。その拳は何の為にある? 本当、そうなんですよね? そう思ったら急に楽になって、もう少し頑張ろうかなって。気付いたら小遣いで貸しスタジオに行って、収録からの配信。歌い手になってました! ずっとやってみたかったんですけど、俺のイメージと違うだろっていつの間にか偏見物差しで自分を測っていて。だからくだらねー価値観を、ぶっ壊してやりました!」
 握り締められた拳に、緩んだ口元に浮かぶ左右のえくぼ。
 え? えくぼ、あったの? 普段より無表情過ぎて、全然知らなかった。
 その握り締めた拳がカッコよくて、へこんだ頬がやたら可愛くて。喉がカラっからになった私は、コイツが買ってくれたペットボトルのサイダーをカブのみする。
 カッコいいか可愛いか、どっちかにしてよ! 二つのギャップを見せつけられた方は、たまったもんじゃないわ!

「軽く挑戦して成功しちゃいましたみたいな言い方してるけど、そんな簡単じゃないでしょう? 睡眠時間削ったんじゃないの? 肺活量を鍛える為に、走り込んだんじゃないの? 喉が切れるぐらい、練習したんじゃないの?」
「……え? あ、まあ……」
 ははって笑って見せるコイツ。努力は隠すタイプか。カッコいいじゃん、真部 勉!
 ……ん? あれ? 真部 勉。ツトム……。もしかして!

「アンタもしかして、私のSNSにコメントくれていたムトツさん?」
「あー。……はい。歌い手とは別アカでもう一つ持っていて、俺名前が勉だから反対読みでムトツにしていました」
 眉を下げ頭に手を置く姿から、わざと隠していたなーとよく分かる。何なのコイツ、生意気なんだけど?

「私、アンタのコメントも反映させて歌詞作ったの。……バッカじゃないの! 何で言ってくれなかったの! バカバカ!」
「すみません。俺が大和だと知って剛力さんガッカリしていたようだったので……」
 あ……。
 私コイツが大和さんだと知った時、どんな顔をしていたのだろう? きっと目を逸らして、目の光を失くして、唇をグッと噛み締めていただろう。
 ……私のせいだったんじゃん。
「ごめん」
「いえ。……当然の反応だと思うので……」
 ははっと眉を下げる姿が、どこか痛々しかった。