……好き?
 彼が、自分を?
 バスの座席に何とか座り、彰史は頭を抱える。
 わけが、わからなかった。言われて……どきどきもした。胸がむずむずも。
 でも、それ以上に思ってしまう。
……時任くんが好きなのは、本当に、俺?
 彼は、悩みを消してくれた人がいた、と言った。
 それが暁史だとも。でも暁史にはその覚えがない。一番あり得るのは彼が誰かと勘違いしている可能性だ。
 だが。
――だから、俺、お前のことがずっと好きだったんだ。
 気を抜くとすぐ蘇ってきてしまう彼の声。
 勘違いだとするなら……あの声は自分がもらってはいけないものになるのではないだろうか。この世界のどこかにあの声を受け取るべき人が別にいて、彼は間違った相手に発信を続けているのかもしれない。
 結局悶々としたまま、土曜が終わり日曜が終わり、月曜になってしまった。
 上の空のまま授業を受け続け、気が付いたら昼休憩になっていた。
「たーが」
 ぽん、と背中を叩かれ、どくん、と心臓が跳ねた。見ると、ずっと頭にこびりついて離れないでいる彼が後ろの席からこちらに身を乗り出していた。
「ぼーっとして。全然授業聞いてなかったろ」
 朗らかに笑う紅の顔にはバス停での出来事は微塵も滲んでいない。能天気なその顔を見ていたら……無性にイライラしてきた。
……人の気も知らないで。
「俺、トイレ」
 言い捨て立ち上がる。休憩中の校内はどこもざわざわと人声が波紋のように広がっていて心をざわつかせる。どこでもいい、とにかく紅のいないところへ行こう、と足を早めた暁史だったが、特別棟に入り、図書室へと向かう階段の途中で、くい、と背後から腕を掴まれた。
「なにか、怒ってる?」
 こちらを見上げてきたのは、やはり紅だった。
「怒ってないよ」
「ぴりぴりしてる感じがすごくするけど」
「してない。勝手に決めつけるな」
 大体、誰のせいでこんな顔になっていると思っているのだ。あんなことを急に言ってきたくせにあまりにも普通過ぎないか?
 苛立ちのまま彼の腕を振り払おうとすると、くっと腕に絡んだ指に力が籠った。
「怒ってるの、土曜日の告白のせい?」
 一気に顔が赤くなった。遮二無二腕を振って彼の手を解こうとしたが、細いくせに力が強くて解けない。
「そんなに嫌だったってこと?」
 放せよ、と言いかけた声をすり抜けて囁き声が耳を掠める。不安定に揺れるその声を耳にして思わず暁史は、違う、と首を振りかけたが、踏みとどまった。
 嫌じゃないと意思表示してはいけない気がした。
 だって、そう言ってしまったら、それは、受け止めていい、だと思われてしまわないか?
……それは……駄目だ。
……だって俺は。
「時任くんを救ったっていうの、俺じゃないから」
 彼の手に握られた腕がじりりと熱くなった。そろそろと彼の手から腕を取り返そうとしながら、暁史は続ける。
「俺は時任くんのこと、覚えてない。好きってそれは……俺に言うべきじゃ、ない」
 彼はどんな顔をしているのだろう。見るのが怖かった。だが、予想外に聞こえてきたのは、ふふ、と笑う彼の声だった。
「そんなことか」
「そんなこと? いや、人違いなんだよ? 時任くんは……」
「人違いじゃないよ。っていうか、多賀が覚えてないのは当たり前。俺たちは別に知り合いじゃなかった。中学のときから俺が一方的に想ってて、高校で再会した。ただそれだけ」
 淡々と言う声に嘘の臭いはなかった。けれど混乱は収まらなかった。
「それ、話したこともないってこと、だよね。それでなんで救われたとかになるの?」
「聞きたい?」
 挑むような目がこちらを見上げてくる。そういえば、初めて美術の時間で向かい合ったときも思った。この人は迂闊に深く知ろうとするととんでもないものが出てきてしまうのではないか、と。その感覚が確信となってひりひりと背筋を這いあがってくる。
 中途半端な気持ちで聞かないほうがいいんじゃないか、とも思った。
 その迷いを読み取ったように彼は言った。
「聞いたら、俺は待てなくなる。今すぐ向き合ってもらいたいって思ってしまう。それでも?」
「向き合う……?」
「俺の告白に」
 まっすぐに彼がこちらを見上げてくる。いつも浮かべられている笑みはそこにはなかった。いや、それだけではなかった。
 少し唇が震えていた。
 その震えを見ていたら、やっぱりいい、などと言えなかった。
 言ってはいけないと思った。
「わかった。ちゃんと、考える」
 ふっと目の前で彼の肩が緩む。小さく肩が上下する。ぐいぐいいろいろ言うくせに細い肩だな、と思ってしまった自分が恥ずかしくて彰史はそっと目を逸らした。