凛花たちと話した放課後、私は多賀くんを呼び出した。
 あの日の返事をするためだ。
 ずっと、保留にしていたけれど、今日なら、ちゃんと返事ができる気がした。

「相馬」

 誰もいない空き教室で待っていると、多賀くんが静かにドアを開けた。
 話の内容を察しているのか、多賀くんはあの日のように緊張している。
 そんなふうにされると、緊張が移ってくるから、やめてほしい。
 ゆっくり深呼吸をして、心を落ち着かせる。

「……告白の返事、なんだけど……」
「……うん」

 私の言葉に、十分な間を置いて、多賀くんは応えた。
 こんなにも無言の時間を作りながら会話したことが、今までにあっただろうか。
 でも、それくらい考えて言葉を発しないと、私は全てを間違えてしまう気がしていた。

「多賀くんとは、付き合えない。……ごめん」

 多賀くんは、すぐには応えなかった。
 私から言葉を急かすこともできなくて、静寂が私たちを支配する。
 その間、多賀くんの顔も見れず、私はただ、多賀くんの足元を見つめていた。

「……そっか」

 多賀くんの返事はシンプルだった。
 顔を上げると、多賀くんは笑っていた。
 でも、その表情が、無理して作られた笑顔にしか見えなくて、私はますます、視線を落とした。
 それを見てしまうと、私はきっと、素直な言葉を述べることができなくなる。

「……友達には、戻れないよな」

 私は言葉に迷った。
 ここで、言ってみようか。
 そのほうが、誠実だろうし。
 でも、多賀くんが受け入れてくれるだろうか。
 凛花に打ち明けることすら、抵抗があったのに。
 ……いや、言おう。
 どんな反応をされても、私にはもう、味方がいるのだから。

「そう、だね……私は、誰かから恋愛感情を向けられていることが、たぶん耐えられないから……」

 多賀くんは、なにを言っているのかわからない、という目をしている。
 まあ、これが普通の反応だろう。

「……私ね、無性愛者なんだ。誰にも恋しない、ちょっと普通から外れちゃった人、みたいな……」

 言ってから、それが自虐的な言い回しになってしまったような気がした。
 そのせいか、多賀くんの表情には混乱が見える。
 こんな断り方をして、申し訳ないとは思っている。
 今までに聞いたことのない理由で断っているし、無理もないと思う。
 だけど、私はもう、私を偽ることをやめたから。
 これが私の、普通だから。

「……そっか、わかった。じゃあ、いつか。俺が相馬への想いを思い出にできたら、そのときまた、友達になってよ」

 多賀くんがつらそうに笑うから、胸が締め付けられる。

「いいの……?」

 そんな、私に都合のよすぎる約束。
 多賀くんに申し訳ないとわかっているのに、嬉しいと思ってしまう私がいた。

「いいもなにも、俺が提案したんだよ?」

 多賀くんは、優しい人だ。
 だからこそ、多賀くんの気持ちに応えられなくて、苦しさが増していく。
 でもきっと、ここで「ごめん」って言うのは、違う。

「……ありがとう」

 そんな私の返事を聞くと、多賀くんは柔らかい笑みを返してくれた。
 多賀くんが先に帰ったことで、独りになる。
 押しつぶされそうな緊張感から解放されたからか、私は大きく息を吐き出した。
 お疲れ様。
 自分にそんな言葉をかけながら、私も空き教室を後にする。
 その足で、Seaser Glassに向かった。
 今日は、マキさんにたくさん話を聞いてもらいたい。
 話したいことが、たくさんあるんだ。

「いらっしゃい、ユズちゃん」

 シーザーグラスのドアを開ければ、マキさんがいつも通りに出迎えてくれる。
 少し前までは、ここに来ることが非日常だったのに、いつの間にか、私の日常の一部に溶け込んでいた。
 私は本当に、素敵な出会いをした。
 そんなことを思いながら、店に入っていく。

「今日はなににする?」
「そうだな……ミルクティーをお願いします」

 それからミルクティーが届くと、私はそれを口にした。
 どんな飲み物でも、優しく身体に染み込んでいくのだから、不思議だ。
 そして私は、今日あった出来事をマキさんに話した。
 浅木くんとも和解したこと。
 凛花が嬉しいことをたくさん言ってくれたこと。
 そして、多賀くんにありのままの私を打ち明けられたこと。
 私の拙い説明では、伝わらない部分もあったと思う。
 それでも、マキさんは優しい相槌を打ちながら、話を聞いてくれた。

「ユズちゃんを見てたら、このお店を始めてよかったって、改めて思っちゃった」

 すべてを話終えると、マキさんは嬉しそうに言った。
 その言葉を聞いて、ふと思い出した。

「そういえば……Seaser Glassって、どういう意味なんですか? ネットで調べても、Seaserって出てこなくて」

 すると、マキさんは照れくさそうに笑った。

「それね、造語なの。私、シーグラスをシーザーグラスって勘違いしてて」
「え、そうなんですか?」

 可愛い勘違いに、思わず笑ってしまう。

「でもそれなら、シーグラスでよかったんじゃ……」
「うーん……Ceaseって単語があってね? 止まるって意味なの。そこにerをつけて、止まる人、立ち止まる場所って意味にしたら?って、仁が提案してくれて。それなら、CをSにして、シーグラスの意味も込めようって、このお店の名前を決めたの」

 知らない言葉の意味を知ると、ますますここが好きだと思った。
 なんて素敵な意味なんだろう。
 本当に、マキさんの想いがこもってる。

「ここが、心を休すめる場所になってくれたら。今は尖っていても、シーグラスのように、時間が経って綺麗な世界になってくれたら。そう、願ってるんだ」

 その願いは、もう叶っている気がした。
 今ここにいる人たちの穏やかな表情、楽しそうな声を聞いていれば、答えは見えてくる。
 もっとここにいたい。
 そう思うのは、マキさんの優しい願いが込められているからだろう。

「マキさん、今日はたくさん話を聞いてくれて、ありがとうございました」
「いいえ」

 ミルクティーを飲みほすと、私は席を立った。
 もう、初めてここを訪れたときの暗い私はいない。
 こんなにも心が軽いのは、いつぶりだろう。

「ユズちゃん、いってらっしゃい」

 店を出るとき、マキさんにそう呼び止められた。
 この声かけをされたのは、初めてで、一瞬戸惑った。
 でも、不思議と嫌じゃない。

「行ってきます」

 そして私は、私の普通の世界に一歩踏み出した。
 私が私でいられる、素敵な世界に。