家についてからも気分が晴れなることはなく、延々と葛西のことを考えていた。夕飯は大好きなオムライスだったけど、あまり美味しいとは感じない。食欲がなくて、半分残してしまった。
 母さんからは「具合が悪いんじゃ」と心配されたから、放課後に買い食いしたと嘘をついた。すると今度は長々とお説教をされる羽目に。嘘なんて吐くんじゃなかった。

 部屋に戻ってベッドに倒れこんでも、葛西のことばかり考えてしまう。このままではどんどん闇に飲まれてしまいそうだ。気を紛らわせるためにも、コンビニに行ってアイスでも買ってくることにした。
 母さんにコンビニに行くと伝えると、「ちゃんと夕飯を食べないからお腹が空くんじゃない~」とお説教が始まりかけたから、急いでリビングから退散した。

 どうにか家を抜け出して、マンションのエントランスを出る。冷たい風が肺の中まで入り込むと、ぶるりと身体が震えた。慌てていたから、スウェットのまま出て来てしまった。パーカーくらい羽織っておけば良かったと後悔しながら、小さく溜息をついた。
 コンビニまでの道のりをのんびり歩く。ふと空を見上げると、夜空に満月が浮かんでいることに気付いた。

「そういえば今日は、中秋の名月だっけ……」

 朝のニュースでそんなことを言っていた気がする。月の影を見ながら、うさぎの姿を探してみた。あれが耳で、あれが臼で、なんて探しながら歩いていると、電柱にぶつかりそうになった。
 こんな姿を葛西に見られたら、きっと笑われてしまうだろう。肩を震わせながら笑う葛西の姿を想像したものの、すぐに虚しくなった。
 もう、葛西は俺とは話してくれない。俺にだけ見せてくれた笑顔も見られなくなるかもしれない。そう考えると、胸がぎゅうぎゅうと締め付けられた。
 またしても葛西のことを考えてしまった。もう、終わったことなんだから切り替えないといけないのに。葛西が俺に構ったのだって、ほんの気まぐれだ。友達かどうかもあやふやだったのだから、ずっと一緒にいられるわけじゃない。

 葛西のことを考えていると、じわじわと視界が滲んでいく。こんなことで泣くなんて馬鹿みたいだ。涙が零れないように、上を向いた。すると、月にいるうさぎと目があったような気がした。
 深く息をついてから、ポケットからスマホを取り出す。せっかくの中秋の名月だし、撮っておくか。
 スマホでは、月の模様までは上手く映らない。肉眼では大きく見える月も、スマホの画角に収めると豆粒のようになってしまった。画質が落ちるのを覚悟して月をアップにしながら、シャッターを押す。

 ――カシャ

 あんまり綺麗には撮れていないけど、雰囲気は伝わるはずだ。俺は慣れた手つきでインスタを開いた。そこであることに気付く。

「フォロワーが減ってる?」

 もともとフォロワーが少ないから、増減すればすぐに分かる。昨日までは31だったフォロワー数が30になっていた。誰かにフォローを外されたようだ。
 こういうことはよくある。いちいち気にしたって仕方がない。それでも、一度は繋がっていた縁が切れてしまうのは切なかった。フォロワー一覧を眺めていると、ある人物の名前がないことに気付く。

「saikaさんがいない」

 昨日まではフォロワー一覧にいたsaikaさんがいなくなっていた。そこで、フォローを外したのはsaikaさんだと気付いてしまった。
 そういえば、昨日は投稿をサボってしまった。葛西のことで頭がいっぱいになって、写真のことが頭からすっぽり抜け落ちていたからだ。もしかしたら、そのせいかもしれない。投稿をサボってしまったから、見放されてしまったんだ。繋がっていた糸が急に切られてしまったような気がして、苦しくなった。

 これも仕方のないことだ。離れて行ってしまった人の心を、呼び戻すことなんてできない。俺には、ずっと繋がっていたいと思えるほどの魅力がないのだから。
 思い返してみれば、俺は昔からそうだ。誰かを惹きつけておけるほどの魅力がない。平凡で退屈だから、いつか飽きられてしまう。
 これまでの友人関係もそうだった。同じクラスにいる時はそれなりに仲が良くても、クラスが離れてしまったら疎遠になる。だから親友と呼べるような相手はいなかった。
 葛西だってそうだ。興味を持ってくれたけど、あっさりと離れていってしまった。

 葛西と過ごした日々を振り返る。変な奴だと思うことは多々あったけど、一緒にいる時間は楽しかった。俺だけに笑いかけてくれるのも嬉しかった。
 もう、一緒に帰ってくれないのかな? カフェにも行ってくれないのかな? せっかく仲良くなれたと思ったのに……。
 葛西のことを思い出すと、再び視界が滲んでくる。今までは友人と疎遠になっても、仕方ないと割り切ってきた。だけど、葛西のことはどうにも割り切れない。こんな風に思っているということは、俺も葛西のこと……。

 この感情の正体に気付きかけると、余計に胸が苦しくなった。瞳の奥に溜まった熱が零れ落ちないように、必死に歯を食いしばる。それでも堪えきれなくて、ぽろりと零れ落ちてしまった
 スウェットの袖で涙を拭ってから、スマホを開く。もう、意味のないことかもしれないと思いつつも、撮影した月の写真をインスタに投稿した。

[寂しい #キリトリセカイ]

 感情を吐き出してちょっとすっきりしたものの、時間が経つにつれて羞恥心が込み上げてくる。

「なんかこれ、メンヘラみたいじゃん」

 月の写真はまだいい。だけどそこに『寂しい』なんて添えてしまったことに激しく後悔した。こんな投稿を見られたら、またフォロワーが減りそうだ。

「削除、削除」

 投稿して一分で削除する。きっとまだ誰にも見られていないはずだ。
 顔が熱くなっているのを感じながら、深々と溜息をつく。本当に俺は、何をやっているんだ。自分に飽きれていると、握っていたスマホが振動した。

「え? ライン通話?」

 驚きながらも、通話ボタンをタップする。画面を見ずに出てしまったが、声を聞けば相手が誰なのかすぐに分かった。

「熊谷、いまどこ?」

 葛西だ。胸の奥がくすぐられたような感覚になる。声を聞いているだけなのに、また泣きそうだ。とはいえ、そんなことを悟られるわけにはいかない。

「外だけど」

 素っ気なく返事をすると、間髪入れずに追求される。

「外ってどこ?」
「え……うちのマンションの近く」
「熊谷んち知らないんだけど」
「あー、えっと、パンダ公園の近くって言えば分かる?」

 数秒の間が空く。もしかしたら、パンダ公園の場所を検索しているのかもしれない。返答を待っていると、葛西は驚くべき言葉を発した。

「すぐ行く」
「葛西、カラオケ行ってるんじゃ」
「そんなのすぐ抜ける」

 そう宣言すると、通話を切った。通話が切れてからも、俺はスマホの画面を見て立ち尽くしていた。
 葛西が来る? 今から? なぜ?
 理解が追い付かないが、葛西に会えるのは嬉しい。連絡をしてきたということは、気にかけてもらえている証拠だ。とりあえずは、パンダ公園に向かって葛西を待つことにした。