「俺たちってさ、付き合ってしばらく経つけど、いまだに苗字で呼び合っているよね」

 学校からの帰り道、何気なく話題にあげてみる。
 葛西とは付き合い始めて半年近く経つけど、下の名前で呼び合ったことはない。そのことに不満があるわけではないけど、ふと気になってしまった。

「へえ、熊谷は下の名前で呼ばれたいんだ」

 隣にいる葛西から、にやりと顔を覗き込まれる。これは、からかっている時の顔だ。

「べ、別にそういうわけじゃないけど……。ただ普通のカップルはどうしているのかなって。それに葛西、俺の名前知ってる?」
「知ってるに決まってんじゃん。俺は好きだよ。熊谷の名前」
「……名前が好きって言われたのは初めてかも。女子みたいな名前だから、あんまり好きじゃなかったけど」

 小学生の頃は、フルネームで自己紹介をするのが好きではなかった。響きが女子っぽいから、馬鹿にされそうだし。
 高校生になったいまとなれば、名前にコンプレックスを抱くことはなくなったけど。

「いい名前だと思うけどな。熊谷によく似合ってるし。名前の由来ってなんなの?」

 まさか由来を聞かれるとは思わなかった。過去に母から聞かされた話を思い出しながら、葛西にも教える。

「俺が生まれたのって、雪の日の朝だったんだって。病室の窓から見えたのが真っ白な雪景色だったから、この名前に決めたみたい。安直だよね」

 別の候補もあったらしいけど、降り積もった雪を見た瞬間、ビビッと思いついたそうだ。

「あー、雪を見てっていうのは分かる気がする。熊谷って、雪みたいだって思う時があるし」
「そう? どんなところが?」
「まっさらで穢れを知らないところとか。あと、強く握りしめたら消えそうで怖い」

 淡々と告げる葛西の横顔からは、僅かばかりの切なさが滲んでいた。胸が締め付けられて、そっと葛西の手に触れる。

「消えたりしないから安心して。強く握られたら、握り返すから」

 葛西は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな笑みに変わる。

「ありがとう、眞白(ましろ)

 葛西から名前で呼ばれた瞬間、あまり好きではなかった自分の名前が世界一愛おしい言葉に思えた。

「……名前呼びするのは、もう少し待ってもらっていい?」

 嬉しいんだけど、いまの俺には刺激が強すぎる。