五月の祝日。結陽は朝早く起き、叔母の用意してくれた朝食を食べてからベランダに出た。

 結陽には母がいない。
 もちろん生物学的にはいるが、会ったことがない。父親の妹が結陽たち兄弟を育ててくれた。
 親族は結陽の父親を“平成の寅次郎”と呼ぶ。叔母の名は“さくら”ではなく、若菜。桜と菜の花で花つながり。駄目な兄としっかり者の妹の組み合わせ。
 結陽が中学生の時、国語の時間に習った知識を「若菜って食べられる草のことなんだって。花じゃないよ」と叔母に伝えたら珍しく般若になった。それ以来、草の話はしていない。
 若菜に聞こえないように、結陽は小声で大学生になったばかりの佐倉玲伊に電話をかけた。ベランダからは小さな2階建ての人気(ひとけ)のないアパートと小さな(ほこら)が見える。
「ねぇ玲伊君はさ、どうやって一学年上のサクをつかまえたワケ?」
 朝一番でも玲伊が起床していることは知っている。
「つかまえてない」
 電話に出た玲伊は結陽同様、オハヨウの挨拶をすっ飛ばして応答する。
「おいトボけんな。学年も違って部活も違ってさぁ。奇跡じゃん。何したの」
「何もしてない」
 玲伊はいつも言葉が少ない。
「オレ真面目に聞いてんの!必死なの!ずっとサクばかり追いかけてたからさ、振り向いてもらえないことに耐性がついちゃって玲伊君のおかげで!」
 結陽はここまで一気に言って息を吐いた。
「でも、もう相手の背中ばかり見るの嫌なんだよ」
 祠の前にある小さな朱い鳥居を遠くに見ながら、柔らかそうな髪に時々隠れるチャコールグレーの瞳を結陽は心に浮かべる。
「で、サクに何したって?」
「しつこいな。ただ笑っただけ」
「はい?」
 ベランダの柵に頬杖をついて喋っていた結陽は、身体を起こしてスマホを強く左耳にあてた。
「笑った顔が」
 ぶっきらぼうに玲伊が答える。
「あいつにとっては薬にも毒にもなるって」
「・・・」
 この返答を消化した結陽は、朔太郎から入学祝を結局貰えなかった恨みも玲伊にぶつけることに決めた。
「ツンデレエロ大学生」
 そう言って切電しようと耳から離したスマホから玲伊の声がくぐもって遠く聞こえた。
「朔太郎にシバかれろ」


 中田には一つ上の学年に交際している女子生徒がいると本人から聞いた。 
 そのことを聞いて結陽は少し残念に思いながらも傷付きはしない。良くも悪くも片想いには耐性がある。「彼女がいるからどうした」って感じ。そして「彼氏じゃなくて良かった」とホッとする気持ち。
 週四日、そして月二回の土曜日午前中の部活動練習に結陽は足繁く通う。
 入部届を出した時は半分くらい部活とやらに顔を出すイメージだったので、自分がここまでコミットするとは思っていなかった。


 中田先輩がダンスの合間にペットボトルの水を飲む時の喉元が綺麗。
 部活に通う動機はいたってシンプルだった。