その日まで結陽はダンス部に入部するつもりはなかった。
 普段から週3日はダンススタジオに通っているから充分だったし、中学校でも部活動をしたことがない。
 ほんの気まぐれで覗いてみただけ。
 結陽が小学生になる前から一緒にダンスをしていた兄と朔太郎が通った高校にはダンス部が存在しなかったと聞いたから。


 紅一点、じゃなくて黒一点。
 10人くらいで講堂の端の鏡の前で二列で踊っている中に一人だけ男子生徒がいた。
 遠目から一瞥した時はみんな紅に見えた。
 あぁ男子もいるんだ、と結陽は思いながら他に見学に来ていた1年生らしき女子4名に手を振って友好的な笑顔を一度見せた。 
 ダンス好きで同じ新入生ってだけで言葉は不要。すぐに友達。結陽の社交性の高さは天性のものだ。

 結陽はダンスをしている先輩たちに近付いていくと、我知らずソワソワした。
 これ、フットルースじゃん。
 馬鹿親父がステップ教えてくれたなぁ。
 結陽は懐かしくなって先輩たちの真後ろで体を揺らせた。
 結陽の身体に封印されていたグルーヴが解放され、ステップが流れるように出る。目の前でダンスしている数人とステップが重なり合う。
 鏡を見て新入生が加わったことに気付いて振り返った黒一点と目が合った。
 結陽は愉快な気分で踊り続けたまま口角を上げて目で挨拶をした。先輩は一瞬驚いた顔をしたあと盛大に笑い、腕を掴んで自分の横に結陽を引っ張り込んできた。
 スタジオとは違うアオハルな空気を纏った空間に放り込まれて、結陽は部活動の魅力に初めて触れた。
「この映画知ってるの?」
 一人の小柄な先輩がダンスを止めて声を掛けてきたので結陽は列から抜けて立ち止まって会釈する。
「小3ン時に親父からステップ教えてもらって」
 その先輩が胸の前で両手を合わせて目を輝かせた。
「お父さんから?うわぁ素敵ッ」
 結陽はこの時ばかりは笑顔を引っ込めた。
「全然ンなことないっす」
 これ一緒に踊っている時は俺もまだガキだったなぁと結陽は束の間の哀愁に浸る。
「どっか失踪しちゃって七年くらい会ってないし。親父の顔も忘れちゃってますよ俺」 
 結陽がそう言ったのと同時に音楽が終わる。
 あたりは高校には似合わない静寂に包まれた。 


「吉野山に夕陽が沈むって書くの?」
 結陽が名前を伝えると、黒一点先輩が同じ高さの目線で尋ねてきた。
「違いますね。こう」
 結陽はスマホをズボンのポケットから出して画面をタップして漢字を表示した。
「あまり見ない。いい名前だなぁ」
 そう言って細身の身体に羽織ったパーカーを脱ぎながら、先輩は自己紹介をした。
「中田明。普通に書く。たぶんこの名前は日本に百人はいる」
 そう言って中田先輩が笑う。
「千人はいるんじゃないッスかね」
 結陽がそう言いながら周りを見渡すと同級生4人が入部名簿に名前を書いているのが見えた。
「正直」
 ハハッと目を細めて笑った中田先輩をもう一度見て(美しい人だなぁ)と思った。

 初日はそれくらい。

 結陽は長い片想いの経験から自分が好きになるのは男でも女でも朔太郎みたいに小柄で元気で可愛い系かと思っていたから、まさか自分がこの黒一点に執着するようになるとは思いも寄らなかった。
 新しすぎる自分。
 

「困るんですよ。中田先輩」
 ハウスダンスやストリートをミックスしたステップ。
 新入生たちのために普段練習しているダンスをあれこれ踊ってくれた時。ニュージャックスウィングの音楽がかかり、皆が16ビートのリズムを刻んで踊り出した時の中田先輩の男の色気たるや。
 ちょっと怒ったような顔。笑っている時の目元とは違う、やや影を帯びた眼差し。跳ねる動きの影さえ凜として見える。
 中田先輩は高校に入ってからダンスを始めたと言っていたけれどそうは見えない。
「かっこよすぎ。惚れちゃうからマジ止めて」
 入部して2週間目。結陽は中田に本音を言った。たぶん冗談だと思われるだろうと予想したけど相手は笑い飛ばしたりはしなかった。
「そんなこと言われても」
 優しい顔で真面目に応える中田に、勝手な話だけれど最初は物足りなささえ感じた。
 朔太郎だったら結陽が不穏な発言をすると速攻で飛びかかってきて首元を締め上げてきたよなって思ってしまって。

 自分より小さい相手をがっしり抱え込んで愛を囁くイメージしかしてこなかった。
 しかも自分の恋心には、まだ残像がある。見下ろした先のストレートの黒髪や小さな肩までオートマティックに付随して浮かびあがってきてしまう体質だから。まだ。
 柔らかい茶系色の癖っ毛を持つ、自分と同じくらいの背の高さの男子を見て色気を感じている自分が本当に新しすぎる。
 結陽は好きのスイッチが入った時の自分をよく知っている。
 かなり直球。
 言葉にすることもためらったりしない。
 そして何より好きな気持ちが持続すること3年以上の経験あり。


「どうしてくれるんですか。俺また長い片想い?」
 葉桜に明るい陽が指す四月の終わり。
 部活帰りに結陽は中田を追いかけながら講堂の外で自分の上書きされた気持ちを言葉にした。
「知らないよ」
 少し拗ねたような表情になって振り返り、声も小さくなった中田先輩を見てしまったことが決定打になった。
 傲慢な思い込みを拗らせてたんだってOfficial髭男dismも謳ってるけど、俺もよっぽど傲慢かもしれない。
 実らない恋だろうと抱えているだけで幸せなんだと伝えれば、いつか種が芽吹くかもしれないと本気で思っているところがあるから。