女性がいたはずの場所を何度かの瞬きを繰り返して見たが、そこに女性はいなくなっていた。いつの間にかうすら寒さも消えていて、妖が祓われたことを後追いで結菜は理解した。慌てて三善先生を見ると、不敵な笑みを浮かべ、先生は前髪を掻き上げていた。額にはうっすらと傷跡が見えた。何か事故に遭ったときの傷跡だろうか。あの傷がある感じも、謎っぽくて良いよねぇと茉優が四月に騒いでいたのを、なぜか今思い出した。

「にしても、こんな狭い地域で陰陽師の一族と会うとは思わなかったな」

 舌打ちをしてから、三善先生は言った。その言い方は昨日聞いた粗野な言い方にそっくりだった。ということは、昨日結菜が見た人は、間違いなく、この人なのかもしれない。

「も、もしかして、先生も」
「あ?」

 目を眇めた三善先生が結菜の前に立つ。見上げる形になりながら、結菜が数歩後ろに下がると、化学準備室の扉に背が当たった。ふわりとお香のような匂いが鼻先をかすめた。この香りは白檀だろうか。煙草の香りが感じられない。普段から煙草を吸うタイプではないのかもしれない。

「……いいか、日下部結菜」

 とん、と右手をドアについて、三善先生が見下ろしてきた。
 ひぇっ、顔が良いと言うのはこういう時に最大の武器と化すのかもしれない。
 結菜は両手を口に当てたまま、辛うじて悲鳴を口の中に留めた。まさか、これは少女漫画あるあるの、あれですかっ。結菜がいつだか言っていた憧れのシチュエーションと同じかもしれない。ファンクラブ会員に見られたらと思うと、さっきとは違う意味で冷や汗が出そうだ。
 この状況であらぬ方向に思考を走らせてしまっていると、睨みつけるような鋭い目つきで三善先生は言う。

「この秘密、ばらすんじゃねぇぞ」

 あ、違ったみたいです、茉優。
 ドスの効いた声は、およそ少女漫画あるあるの状況にはさせてくれなかった。きゅっと心臓が縮み上がり、結菜は体を固くした。目の前にいる人が煙草を吸って、サングラスをかけていたら、昨晩と同じように、ヤのつくお仕事の人にしか見えない。
 三善先生の脅しに結菜が高速で頷くと、先生は満足したように手をドアから離した。ほっと胸を撫でおろしていると、結菜に目線を合わせた三善先生が耳元で囁く。

「バラしたら、どうなるかわかるよな?」

 もう一度きゅっと喉が細くなり、急に呼吸ができなくなる感覚に陥った。呼吸が許されるように、結菜はもう一度深く頷いた。

「わかってくれたようで、なにより。では、僕は午後の授業の準備があるから。日下部さんは、準備の手伝いしてくれてありがとう。しっかり、お昼ご飯を食べるんだよ」

 にこやかに、さわやかに、人当たりの良い表情を浮かべて三善先生は手を振った。結菜は深く一礼してから、化学準備室を出て、購買に向かって駆け出した。

 何、あれ。なに、あれ。何だ、あれはぁっ!