ま、もしかしたら、見間違いかもしれない。
漸く結論付けられることができたのは、日が昇るような時間だった。眠気眼をこすりながら、いつも通り学校に向かう。クラスメイトに会って、いつも通りたわいもない話をして気を紛らわせる。大丈夫、大丈夫。アレは見間違い。
チャイムが鳴り、結菜は自席に座った。一時間目は化学。リュックから教科書とノートを取り出して、丁寧に机の上に置いた。ペンケースからお気に入りのシャーペンを探していると、教室の扉がゆっくりと開いた。
「授業を始めるよ」
穏やかなバリトンの声がクラスに響いた。
いつも通りの化学の授業の始まりに安心感を覚えて、結菜が顔を上げると、丸眼鏡に白衣姿の三善先生がいた。口角をあげながら、今日の授業内容を告げながら、黒板に授業のポイントを書き始める。
いつもと違った様子はない。やっぱりあれは見間違いだったんだ。あんなヤのつくタイプのお仕事をしているような雰囲気すらしないじゃないか。きっと双子か、生き別れた弟当たりの設定で生きているような人がいるのかもしれない。そうだ、その世界線に違いない。
ほっと胸を撫でおろしながら、黒板に書かれていく文字と先生の説明をノートに写しながら、結菜は徐々に授業に集中していった。
化学の授業が終わり、まだ書き写していない黒板の内容を結菜が急いで写していると、机の上に四角く折りたたまれた白い紙が置かれた。ぱっと顔を上げると、思ったよりも三善先生の顔が近くにあった。小さな悲鳴を上げて、思わず椅子を蹴って立ち上がった。椅子がけたたましい音を立てて倒れたせいで、周りのクラスメイトが何事かと結菜を見る。クラス中の視線を感じ、冷や汗をかきながら結菜が直立不動の姿勢でいると、三善先生が優しく微笑んだ。
自分に優しく微笑んでくれたら、と想像した生徒たちの黄色い悲鳴が上がる中、三善先生が結菜に小さな声で耳打ちする。
「昼休みに化学準備室に来るように」
言葉にしてみたらなんてことないのに、言葉の圧が強すぎる。間近できれいな顔を見せられて、結菜は激しく頷くしかなかった。
迫力と圧力が合わさると、なんというか、恐怖が生まれる。
結菜が肯定したのを満足そうに見た三善先生は、教室がざわめいているのにも気にする素振りがないまま、軽い足取りで教室を出て行った。ファンクラブに入っている生徒たちは結菜と三善先生を交互に見ていて忙しない。
い、今のは一体何だったの。机に置かれた紙が何かもわからない。何を渡されたのか、結菜には皆目見当がつかない。
結菜は恐る恐る折りたたまれた紙を開こうとしたところで、クラスメイト達が一気に群がってきた。結菜は慌てて三善先生から渡された紙をペンケースに素早くしまい込んだ。
「ねぇ、何話したの、今」
「呼び出し?」
「イケメン先生の顔面近すぎとか、どんな感じだったの?」
次々にされる質問を全て回答するのも煩わしいが、結菜は苦笑いで一つ一つ答えた。しつこいクラスメイトの追及に適当な回答でその場を誤魔化しながらも、頭の片隅には昨日のことがはっきりと蘇っていた。
午前の残りの授業もいまいち身が入らなかった。ノートには手が自動的に黒板の文字を書き写してくれるが、頭は三善先生からの呼び出しのことでいっぱいだった。
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、結菜は、いつもよりも多くのクラスメイトからのランチの誘いを申し訳なさそうに躱して化学準備室に向かった。この昼休み中も追及されるのはわかっていたが、今は三善先生の呼び出しに対応するのが先だ。
購買や学食に向かう生徒たちとは真逆の方向に向かって歩くのは、骨が折れた。それでも、どうにか休み時間開始から五分で化学準備室にたどり着くことができた。結菜のクラスから化学準備室と化学室までは校舎を一つ挟んで端と端だ。十分の休み時間で化学室にたどり着くのは早足で歩いてもギリギリだったが、今日は思いがけず新記録を叩きだしてしまったようだった。
呼吸を整えてから軽くノックをすると、部屋の中から穏やかな返事が聞こえた。どうやら相手の機嫌を損ねている様子はなさそうだ。失礼します、と小さな声で言ってから細く扉を開けて中を覗くと、白衣を脱いでいた三善先生がいた。丸眼鏡を眼鏡拭きで丁寧に拭きながら、窓際のデスクに腰かけていた。
「日下部さん。いらっしゃい」
漸く結論付けられることができたのは、日が昇るような時間だった。眠気眼をこすりながら、いつも通り学校に向かう。クラスメイトに会って、いつも通りたわいもない話をして気を紛らわせる。大丈夫、大丈夫。アレは見間違い。
チャイムが鳴り、結菜は自席に座った。一時間目は化学。リュックから教科書とノートを取り出して、丁寧に机の上に置いた。ペンケースからお気に入りのシャーペンを探していると、教室の扉がゆっくりと開いた。
「授業を始めるよ」
穏やかなバリトンの声がクラスに響いた。
いつも通りの化学の授業の始まりに安心感を覚えて、結菜が顔を上げると、丸眼鏡に白衣姿の三善先生がいた。口角をあげながら、今日の授業内容を告げながら、黒板に授業のポイントを書き始める。
いつもと違った様子はない。やっぱりあれは見間違いだったんだ。あんなヤのつくタイプのお仕事をしているような雰囲気すらしないじゃないか。きっと双子か、生き別れた弟当たりの設定で生きているような人がいるのかもしれない。そうだ、その世界線に違いない。
ほっと胸を撫でおろしながら、黒板に書かれていく文字と先生の説明をノートに写しながら、結菜は徐々に授業に集中していった。
化学の授業が終わり、まだ書き写していない黒板の内容を結菜が急いで写していると、机の上に四角く折りたたまれた白い紙が置かれた。ぱっと顔を上げると、思ったよりも三善先生の顔が近くにあった。小さな悲鳴を上げて、思わず椅子を蹴って立ち上がった。椅子がけたたましい音を立てて倒れたせいで、周りのクラスメイトが何事かと結菜を見る。クラス中の視線を感じ、冷や汗をかきながら結菜が直立不動の姿勢でいると、三善先生が優しく微笑んだ。
自分に優しく微笑んでくれたら、と想像した生徒たちの黄色い悲鳴が上がる中、三善先生が結菜に小さな声で耳打ちする。
「昼休みに化学準備室に来るように」
言葉にしてみたらなんてことないのに、言葉の圧が強すぎる。間近できれいな顔を見せられて、結菜は激しく頷くしかなかった。
迫力と圧力が合わさると、なんというか、恐怖が生まれる。
結菜が肯定したのを満足そうに見た三善先生は、教室がざわめいているのにも気にする素振りがないまま、軽い足取りで教室を出て行った。ファンクラブに入っている生徒たちは結菜と三善先生を交互に見ていて忙しない。
い、今のは一体何だったの。机に置かれた紙が何かもわからない。何を渡されたのか、結菜には皆目見当がつかない。
結菜は恐る恐る折りたたまれた紙を開こうとしたところで、クラスメイト達が一気に群がってきた。結菜は慌てて三善先生から渡された紙をペンケースに素早くしまい込んだ。
「ねぇ、何話したの、今」
「呼び出し?」
「イケメン先生の顔面近すぎとか、どんな感じだったの?」
次々にされる質問を全て回答するのも煩わしいが、結菜は苦笑いで一つ一つ答えた。しつこいクラスメイトの追及に適当な回答でその場を誤魔化しながらも、頭の片隅には昨日のことがはっきりと蘇っていた。
午前の残りの授業もいまいち身が入らなかった。ノートには手が自動的に黒板の文字を書き写してくれるが、頭は三善先生からの呼び出しのことでいっぱいだった。
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、結菜は、いつもよりも多くのクラスメイトからのランチの誘いを申し訳なさそうに躱して化学準備室に向かった。この昼休み中も追及されるのはわかっていたが、今は三善先生の呼び出しに対応するのが先だ。
購買や学食に向かう生徒たちとは真逆の方向に向かって歩くのは、骨が折れた。それでも、どうにか休み時間開始から五分で化学準備室にたどり着くことができた。結菜のクラスから化学準備室と化学室までは校舎を一つ挟んで端と端だ。十分の休み時間で化学室にたどり着くのは早足で歩いてもギリギリだったが、今日は思いがけず新記録を叩きだしてしまったようだった。
呼吸を整えてから軽くノックをすると、部屋の中から穏やかな返事が聞こえた。どうやら相手の機嫌を損ねている様子はなさそうだ。失礼します、と小さな声で言ってから細く扉を開けて中を覗くと、白衣を脱いでいた三善先生がいた。丸眼鏡を眼鏡拭きで丁寧に拭きながら、窓際のデスクに腰かけていた。
「日下部さん。いらっしゃい」



