何かが低く呻いた声が結菜の耳に届いた。思わず声がした方を見ようとしたが、寸前のところで動きを止めた。まっすぐ向いたまま結菜は何事もなかったかのように予備校に向かって歩く。

 ――ヌウ

 またうめき声。声がした方を視たくなるが、ぐっと我慢する。背中の当たりに寒気を感じる。風が冷たいわけでも、風邪をひいているわけでもない。この寒気には心当たりがありすぎる。

 間違いなく妖のものだ。
 関係ない、関係ない、関係ない。
 目を瞑って心の中で呟きながら、結菜は少しだけ早足で駅に向かった。
 陰陽師の一族の末裔でもあり、視える人でもある結菜は、あらゆる妖が視えてしまう。故に、妖関連のことに巻き込まれやすい体質でもある。

 日下部家で視える人は結菜以外に祖父母と兄だけであり、親族でも視える人は数えるほどだ。陰陽師が活躍していたのは明治くらいまでであり、それ以降民間でも陰陽師としての仕事を禁止された。それ以降、結菜のように視える人というのは、妖関連に巻き込まれることが無いように避けることを幼い頃から徹底的に教えられてきた。

 この地域には、日下部家以外に陰陽師の末裔を名乗る一族はいない。
 陰陽師以外の、普通の人間が多い。普通の人間ならば、妖は視えない。
例えるなら、路上にごみがあっても注目しないのが普通の人間で、つい目が行ってしまうのが陰陽師の血筋の者である。
 視えない人たちの行動を観察し、自分ができるようになる訓練を結菜は幼少期より積んできた。ちょっとでも妖が視える仕草を出してしまえば、周りから変な子のレッテルを貼られ、集団生活をするのもままならなくなるのだと、祖父母が口酸っぱく教えてくれた。今では視えない人と同じように振舞うことも遜色ないと結菜は自負している。
 だから、このような状況になっても慌てず、騒がず、そっと通り過ぎることができる。結菜は相手に気づかれる前に、何事もない振りをしながらその場を去った。