4月の風が残りわずかな桜の花びらを舞い散らす。徐々に暖かくなってきて、昼頃の日差しも心なしか高くなってきているように感じる。

今日は私立聖桜学園の始業式だ。3週間ほどの編入試験対策をなんとか乗り越え、無事試験を突破した琴葉は、晴れて聖桜学園の2年生となる。

「琴葉、制服、似合っているぞ。何かあったらすぐに連絡しろ。俺が大学からすっ飛んで行ってやる。」

「ええ。頼りにしています。」

はにかむ琴葉を見て、顔を赤くする珀。そんな珀は今年度から聖桜学園の大学部に進学する。今日は聖桜学園中等部、高等部の始業式であるとともに、大学部の入学式であるため、珀はスーツに身を包んでいる。もちろん、同い年の隼人もだ。少しだけ思い詰めた顔をしているのがやはり少し気になるが、あえて誰も指摘しない。

名残惜しそうにこちらを見つめる珀ににこりと微笑んで、行って参ります、と言う。前日下見に来た時に説明された通り、単位制コースの2年生の教室へと向かった。

教室の扉からして豪華である。中学まで公立に通っていた琴葉には衝撃だった。重たい扉をゆっくりを押して中に入ると、すでに登校して来ていた生徒たちが一斉にこちらを向いて、噂をし始めた。単位制コースはクラス替えの対象にならないため、去年からメンバーが変わっていないらしい。となると、グループはすでに出来上がっているだろう。琴葉が馴染むのはかなり難易度が高い。

ひとまず、指定された席につく。窓際の一番後ろの席。この席が主人公席と言われているのを何かの作品で読んだことがあるが、自分には相応しくないと琴葉はため息をついた。人と関わる練習をするために編入したはいいものの、先は長そうだ。

「あれってもしかして珀様の婚約者?」

「鈴葉様を東北に飛ばした元凶よ!」

「貴族教育を受けていなかったんですって?」

いろんな声が聞こえてくる。どれもあまりいい噂には聞こえないが、グッと堪える。自分が成長するためにここに来ているんだ。

「ねえ!あなたが編入してきたっていう生徒……ですか?」

突然、不自然な敬語で話しかけて来たのは、明るめの茶髪を高めのポニーテールで束ねた、明るそうな女の子だった。琴葉の前の席のようだ。

「え、えぇ。宝条琴葉(ほうじょうことは)と申します。あ、あなたは……?」

ちなみに、神楽(しがらき)と縁を切った琴葉は学園では宝条姓で過ごすことになっている。

琴葉が自己紹介をすると、その子は元気に名乗った。

「琴葉さんっていうんですね!私は玉垣千広(たまがきちひろ)って言います!よろしくね!」

「よろしくお願いします。」

いかにも純粋そうな女の子だ。貴族らしい立ち居振る舞いというのも一切気にしないといったふうである。

「ちょっと、千広さん?その方と関わるとろくなことにならないわよ?その方、宝条の権限を使って鈴葉様を東北に飛ばしたって話じゃない!」

「それって鈴葉さんが悪いんじゃなかった?私は別に鈴葉さんと友達じゃなかったし。関わる友達は私が決める。っていうか、そういうのあんま言わないほうがよくない?琴葉さんに失礼でしょ。」

「なっ!」

毅然と正論を言い放つ千広に、琴葉は驚いてしまう。千広はこちらを向いてにこりと笑った。

「気にしないでね、あの人たち、誰かを持ち上げたり貶めたりが大好きなの。それより、もうすぐ始業式が始まっちゃうから、その後、学校を案内してあげるよ!初めてでしょ?あっ、初めて、ですよね……?」

途中でタメ口に戻ってしまって焦る千広。琴葉はなんだか面白くてクスッと笑ってしまう。

「す、すみません!どうも貴族同士のマナーとかそういうのが苦手で……。」

「大丈夫ですよ。敬語、使わなくても構いません。千広さんの話しやすい方で……。あの、私は癖で敬語になってしまいますが……。」

「ありがとう!よかったあ、初っ端から嫌われちゃうかと思った!それならタメで話すね。琴葉さんも好きなように喋って大丈夫だからね。」

頷く琴葉。

「あ、で、なんだっけ……学校案内だ!どうかな?後ろなんか予定あったりする?」

「い、いえ、特にはございません。案内してくださるのですか?」

「もっちろん!任せて!」

張り切る千広に思わず笑みが溢れてしまう。なんだか妹みたいだ。千広の元気な姿が、幼い頃の鈴葉に重なって少し悲しくなった。

扉が開く音がして、教師らしき人が入ってきた。みんなが席につく。

「進級おめでとうございます。この後は始業式ですので、第一ホールに向かってください。それと、今年度から宝条琴葉さんが編入なさいました。琴葉さん、前に出てきて自己紹介をお願いします。」

琴葉はびくりとしつつも、覚悟を決めて前に出る。教壇に立つと、クラスの面々がよく見えた。女性の目にはおおかた敵意が表れている。男性は特に興味がないといった感じである。千広は相変わらずニコニコしていた。

「お初にお目にかかります、宝条琴葉と申します。宝条家次期当主の宝条珀様と婚約させていただき、5歳で止まっていた貴族教育を再開いたしました。貴族として生きていく中で大切なことを学ぶためにこの学園に参りました。これから何卒よろしくお願いいたします。」

琴葉がふわりと礼をすると、主に男性陣からの拍手。女性陣からはまばらな拍手が聞こえた。三枝先生に言われた通り、堂々と胸を張って席に戻る。クスクスという笑い声や噂する声が聞こえたが、耳に入れないように気をつけた。

千広が振り返って、にこりを笑いかけてくれる。琴葉もそれに笑顔を返した。

珀に出会って1年が経とうとしているが、この間に自分が大きく変わったと思う。自信がついたとまでは言えないが、周りの声を耳に入れず、胸を張る、つまり去勢を張ることができるようになって来ている。貶されるのが怖くておどおどビクビクしていた頃と比べると明らかな成長と言えるだろう。

始業式を終え、千広に校内を案内してもらった。聖桜学園の敷地は広く、設備も整っていた。どうしても公立の中学校と比べてしまうからいけない。

千広とは1日でかなり仲良くなった。あまり強くない能力持ちの家系で、浄化を使えるらしい。戦闘には不向きだし、どこかの家の専属回復係としてでも雇って貰えばいいと思って生きてきたが、昨今の能力者不足を踏まえ、能力者はできるだけ多く聖桜学園に通わせるような仕組みができてきていて、それに乗っかって高校からこの学園に来たという。

しかし、自由奔放に生きてきたこれまでとは全く異なる、貴族令嬢同士のいざこざがあちらこちらで起こる教室にうまく馴染めなかったそうだ。貴族令嬢らしい立ち居振る舞いも勉強はしているが、どうにも慣れないらしい。なんだか馴染めないあたりが似ていて思わず琴葉に声をかけてしまったと言っていた。

琴葉は初めてできた友達に心温まるのを感じた。案内をしてもらった礼を言って、連絡先を交換する。

珀から、校門前で待っているという連絡が来ているのに気づいて、千広とともに校門に向かった。校内を回っているうちに、大学部の入学式も終わったようだ。珀を見た千広はその容姿にびっくりしてはしゃいでいた。

「ええええ!超イケメンじゃん!すごいね、琴葉!こんな素敵な人と婚約しているだなんて!いいなぁ、私も素敵な恋愛したい!」

ちなみに、さん付けで名前を呼ぶのもあまり得意ではないようで、千広はすでに琴葉を呼び捨てにするようになっていた。琴葉としても全く嫌な気持ちはしない。

千広にもう一度礼を言って手を振り、車に乗り込む。

「じゃあね〜!家帰ったらまた連絡してね。おしゃべりしよ〜。」

去り際に千広が言った言葉に胸が踊る。家に帰ってから友達と連絡を取り合うだなんて、いかにも学生っぽい。自分が学生っぽいことを求めていたと、今初めて気づいた。

「早速友達ができたようだな、今日は大丈夫だったか?何かされなかったか。」

珀が聞いてくる。

「大丈夫でした。教室ではあまり受け入れられていないようでしたが、千広さんが声をかけてくださって。校内を案内してもらいました。素敵な方と仲良くなれてよかったです。」

「お前が嬉しそうで何よりだ。だが、付き合う相手には気をつけろよ?一応、その千広という令嬢を調べさせてもらうからな。せっかくの琴葉の友達に申し訳ないが……。」

「ええ。わかっています、珀様。」

自分は宝条家の次期当主婚約者。付き合う相手、渡す情報には気をつけなくてはならない。その全てに責任が伴うのだから。

「珀様。学園編入を認めていただき、ありがとうございます。私、今日からより一層頑張って、早く珀様のお隣に並びますね!」

改めて、込み上げてきた感謝を愛する人に伝える。

「ああ、待っている。愛してる、琴葉。」

「私もです、珀様。」

どちらからともなく、自然と2人の唇が触れ合う。暖かい風が車の窓から桜の花びらを連れてきて、2人を祝福するように揺蕩った。