時は遡り、9月下旬の休日。月城家の一人娘、月城茜はとある会合に出席するため、車で移動していた。見えて来たのは、少し古めのお屋敷、神楽の本家である。
「ようこそ、おいでくださいました、月城茜嬢。顔を合わせるのは初めてではありませんが、自己紹介をいたしましょう。神楽家当主の神楽玄と申します。何卒。」
当主自ら出迎えに上がるとは、一体何が行われるというのだろう。
「わざわざお出迎えくださって、ありがとう存じます。ご招待いただいた月城家長女、月城茜でございます。本日はよろしくお願い申し上げます。」
ふわりと礼をする茜。応接室に通され、玄と向かい合って座る。
「早速ですが、本題に入らせていただいてもよろしいですかな。」
使用人がお茶を運んでくる。部屋に他の誰も入れないよう伝え、茜の秘書も下げさせる。これは会合ではよくあることだ。玄はすぐに話し始める。頷いて同意を示す茜。
「実は、先日宝条家に脅され、我が娘、琴葉と縁を切ることになってしまったのです。あれは少し厳しく育てて来たのですが、どうもわがままが過ぎるようで、宝条家の次期当主殿に助けを求めたようでしてな。神楽としても手を尽くして琴葉を取り戻そうとしたのですが、結局うまくいかず、今後一切琴葉に干渉しない契約を強要されてしまったのです。」
玄が困ったというように眉尻を下げてこう言う。
「私が聞いておりますのは、琴葉様は貴族教育を受けることができず、神楽家で虐待をされて育ったということですわ。それを珀様がお助けなさって、婚約を結んだところを、鈴葉様が琴葉様を監禁して痛めつけたそうではありませんか。ご当主様の言い分は噂とは随分異なるようですが……。」
茜がすかさず反論する。月城家も情報戦で遅れをとるわけにはいかない。質の高い情報屋を雇っているはずだ。
「どうしても宝条家の方が力が強いので、あちらの言い分が正しいように広まってしまうのですよ。最近まで琴葉は無能力者でしたから、貴族教育が受けられないのは当たり前ではありませんか。」
茜がハッとした顔をする。
「最近まで……ということは?琴葉様が能力を発現なさったのですか!?」
「どうもそのようです。そうでなければあれだけ早く宝条家が駆けつけられるはずがありません。それも、かなり特殊な力だそうで、威力は宝条家の次期当主殿と同等という情報が。」
まあ!と茜が上品に驚く。宝条家としては琴葉の能力をコントロールが可能になるその時まで伏せておくつもりだが、すでに漏れているようだ。
「神楽の能力は神楽の中で管理すべきだと思うのです。何せ音楽の力というのは特殊でわかっていることが少ないのですからね。このまま宝条家に置いておくと非常に危険です。」
「え、えぇ、それは確かにその通りですわね。代々の能力について最も詳しいのは一族の者であるはずですので……。」
茜は玄が言わんとするところをなんとなく掴んだ気がして戦慄した。
「ですが、神楽家は宝条と契約を交わしてしまった。琴葉を今すぐにでも取り戻すべきなのに、それができないのです。」
玄が笑みを深める。対照的に茜の顔色はどんどん悪くなっていく。
「ただ、それを可能にする方法が一つだけあるのですよ、茜嬢。もう何かわかっていらっしゃるのではないですか?」
珀との交渉ではいつも遅れを取ってしまう玄だったが、これでも名家の当主。相手は月城家の次期当主候補と言えど、15歳の少女である。玄の方が、会話のボールをどこで投げるか、相手の顔色を読みながら相手が答えたくないであろう部分をあえて答えさせる会話術において数段上だった。
「……宝条をつぶす……でしょうか?」
真っ青な顔で答える茜。正解だったようで、ニコリと笑いかける玄。
「その通りです。流石は月城家のご令嬢ですね。宝条を潰しさえすれば、契約などなかったことになる。琴葉は戻ってくる。それに、月城家にとっても万々歳ではありませんか。長年の政敵でしょう?」
「で、ですが、大義名分がないことには力を得られません。宝条家は現状非常に強いです。月城家は能力者の家系ではございませんし、到底太刀打ちできないでしょう。大義名分がなければ経済制裁も難しいです。月城と宝条の間には不可侵の取り決めもございますし。それに……。」
そもそも会合の経験が少ない茜は少し緊張しているようだ。息を整えてからまた話し出す。
「私の一存では何も決められません。今日私をお呼びなさったのは、私から父を説得するようお願いするためかと存じますが、それなりの理由と力の証明がなければそれも難しいでしょう。私ではなく、直接父を呼ぶべきではありませんか?」
「大義名分なんて、琴葉が取られていることで十分でしょう。あるべきものをあるべき場所に戻すだけです。それに、月城家が宝条に太刀打ちできないですって?不思議ですねぇ。月城魔形軍隊はお使いにならないのですか?」
月城魔形軍隊。それは噂に過ぎないのだが、月城家が秘密裏に保管しているという人造魔形のことを指す。どうも、能力者家系ではない月城家が今後も能力者と対等に渡り合うために、当主が計画し、各地の魔形を集め、実験を繰り返しているらしいのだ。1から魔形を生み出し、それを機械で制御する実験に成功したため、その人造魔形を大量に生産し、軍隊と言えるほど用意しているという噂が貴族界では流れているが、真偽は定かではない。
どうやら玄はその証拠を掴んでいるようだ。茜の顔色はさらに悪くなり、手が小刻みに震えている。
「そんなものはございません!どこから仕入れた情報か存じ上げませんが、月城家は魔形などと関わりはありません!」
必死で否定する茜を見て、余裕そうな態度の玄。
「ほぉ、そうですか、ではこの写真はなんでしょう?」
玄が徐に写真を取り出す。そこには眠らされた大量の人造魔形と実験の様子を見にきたであろう月城和樹の姿が写っていた。
「な……これだけでは証拠になりませんわ!たまたま関連施設にお父様が入っただけかもしれませんもの。月城が動かしている決定的証拠はございませんの?」
「これ以上の証拠はありませんが、仮にこの写真が世に流出したらどうなるでしょうか?月城コーポレーションの株価はみるみるうちに下がってしまうでしょうねぇ。」
わなわなと体を震わせ、ガタンと怒りに任せて立ち上がった茜は、貴族としてのマナーを思い出して無理やり気持ちを落ち着け、椅子に座った。
「……わかりましたわ。私は何をすればよろしいのですか?」
茜の瞳は何も映してはいなかった。
「そうですね、神楽家当主に脅されたと和樹様に言い、魔形軍隊を利用することを説得してください。私の能力はコンダクター、タクトを振ることで敵を服従させ、意のままに操る力です。魔形軍隊は私の能力があって初めて意味を成すのですよ。そうして、神楽家と月城魔形軍隊の共闘で宝条を潰します。そこに月城家の経済制裁を加えれば、宝条の地位はガクンと落ちるでしょう。そうすれば不可侵は撤廃、琴葉も無事こちらに戻ってくるというわけです。完璧なシナリオでしょう?」
それに、と玄は茜に顔をずいっと近づけて甘言を囁く。
「そうなった後は宝条珀はあなたのものだ。」
茜の瞳に微かに光が宿る。
「で、ですが、地位の落ちた珀様など……。」
「ほぉ、茜嬢は次期当主殿の地位がほしいのですかな。違うでしょう?不可侵のせいで婚約を取り付けられなかった、恋する乙女、それがあなたです。」
そう、茜は単純に珀が好きなのだ。地位など関係ない。あの美しい容姿、擦り寄ってくる者を撥ねつける赤い瞳、戦闘力。その全てが愛おしいと思っていた。自分よりも地位が下の者に対しては、婚約を強要できる。愛する人間が自分のものになる。そのシナリオに、茜は魅せられてしまった。
「地位が落ちるとはいえ、あそこまでの戦闘力。それなりのところには留まるでしょう。つまり勢力が均衡状態から変化するだけです。この戦いの後は、月城、神楽、宝条、浅桜の順になるでしょうかね。」
そうだ、とあれば宝条珀はまだそれなりの地位を持つ、最高の男であることは変わらない。茜は夢見心地で契約書にサインした。
「ようこそ、おいでくださいました、月城茜嬢。顔を合わせるのは初めてではありませんが、自己紹介をいたしましょう。神楽家当主の神楽玄と申します。何卒。」
当主自ら出迎えに上がるとは、一体何が行われるというのだろう。
「わざわざお出迎えくださって、ありがとう存じます。ご招待いただいた月城家長女、月城茜でございます。本日はよろしくお願い申し上げます。」
ふわりと礼をする茜。応接室に通され、玄と向かい合って座る。
「早速ですが、本題に入らせていただいてもよろしいですかな。」
使用人がお茶を運んでくる。部屋に他の誰も入れないよう伝え、茜の秘書も下げさせる。これは会合ではよくあることだ。玄はすぐに話し始める。頷いて同意を示す茜。
「実は、先日宝条家に脅され、我が娘、琴葉と縁を切ることになってしまったのです。あれは少し厳しく育てて来たのですが、どうもわがままが過ぎるようで、宝条家の次期当主殿に助けを求めたようでしてな。神楽としても手を尽くして琴葉を取り戻そうとしたのですが、結局うまくいかず、今後一切琴葉に干渉しない契約を強要されてしまったのです。」
玄が困ったというように眉尻を下げてこう言う。
「私が聞いておりますのは、琴葉様は貴族教育を受けることができず、神楽家で虐待をされて育ったということですわ。それを珀様がお助けなさって、婚約を結んだところを、鈴葉様が琴葉様を監禁して痛めつけたそうではありませんか。ご当主様の言い分は噂とは随分異なるようですが……。」
茜がすかさず反論する。月城家も情報戦で遅れをとるわけにはいかない。質の高い情報屋を雇っているはずだ。
「どうしても宝条家の方が力が強いので、あちらの言い分が正しいように広まってしまうのですよ。最近まで琴葉は無能力者でしたから、貴族教育が受けられないのは当たり前ではありませんか。」
茜がハッとした顔をする。
「最近まで……ということは?琴葉様が能力を発現なさったのですか!?」
「どうもそのようです。そうでなければあれだけ早く宝条家が駆けつけられるはずがありません。それも、かなり特殊な力だそうで、威力は宝条家の次期当主殿と同等という情報が。」
まあ!と茜が上品に驚く。宝条家としては琴葉の能力をコントロールが可能になるその時まで伏せておくつもりだが、すでに漏れているようだ。
「神楽の能力は神楽の中で管理すべきだと思うのです。何せ音楽の力というのは特殊でわかっていることが少ないのですからね。このまま宝条家に置いておくと非常に危険です。」
「え、えぇ、それは確かにその通りですわね。代々の能力について最も詳しいのは一族の者であるはずですので……。」
茜は玄が言わんとするところをなんとなく掴んだ気がして戦慄した。
「ですが、神楽家は宝条と契約を交わしてしまった。琴葉を今すぐにでも取り戻すべきなのに、それができないのです。」
玄が笑みを深める。対照的に茜の顔色はどんどん悪くなっていく。
「ただ、それを可能にする方法が一つだけあるのですよ、茜嬢。もう何かわかっていらっしゃるのではないですか?」
珀との交渉ではいつも遅れを取ってしまう玄だったが、これでも名家の当主。相手は月城家の次期当主候補と言えど、15歳の少女である。玄の方が、会話のボールをどこで投げるか、相手の顔色を読みながら相手が答えたくないであろう部分をあえて答えさせる会話術において数段上だった。
「……宝条をつぶす……でしょうか?」
真っ青な顔で答える茜。正解だったようで、ニコリと笑いかける玄。
「その通りです。流石は月城家のご令嬢ですね。宝条を潰しさえすれば、契約などなかったことになる。琴葉は戻ってくる。それに、月城家にとっても万々歳ではありませんか。長年の政敵でしょう?」
「で、ですが、大義名分がないことには力を得られません。宝条家は現状非常に強いです。月城家は能力者の家系ではございませんし、到底太刀打ちできないでしょう。大義名分がなければ経済制裁も難しいです。月城と宝条の間には不可侵の取り決めもございますし。それに……。」
そもそも会合の経験が少ない茜は少し緊張しているようだ。息を整えてからまた話し出す。
「私の一存では何も決められません。今日私をお呼びなさったのは、私から父を説得するようお願いするためかと存じますが、それなりの理由と力の証明がなければそれも難しいでしょう。私ではなく、直接父を呼ぶべきではありませんか?」
「大義名分なんて、琴葉が取られていることで十分でしょう。あるべきものをあるべき場所に戻すだけです。それに、月城家が宝条に太刀打ちできないですって?不思議ですねぇ。月城魔形軍隊はお使いにならないのですか?」
月城魔形軍隊。それは噂に過ぎないのだが、月城家が秘密裏に保管しているという人造魔形のことを指す。どうも、能力者家系ではない月城家が今後も能力者と対等に渡り合うために、当主が計画し、各地の魔形を集め、実験を繰り返しているらしいのだ。1から魔形を生み出し、それを機械で制御する実験に成功したため、その人造魔形を大量に生産し、軍隊と言えるほど用意しているという噂が貴族界では流れているが、真偽は定かではない。
どうやら玄はその証拠を掴んでいるようだ。茜の顔色はさらに悪くなり、手が小刻みに震えている。
「そんなものはございません!どこから仕入れた情報か存じ上げませんが、月城家は魔形などと関わりはありません!」
必死で否定する茜を見て、余裕そうな態度の玄。
「ほぉ、そうですか、ではこの写真はなんでしょう?」
玄が徐に写真を取り出す。そこには眠らされた大量の人造魔形と実験の様子を見にきたであろう月城和樹の姿が写っていた。
「な……これだけでは証拠になりませんわ!たまたま関連施設にお父様が入っただけかもしれませんもの。月城が動かしている決定的証拠はございませんの?」
「これ以上の証拠はありませんが、仮にこの写真が世に流出したらどうなるでしょうか?月城コーポレーションの株価はみるみるうちに下がってしまうでしょうねぇ。」
わなわなと体を震わせ、ガタンと怒りに任せて立ち上がった茜は、貴族としてのマナーを思い出して無理やり気持ちを落ち着け、椅子に座った。
「……わかりましたわ。私は何をすればよろしいのですか?」
茜の瞳は何も映してはいなかった。
「そうですね、神楽家当主に脅されたと和樹様に言い、魔形軍隊を利用することを説得してください。私の能力はコンダクター、タクトを振ることで敵を服従させ、意のままに操る力です。魔形軍隊は私の能力があって初めて意味を成すのですよ。そうして、神楽家と月城魔形軍隊の共闘で宝条を潰します。そこに月城家の経済制裁を加えれば、宝条の地位はガクンと落ちるでしょう。そうすれば不可侵は撤廃、琴葉も無事こちらに戻ってくるというわけです。完璧なシナリオでしょう?」
それに、と玄は茜に顔をずいっと近づけて甘言を囁く。
「そうなった後は宝条珀はあなたのものだ。」
茜の瞳に微かに光が宿る。
「で、ですが、地位の落ちた珀様など……。」
「ほぉ、茜嬢は次期当主殿の地位がほしいのですかな。違うでしょう?不可侵のせいで婚約を取り付けられなかった、恋する乙女、それがあなたです。」
そう、茜は単純に珀が好きなのだ。地位など関係ない。あの美しい容姿、擦り寄ってくる者を撥ねつける赤い瞳、戦闘力。その全てが愛おしいと思っていた。自分よりも地位が下の者に対しては、婚約を強要できる。愛する人間が自分のものになる。そのシナリオに、茜は魅せられてしまった。
「地位が落ちるとはいえ、あそこまでの戦闘力。それなりのところには留まるでしょう。つまり勢力が均衡状態から変化するだけです。この戦いの後は、月城、神楽、宝条、浅桜の順になるでしょうかね。」
そうだ、とあれば宝条珀はまだそれなりの地位を持つ、最高の男であることは変わらない。茜は夢見心地で契約書にサインした。