婚約発表のパーティーも終わり、本格的に戦闘訓練が始まった。琴葉が能力を操れるようになり、魔形討伐隊に加わるためのものだ。宝条家には幸い、初代の力について詳しく書かれた書物がある。その記述を踏まえ、神楽(かぐら)に詳しい人を呼んで練習が始まった。

「初めまして、琴葉様。うちは宝条の分家、宮部(みやべ)家の当主、(かすみ)言います。宮部家は京都で神職をしとります。神楽ならわりかし詳しいさかい、ここに呼ばれました。書物とうちの知識を合わして、琴葉ちゃんを立派な能力者に育て上げますんで、よろしゅうおたの申します。」

和服姿の宮部霞という女性が、柔らかい声で京言葉を紡ぐ。仕草の一つ一つが洗練されていて美しい。思わず一瞬見惚れてしまった琴葉だが、慌てて自己紹介を返す。

まずは霞の持っている知識と、書物に書かれていることの照らし合わせから始まった。琴葉は能力の発現からこれまでの間、暇さえあれば書物を読んでいたので、だいたい中身はわかっている。

初代神楽家と初代宝条家が結婚して子を成したのは本当のようで、宮部家に伝わる伝統的な神楽は初代のものとほとんど一致していた。代々受け継がれていたのだろう。では、なぜ神楽家には何の情報も残っていなかったのだろう?琴葉は疑問に思ったが、縁を切った今、そんなことを考えても仕方がないと思い直し、練習に集中した。

霞は基本的な動きとその意味を丁寧に説明してくれた。隣で同じような動きをしてみるが、大して運動能力の高くない琴葉はあまりうまく体を動かせないでいる。鈴葉も運動はあまり得意ではなかった。きっと遺伝的なものなのだろう。

しばらくしてレッスンが終わる。霞は週に1回のペースで京都から東京の珀の家まで来てくれるようで、その感謝を述べて見送った。

だが、戦闘訓練自体は終わりではない。神楽を舞うのは強い願いを神に届けたい時と書物には書かれている。普段、小さな祈りを捧げるのであれば、願いを込めながら歌を歌うと能力が発動するらしい。誘拐された小屋でやったことだ。

能力の発動練習は八重樫先生が担当してくれることになった。今まであまり知らなかったが、八重樫先生は宝条の分家のさらに分家の出身で、光を少し操れるくらいの弱めの能力持ちらしい。宝条一族の長男ということで、それなりに厳しい教育を受けたそうだが、それに耐えられず音楽の道に逃げたと教えてくれた。今は家は弟が次いでいると言う。

能力についてわかっていて、さらに音楽に詳しいとなると神楽家と八重樫先生くらいしかおらず、琴葉は神楽家と縁を切ったので、必然的に八重樫先生が適任となる。

「琴葉様、レッスンの時間が増えたみたいですね。改めてよろしくお願いします。僕は能力は弱いですが、感覚についてわかる分は説明しますんで、お任せください!」

まずは込める願いを考えないといけないということで、何を願うか一緒に考えるところからスタートする。

「能力ってのは、エネルギーの放出みたいなものなんですよ。だから、願いを叶える能力ってことは本気で願わないとダメで。何か小さな願い、ありませんか?」

そんなことを言われても琴葉にはよくわからない。欲しい物もよくわからない人間が小さな願いと言われてパッと思いつくはずがないのだ。

「って言われても思いつきませんよね。まずは身近なところから色々試していきましょうか。僕も神楽の力の本質をわかっているわけではありませんし。念力みたいな感じですが、物を手繰り寄せるとかどうでしょう?」

物を手繰り寄せたいというのが願いに当たるのかわからないが、やってみないことにはわからない。琴葉は頷いた。

「では、楽譜を端っこに置きますので、その場で楽譜が必要だと強く思いながら歌ってみてください。曲は……、そうですね、『星に願いを』にしましょうか!」

数ヶ月前から、音楽のレッスンの中で色々な楽器に触れてみようということになり、ピアノのレッスンだけではなく、歌や笛、木管楽器や金管楽器、さらには打楽器などを体験していた。その時に練習した曲、「星に願いを」を歌い始める。

楽譜が必要、楽譜が手元に欲しい、そう頭で考えるが、何も起こらない。別に今楽譜が本当に必要なわけではないし、考えるだけで願うことができていないのが自分でもわかる。結局、歌い終えるまで何も起こらなかった。

それから、メイドを防音室まで呼びつけようとしてみたり、八重樫先生にテレパシーのようにメッセージを頭に送りつけようとしてみたり、とにかく色々と試してみたが、力はうんともすんとも言わなかった。数時間やってみて、先生も琴葉も疲れ切ったため、その日は諦めることにしたのだった。

それから、対魔形の護身術のレッスンも始まった。魔形討伐に向かうには、孤立した時など緊急時に備えて魔形と1人で戦えるようにしておかなくてはならない。

琴葉はこれまで玄や鈴葉にたくさんの暴力を振るわれて生きてきたが、それらを避けようと思ったことはないし、拳を振り上げられると恐怖で目を瞑ってしまう。それでは戦うどころか襲われて即死がオチだ。というわけで、護身術と同時並行で精神的なカウンセリングも受けることになった。

こんな風に、これまでの貴族としての知識をつける授業、音楽のレッスンに加え、神楽のレッスン、能力発動の訓練、護身術、カウンセリングが始まったため、琴葉の日常はとても色濃いものになっていた。忙しくて大変ではあるが、珀の隣に立つため、とどれも全力でこなした。

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1ヶ月ほどが経ち、忙しい生活の成果が目に見える形で表れていた。貴族としての立ち居振る舞いはほとんど問題なくこなせるようになり、必要な知識・教養も頭に入っている。最初は固い動きしかできなかった神楽も最近では滑らかに舞えるようになり、護身術でも訓練用の仮想魔形が襲ってきても目を閉じずにしっかり敵を見据えて動けるようになった。

しかし、能力発動に関してはほとんど進展がない。たまたま珀が家で仕事をしている時、珀を呼び寄せようと歌った時に体からほんの少しだけ光の粒が漂い出したくらいで、結局呼び出すことはできなかった。それ以外は全くうまくいかず、光の粒さえ出ないため、発動条件を探すにしても成功例が足りなくてできない状況になっていたのだった。

それでも継続が大事だろうということでレッスンだけは続けることにしていた。八重樫先生もいろんな文献に当たってみて初代の記述がないか探してくれている。琴葉が実戦で活躍できるように、たくさんの人が動いてくれているのだ。その気持ちを無碍にするわけにはいかない。

琴葉は壁にぶつかるたび、持ち前の自己肯定感の低さが正面に出てきてしまって、自分にはもうできないのではないかと思ってしまうが、周囲の人の後押しに持ち直して何度も挑戦するのだった。