貴族としての立ち居振る舞いのレッスンと音楽のレッスンをひたすらにこなし、気づけばすぐんい10月になっていた。婚約発表のパーティーの日である。
珀の家は朝から大忙しだ。今回は珀が主催となるため、使用人もメイドも宝条家の他の者もみな準備に追われている。婚約者として登壇する琴葉のおめかしも重要である。1週間ほど前に届いた紺のドレスを来て、いつも以上に念入りにメイクアップ。髪もドレスに合わせてセットしてもらった。もちろん、考えたのは専属メイドの結依である。
「琴葉様!本当にお美しいです!ああ私はなんて素晴らしいお役目についているというのでしょう!こんな素敵な方の専属メイドだなんて!」
朝からハイテンションの結依には申し訳ないが、琴葉は緊張で返事をしている余裕はない。頭の中で何度も何度もシミュレーションをする。登壇の流れ、挨拶の仕方、気をつけるべき事項。参加者名簿に目を通しつつ、誰がどんな職についていて、どんな会話が予想されるかが書かれたリストも一生懸命読んだ。忙しく時間がない中、隼人が作ってくれたのだ。しごできもここまで来ると恐怖でしかない。
準備が終わり、玄関へと向かう。その途中、部屋から出てきた珀とかち合った。
「……っっ!!」
珀が何も言わずに固まってしまったため、琴葉はそれほどドレスが似合わないのかとがっかりしていると、気づいたら珀のタキシードが目の前にあった。状況を把握するのに数秒は要したと思う。
「綺麗だ。本当に似合っている。パーティーなんてなくして2人で一緒にいたい。」
その言葉がお世辞ではなく本心からのものだと伝わってきて、琴葉はほっとする。服屋の店員はああ言っていたが、とはいえやはり背伸びして似合わないドレスを選んでしまったのではと不安だったのだ。珀が似合っていると言ってくれたら、それで十分。
「珀様、本日のパーティーはあなたが主催です。早めに会場に向かわなくては。」
雰囲気をぶち壊しに来ているような隼人の声に、珀が一気に不機嫌になる。
「珀様、今日はずっと一緒におりますから、そんな顔をなさらないでください。」
励ましになっているかわからない言葉をかける琴葉。珀がパーティーが嫌いなのは、この場の誰もが知っている。主催なんて滅多にやらない。それでも、琴葉との婚約を世に示すために、本当にそれだけのためにパーティーを開いたのだ。
「それもそうだな。」
次の瞬間、足が急に宙に浮いた。珀の顔がギュンと目の前に来る。何事かと思ってあたふたしてしまう琴葉に、落ち着けと珀が言うが、落ち着いていられない。どうやら、お姫様抱っこをされているようだ。毎度毎度突然こういうことをするから本当に困ってしまう。嬉しいけれど。
「綺麗なお前を見れて浮かれているんだ、これくらい許せ。」
そのまま車まで運んでくれた。パーティー用のヒールを結依が持ってきてくれる。車が発進してもなお、琴葉の顔はずっと赤いままだった。
※ ※ ※
会場に到着し、他の客が来る前にと大広間の最終確認に向かう珀。琴葉はその間控え室で待つことになっていた。すると、控え室のドアがノックされる。
「琴葉ちゃん!会いたかったのよ〜!今日もかわいいわね。ドレスとっても素敵だわ〜!」
「久しぶりだね、琴葉ちゃん。今日はよろしくね。」
宝条現当主夫妻、一史と穂花が入ってきた。今日は珀が主催だが、それすなわち宝条主催ということ。現当主が開場前に来ているのは当たり前のことである。そして、準備が一段落したところで、控え室の琴葉に会いに来てくれたようだった。
「この間の一件は、本当に申し訳ない。僕がもっと護衛を出していればあんなことにはならなかったんだ。これからは琴葉ちゃんも大変だと思うけど、僕も精一杯支えるからね。この立場なら一通りのことはできちゃうからさ!」
一史が深々と頭を下げてきたから、琴葉は狼狽えてしまう。護衛は働いてくれていたし、笛吹きに耐性がない人がほとんどだったから仕方ないことなのだ。しかし、謝罪を受け入れないのは失礼に値するため、能力の発現で怪我はなかったことと今後の配慮への感謝を述べる。
そのまま世間話を続けていると、珀が迎えに来た。そろそろ開場の時間だ。
珀のエスコートで大広間へと向かう。緊張で手と足が揃って動いてしまいそうなくらいカチカチな琴葉を珀が懸命に落ち着かせようとする。
「今日は常に俺がついている。それに貴族令嬢として出る初めてのパーティーなんだから、たとえうまくいかなくてもみんな温かい目で見てくれる。それでも不安になったら俺を見ろ。安心させてやる。」
珀の強気な言葉に不思議と緊張は少し落ち着いた。手足に血が巡るようになったのがわかる。
徐々に人が集まり出した。最初に主催の挨拶と婚約発表を済ませてから、個人での会話を楽しむ立食パーティーとなっているため、まずは2人でステージ横に移動する。
あっという間に主催挨拶のタイミングが来て、珀のエスコートで壇上に上がる。人前に立つことがなかった琴葉はもうあまりの緊張に卒倒してしまいそうだ。縋るように珀を見上げると、こちらを向いてにこりと微笑んでくれる。それだけでいつも通りに戻れる気がした。
「本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。」
マイクをオンにして、珀が挨拶を始める。貴族特有の長々とした挨拶の間、琴葉は夢見心地で会場を眺めていた。豪奢なシャンデリア、テーブルクロスのかかった円テーブルを囲むように立ち、ステージを見つめる貴族たち、端っこに配置された護衛たち。貴族令嬢のグループがひそひそと噂をしているのが見える。きっと琴葉の悪口だろう。あるいは琴葉の存在を知らない人たちという可能性もある。
「今日はみなさんに一つお知らせしたいことがございます。もうご存知の方も多いでしょうが、私、宝条珀は、今隣にいる神楽琴葉嬢と婚約いたしました。」
あからさまに嫌そうな顔をする貴族令嬢たちもいれば、微笑ましく見守っている貴族もいる。珀の人気は本当に計り知れない。
珀の話が終わった。次は琴葉が挨拶をする番だ。震える手でマイクを握り、何度も頭の中で唱えた言葉を口から出す。
「本日はお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。ただいまご紹介に預かりました、神楽琴葉と申します。この度、宝条珀様と婚約いたしましたことを、ここにご報告いたします。貴族として未熟ではございますが、宝条家の次期当主の婚約者として、その立場にふさわしい振る舞いを心がけて参る所存です。以後、お見知り置きを。」
マイクを白い布がかかった長テーブルに置き、仕草に気をつけながらふわりと礼をする。大きな拍手が聞こえる。琴葉はまばらな拍手にならなくて良かったと心底安心しつつ、人前に出るってこんなに緊張するんだ、と実感したのだった。
珀が立食パーティーの開始を宣言し、琴葉をエスコートしてステージを降りる。静かだった会場が一気にガヤガヤと様々な音を鳴らし始めた。
そこからは珀に連れられて挨拶回りをして、その度に同じ言葉を繰り返した。一通り重要人物との挨拶が終わり、次は予定通り一史にエスコートしてもらって紹介してもらう。宝条家現当主が琴葉を連れ紹介して回ることで、宝条家が琴葉を認めているということを知らしめることができるのだ。
「琴葉ちゃんはとってもいい子だからね〜、珀が連れてきた時はびっくりしちゃったよ〜。」
相変わらず緩いが、貴族のトップとしての実力はみな認めているようで、舐めた口を訊く者はいない。琴葉は一史の斜め後ろで、一史から学び取れることはないかと懸命に探すのだった。
すると突然、少し離れたテーブルから悲鳴のような声が聞こえ、そのあたりがざわつくのが聞こえた。何事かと琴葉もその周りの人物もみな、ざわめきの中心を見遣る。
遠くからでもわかる。そこにいるのは珀だった。人が多くて誰と一緒にいるのかわからないが、隼人が慌てているのが見える。
一史は近くの貴族への挨拶を素早く済ませ、琴葉を引き連れて珀の元へずんずんと向かった。琴葉は何がなんだかわからず困惑してしまう。
「おおかた何が起こったかわかるんだけどね〜。早く珀を止めないとみんなが危険だからちょっと急ぐよ〜。」
そう言って珀を中心にできる人だかりを掻き分けて一史は進んだ。
珀の家は朝から大忙しだ。今回は珀が主催となるため、使用人もメイドも宝条家の他の者もみな準備に追われている。婚約者として登壇する琴葉のおめかしも重要である。1週間ほど前に届いた紺のドレスを来て、いつも以上に念入りにメイクアップ。髪もドレスに合わせてセットしてもらった。もちろん、考えたのは専属メイドの結依である。
「琴葉様!本当にお美しいです!ああ私はなんて素晴らしいお役目についているというのでしょう!こんな素敵な方の専属メイドだなんて!」
朝からハイテンションの結依には申し訳ないが、琴葉は緊張で返事をしている余裕はない。頭の中で何度も何度もシミュレーションをする。登壇の流れ、挨拶の仕方、気をつけるべき事項。参加者名簿に目を通しつつ、誰がどんな職についていて、どんな会話が予想されるかが書かれたリストも一生懸命読んだ。忙しく時間がない中、隼人が作ってくれたのだ。しごできもここまで来ると恐怖でしかない。
準備が終わり、玄関へと向かう。その途中、部屋から出てきた珀とかち合った。
「……っっ!!」
珀が何も言わずに固まってしまったため、琴葉はそれほどドレスが似合わないのかとがっかりしていると、気づいたら珀のタキシードが目の前にあった。状況を把握するのに数秒は要したと思う。
「綺麗だ。本当に似合っている。パーティーなんてなくして2人で一緒にいたい。」
その言葉がお世辞ではなく本心からのものだと伝わってきて、琴葉はほっとする。服屋の店員はああ言っていたが、とはいえやはり背伸びして似合わないドレスを選んでしまったのではと不安だったのだ。珀が似合っていると言ってくれたら、それで十分。
「珀様、本日のパーティーはあなたが主催です。早めに会場に向かわなくては。」
雰囲気をぶち壊しに来ているような隼人の声に、珀が一気に不機嫌になる。
「珀様、今日はずっと一緒におりますから、そんな顔をなさらないでください。」
励ましになっているかわからない言葉をかける琴葉。珀がパーティーが嫌いなのは、この場の誰もが知っている。主催なんて滅多にやらない。それでも、琴葉との婚約を世に示すために、本当にそれだけのためにパーティーを開いたのだ。
「それもそうだな。」
次の瞬間、足が急に宙に浮いた。珀の顔がギュンと目の前に来る。何事かと思ってあたふたしてしまう琴葉に、落ち着けと珀が言うが、落ち着いていられない。どうやら、お姫様抱っこをされているようだ。毎度毎度突然こういうことをするから本当に困ってしまう。嬉しいけれど。
「綺麗なお前を見れて浮かれているんだ、これくらい許せ。」
そのまま車まで運んでくれた。パーティー用のヒールを結依が持ってきてくれる。車が発進してもなお、琴葉の顔はずっと赤いままだった。
※ ※ ※
会場に到着し、他の客が来る前にと大広間の最終確認に向かう珀。琴葉はその間控え室で待つことになっていた。すると、控え室のドアがノックされる。
「琴葉ちゃん!会いたかったのよ〜!今日もかわいいわね。ドレスとっても素敵だわ〜!」
「久しぶりだね、琴葉ちゃん。今日はよろしくね。」
宝条現当主夫妻、一史と穂花が入ってきた。今日は珀が主催だが、それすなわち宝条主催ということ。現当主が開場前に来ているのは当たり前のことである。そして、準備が一段落したところで、控え室の琴葉に会いに来てくれたようだった。
「この間の一件は、本当に申し訳ない。僕がもっと護衛を出していればあんなことにはならなかったんだ。これからは琴葉ちゃんも大変だと思うけど、僕も精一杯支えるからね。この立場なら一通りのことはできちゃうからさ!」
一史が深々と頭を下げてきたから、琴葉は狼狽えてしまう。護衛は働いてくれていたし、笛吹きに耐性がない人がほとんどだったから仕方ないことなのだ。しかし、謝罪を受け入れないのは失礼に値するため、能力の発現で怪我はなかったことと今後の配慮への感謝を述べる。
そのまま世間話を続けていると、珀が迎えに来た。そろそろ開場の時間だ。
珀のエスコートで大広間へと向かう。緊張で手と足が揃って動いてしまいそうなくらいカチカチな琴葉を珀が懸命に落ち着かせようとする。
「今日は常に俺がついている。それに貴族令嬢として出る初めてのパーティーなんだから、たとえうまくいかなくてもみんな温かい目で見てくれる。それでも不安になったら俺を見ろ。安心させてやる。」
珀の強気な言葉に不思議と緊張は少し落ち着いた。手足に血が巡るようになったのがわかる。
徐々に人が集まり出した。最初に主催の挨拶と婚約発表を済ませてから、個人での会話を楽しむ立食パーティーとなっているため、まずは2人でステージ横に移動する。
あっという間に主催挨拶のタイミングが来て、珀のエスコートで壇上に上がる。人前に立つことがなかった琴葉はもうあまりの緊張に卒倒してしまいそうだ。縋るように珀を見上げると、こちらを向いてにこりと微笑んでくれる。それだけでいつも通りに戻れる気がした。
「本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。」
マイクをオンにして、珀が挨拶を始める。貴族特有の長々とした挨拶の間、琴葉は夢見心地で会場を眺めていた。豪奢なシャンデリア、テーブルクロスのかかった円テーブルを囲むように立ち、ステージを見つめる貴族たち、端っこに配置された護衛たち。貴族令嬢のグループがひそひそと噂をしているのが見える。きっと琴葉の悪口だろう。あるいは琴葉の存在を知らない人たちという可能性もある。
「今日はみなさんに一つお知らせしたいことがございます。もうご存知の方も多いでしょうが、私、宝条珀は、今隣にいる神楽琴葉嬢と婚約いたしました。」
あからさまに嫌そうな顔をする貴族令嬢たちもいれば、微笑ましく見守っている貴族もいる。珀の人気は本当に計り知れない。
珀の話が終わった。次は琴葉が挨拶をする番だ。震える手でマイクを握り、何度も頭の中で唱えた言葉を口から出す。
「本日はお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。ただいまご紹介に預かりました、神楽琴葉と申します。この度、宝条珀様と婚約いたしましたことを、ここにご報告いたします。貴族として未熟ではございますが、宝条家の次期当主の婚約者として、その立場にふさわしい振る舞いを心がけて参る所存です。以後、お見知り置きを。」
マイクを白い布がかかった長テーブルに置き、仕草に気をつけながらふわりと礼をする。大きな拍手が聞こえる。琴葉はまばらな拍手にならなくて良かったと心底安心しつつ、人前に出るってこんなに緊張するんだ、と実感したのだった。
珀が立食パーティーの開始を宣言し、琴葉をエスコートしてステージを降りる。静かだった会場が一気にガヤガヤと様々な音を鳴らし始めた。
そこからは珀に連れられて挨拶回りをして、その度に同じ言葉を繰り返した。一通り重要人物との挨拶が終わり、次は予定通り一史にエスコートしてもらって紹介してもらう。宝条家現当主が琴葉を連れ紹介して回ることで、宝条家が琴葉を認めているということを知らしめることができるのだ。
「琴葉ちゃんはとってもいい子だからね〜、珀が連れてきた時はびっくりしちゃったよ〜。」
相変わらず緩いが、貴族のトップとしての実力はみな認めているようで、舐めた口を訊く者はいない。琴葉は一史の斜め後ろで、一史から学び取れることはないかと懸命に探すのだった。
すると突然、少し離れたテーブルから悲鳴のような声が聞こえ、そのあたりがざわつくのが聞こえた。何事かと琴葉もその周りの人物もみな、ざわめきの中心を見遣る。
遠くからでもわかる。そこにいるのは珀だった。人が多くて誰と一緒にいるのかわからないが、隼人が慌てているのが見える。
一史は近くの貴族への挨拶を素早く済ませ、琴葉を引き連れて珀の元へずんずんと向かった。琴葉は何がなんだかわからず困惑してしまう。
「おおかた何が起こったかわかるんだけどね〜。早く珀を止めないとみんなが危険だからちょっと急ぐよ〜。」
そう言って珀を中心にできる人だかりを掻き分けて一史は進んだ。