宝条珀は最愛の婚約者、琴葉が退院した翌日、神楽の本家を訪れていた。入院中に正規の手順で貴族としての会合を取り付けていたのである。もちろん、秘書である隼人も連れて。

珀としては要求はただ一つ。「琴葉に対して今後一切の神楽家の干渉を認めない」ということだけだ。要は縁を切ってくれということ。宝条家次期当主の婚約者に手を出したということで、神楽家はすでに社交界における地位を順調に落とし始めている。そのため、宝条家としては特に何も手出ししなくとも問題はないのだが、琴葉に手を出したらどうなるかということを他家に向けてもしっかり示しておかなくてはならない。

珀としても琴葉が今後危険な目に遭わないようにしたいので、この会合でこの要求をしっかり通すつもりでいる。

だが、宝条家が貴族のトップといえど、神楽家もそれなりに由緒正しい名家である。脳みそフル回転で向き合わなければ、はめられて自分たちが地位を落とす可能性だってないわけではない。

それがわかっている珀は、いつも以上に殺気立っており、隼人ですら軽口を叩くのを控えている。

「お待ちしておりました。宝条家次期当主様。応接室へとご案内いたします。」

殺気が漏れている珀を真っ青な顔で案内する神楽家の使用人。

「ようこそおいでくださいました、宝条珀様。本日はどのような御用で?。」

恭しく頭を下げる神楽家当主、神楽玄。玄と珀が向かい合って座る。珀は玄の態度にイラっとしたが、ここが琴葉を連れて帰った場所、と考えて無理やり苛立ちを抑える。

「まあまあ、そう焦らず。ゆっくり世間話でもしましょう。」

珀が殺気を全開にしたままにっこりと笑う。神楽家の秘書の顔色がサーっと悪くなる。玄は平気そうな顔をしているが、内心かなり焦っているはずだ。

珀はそれからしばらく魔形討伐界隈の人手不足やら先日の討伐出張で起こったことなどを1人で語っていた。玄の方はというと、早く本題に入ってほしいようで、少しずつ苛立ってきているのがわかる。相槌を打つのも面倒といった感じだ。

「……して、本題は何なのでしょう?」

痺れを切らして玄が珀に問いかける。珀はにぃっと口角を上げて少し黙った。その一瞬の沈黙が部屋の緊張感を一気に高める。

「そうですねぇ、では結論から申し上げましょうか。私は神楽琴葉さんと婚約させていただいております。婚約発表はまだですが、あなたはご存知ですよね。そりゃあそうだ、だって目の前で私が琴葉さんをもらったんですからね。」

一息ついて珀が話し続ける。

「それをご存知なのにもかかわらず、お嬢さんは琴葉さんを誘拐しました。客観的に説明いたしますと、神楽家が宝条家の次期当主婚約者に手を出した、という構図になっているわけですよ。お分かりですか?」

「……私は何も知らなかったのです。鈴葉が勝手にやったこと。鈴葉はあなたの婚約者になりたかったようですからな。」

間髪入れず玄が反論する。

「そうだとしても、起こってしまった事実は変わりません。というわけで、宝条家として一つ要求を呑んでいただきたいのです。」

珀は淡々と続ける。

「琴葉さんに対して、今後一切の神楽家からの干渉をやめていただきたい。神楽家と琴葉さんの縁を切っていただきたいということですね。」

玄の眉間にシワがよる。

「今回の件は鈴葉の独断。そして鈴葉は東北に飛ばされることになりました。これで沙汰は十分ではありませんか。琴葉は神楽家の娘です。突然縁を切ることになって、はいそうですかと了承できるわけもありません。」

今まで琴葉を散々蔑ろにしてきた人間とは思えない発言である。珀は笑みを深めて問いかける。

「なるほど、これまで琴葉さんを貴族令嬢として育ててこなかったあなたからそのような言葉を聞けるとは。ですが、私の婚約者を傷つける可能性のある方々は排除しておきたい。琴葉さんにとっての危険因子にならない証明はできるのでしょうか?それに、宝条家に何の得もないのですよ。何か利益をもたらしていただけるとでも?」

少し青い顔をしていた玄の顔が段々と赤くなっていく。怒り心頭といった顔である。

「先ほども申し上げましたが、今回の件は鈴葉の独断によるものです。私は琴葉に直接手を出したわけではないではありませんか!それに、今この人手不足の状況で貴族が団結せずにどうするというのです?神楽の力なしで今の魔形討伐は回せるとは到底思えません。宝条家に直接的な利益があるわけではないかもしれませんが、今は力を合わせる時です。」

憤慨した様子で早口に捲し立てる玄の言葉を珀は落ち着いた顔で聞いている。

「あなたは今回の件しか見ていないようですが、我々宝条家は神楽家が今まで琴葉さんにしてきたことも含めて今後の関係性を変えようと考えているのですよ。琴葉さんをほぼ虐待と言えるような形で育て、貴族令嬢としての教育を施さなかったのはあなたですからね。直接手を出していないとは言えません。貴族の団結についても、今の神楽家がそれを言えるのでしょうか?社交界では神楽家が宝条家に牙を剥いたという見られ方をしていますよ。団結すべき時に力を合わせようとせず、味方を傷つけようとしたのはそちらですからね。」

理路整然と説明する珀に、玄は何も言い返せないでいる。しかし、要求を呑むとは頑なに言わない。琴葉を手放したくないという思いが強く感じ取れるが、それは決して親子の情ではなく、琴葉の能力発現の情報が神楽家にも渡っているのだろう。

神楽家に伝承が残っているかはわからないが、神楽で神に願いを届ける力は神楽家の中でダントツで強力なものだ。それを自分の娘が発現したとなれば、手元に置いておきたくなるのも当たり前だ。

なかなか譲らない玄に珀は強硬手段に出ることにした。

「宝条家の出した条件を呑めないということは、神楽家は宝条家と敵対するおつもりということでお間違いないですか?そうなれば全面戦争は避けられませんねえ。」

笑みをすっと消して据わった目でこう言えば、玄は少しの思案を経て諦めたようだった。

「宝条家と全面戦争をしたいとは微塵も思っておりませんよ。わかりました、要求を呑みましょう。神楽家は今後琴葉には干渉致しません。」

こういう契約は紙に残しておかないと有効にならないし、相手が破った時に訴えたりそれを理由に戦争を起こすことができない。だから、隼人が用意しておいた契約書を取り出し、玄にサインさせた。

『今後一切、神楽家の者は宝条家次期当主婚約者である神楽琴葉に干渉できない。』

これが契約書に書かれた文章である。琴葉はまだ籍を入れていないため、名字は神楽のままだが、これで神楽家とは縁が切れて、宝条家の一員として生きていくことになる。

玄は署名しながら何か色々と考え込んでいるようだったが、何を企んでいようとすでに社交界での地位は落ちているし、これ以上宝条を敵に回すようなことがあれば、東京にはいられなくなってしまうかもしれない。首都機能が東京にあるため、政治の中心を担う地位の高い貴族は東京を拠点にすることが多いが、そうでない家は地方を拠点に置くしかないのがこの能力者社会だ。先のことを考えれば、もう神楽玄は宝条家に楯突くことはできないはずなのだ。

会合を終えた珀は殺気を撒き散らしながら神楽本家を去った。この時、珀も隼人もまたここに戻ってくることになるとは全く思っていなかったのである。