「そろそろいいかしらね。意識が飛んでしまったらまた起こすのが面倒だし、相良、一旦下がりなさい。」

男たちが離れていく。一周回って痛みを感じない。代わりに令嬢2人が近づいてきた。

殴られている間にわかったのだが、体を縛られているらしい。起きたての状態では気づかなかった。思うように動けないのはそのせいだろう。身を捩ってスマホを探す。位置情報さえ発信できればいいから、電源が落ちていなければいい。そう思ったが、どうやらスマホは奪われたらしい。

鈴葉がまたしゃがんで顔を覗き込んでくる。

「あら、いい顔ね。でも意識飛ばしちゃダメよ。」

そう言って、右頬に鋭いビンタをかましてきた。気付けのつもりだろう。いいとこの令嬢がやることではない。

「それで?答えはどうかしら?婚約破棄する気になりましたの?」

反対側から美麗の声。こちらはしゃがんでいないため、少し遠くから聞こえる。否定しなくちゃ。自分の意志で宝条に嫁ぐと決めたのだから。

掠れる声を絞り出す。

「嫌です。」

鈴葉の目がすっと細められる。顔立ちがいい鈴葉がそんな顔をすると、結構な気迫がある。次の瞬間、左頬にビンタが炸裂した。

「恥を知りなさい!あんたが珀様に嫁ぐだけで神楽はなんて言われるか!出来損ないのくせに!なんであんたに縁談が来たのよ!おかしいじゃない!ずっと私より下だったのに。無能者なんだからって断りなさいよ!」

言っていることがめちゃくちゃだ。結局、下に見ていた女に好きな男を取られて癇癪を起こしているだけなのだ。

段々と鈴葉の怒りがエスカレートしていくのが見える。次々と両頬にビンタを繰り返し、罵声を浴びせてくる。痛みを通り過ぎてジンジンと頬が熱くなる。

「ちょっと、鈴葉さん。みっともないですわよ。どうせこんな女に価値などないのですから、あんまり怒っても無駄ですわ。」

比較的冷静な美麗が鈴葉を止める。

「止めないでくださいませ!美麗さん。どうしてもこの人形を見ていると怒りが湧き上がってきて仕方がないのです!」

「だからと言って暴力を振るうのは令嬢として相応しくありませんわ。一度冷静になって。これが世間にバレてしまったらあなたの立場が危ういのよ。」

鈴葉の顔からすっと表情が消える。

「ええ、そうね。ありがとうございます、美麗さん。」

何を考えているのか全く伝わってこない。

「死になさい。婚約破棄できないのなら、死んでちょうだい。」

先ほどまでは荒れ狂うほどの怒りが伝わってきたのに、今度は静かな沸々とした怒りを感じる。美麗の一言で感情が変化したのだろうか。鈴葉の目が怪しく光っている。

静かに琴葉のブラウスの胸元を引っ張って体を起こし、無表情のまま感情の乗っていない声を出す鈴葉。

「聞こえているかしら?出来損ないさん、婚約破棄か死ぬかどっちか選びなさいって言ってるの。答えて。」

どうしても怯えてしまう。どちらの選択肢も選べるわけがない。そう言いたいのに、どうしても目の前に相手への恐怖が先立ってしまう。

でも、これでは前と何一つ変わらない。このままいじめられてメイド扱いのまま朽ち果てるだけだと思っていたあの頃と何も変わっていないじゃないか。仮初だろうと希望の光を掴み取ろうとしたのに、結局根本はそのままだと言うのか。

私は。まだ自信はないけれど、珀の隣に立ちたい。宝条現当主の奥様みたいに凛とした姿で貴族のトップを支える女になりたい。不安は消えないけれど、意志は変わらない。

自分の意志で選ぶんだ。もう、鈴葉や他の令嬢たちの言いなりのお人形にはならない!

それは、琴葉の精一杯の決意の声だった。

「わ、私は……ど、ちらも……選びません……!!」

自分の胸ぐらを掴む相手をキッと見据える。こうやって鈴葉の顔をしっかり見つめたことは、家での扱いが変わってから一度もなかった。姉の威厳、とは言わない。そんなのとうの昔に無くなっている。そうだとしても、譲れない意志はそこにあるんだ。

「あっそ、まあいいわ、死になさい。」

鈴葉は興味をなくしたような顔で雑に手を放した。体を縛られていてうまく受け身が取れない琴葉は後頭部を思い切り床に打ち付ける。でも、それも痛くはなかった。

「相良、自由にしていいわ。後は任せた。美麗さん、向こうの席でコーヒーでも飲みましょ。」

また男たちが集まってくる。抵抗は諦めて目を瞑る。殴られ、蹴られ、何度も床に転がされた。

「こいつ、宝条珀様を満足させている体だぜ。極上なんじゃねえの?」

「いや、でもあの方は女に興味ないらしいしゆーて普通なんじゃね?」

遠のく意識でそんな言葉が聞こえてきた。ああ、自分は本当に運がないんだと思い知る。自分の選択は正しかったのだろうか。でも、自分の意志に間違いはないし、こうするしかなかったんだ、とも思う。

助けに来てくれないかな、なんて赤く光る瞳を思い出す。鈴葉が好んでよく飲んでいたコーヒーの匂いが微かにした。淡く光る粒が漂っているのが視界に入り込んできたが、よくわからないまま意識を手放した。