「気は済んだか?」
焦った顔の珀がやっと泣き止んだ琴葉の顔を覗き込む。
「本当に申し訳ございません。せっかく珀様が考えてくださった昼食を台無しにしてしまい……。」
「お前が大丈夫ならいいんだ。それに、ちゃんと味わって食べれば台無しじゃないぞ。」
子どもをあやすように言われ、なんだかいたたまれない。
涙が止まったのを見計らったかのように、先ほどのウェイトレスが次の皿を運んできた。そのあとは特に何事もなく、2人とも順調にデザートまで食べ切った。
車に乗り込み、次の場所へと向かう。
辿り着いたのは、植物園だった。珀が植物に興味があるとは思わず、首を傾げて考える琴葉。あることを思い出して、合点が行ったようだ。
「そういえば、初めてお話した時も庭園でしたし、この間も本家に行った時、睡蓮を一緒に見ました。珀様はお花がお好きなのですか?」
珀は一瞬考えると、首を振る。
「いや、特段そういうわけでもないんだが、琴葉となら見たいと思う。」
よく理解できず、琴葉はきょとんとしてしまう。
「好きな相手となら何でも共有したいってことだ。」
少し笑ってそう言う珀。色とりどりの花々を眺め、時折ベンチで休憩しながら、穏やかな時間を過ごすこと約2時間半。植物園を出て、車に乗り込む時にはすでに赤い夕日があたりを照らしていた。
そのあとは美術館が併設されている施設に向かう。美術館で一通り絵画を眺め、施設内のレストランに歩いて移動する途中のことだった。
「あれは珀様じゃないかしら?」
聞き覚えのある甲高い声が聞こえてきた。見るな、と頭の奥で警鐘が鳴るが、体はすぐに反応して声の方へと向いてしまう。
やっぱり。忘れるはずもない。鈴葉の取り巻きの声だった。あの声に何度貶されたことだろう。気づかなかったふりをしてすぐに前を向く。
珀はというと、特に気にする様子もなく、琴葉をエスコートして進んでいく。
「どうしてあの”出来損ない”が、珀様の隣を堂々と歩いているのかしら?珀様の迷惑になっていることに気づいていないの?図々しいことこの上ないわね。」
鈴葉の声が段々と近づいてくるのがわかる。どうしてこんなところで会ってしまうのか。やはり琴葉には幸せになる権利がないというのだろうか。眼前がぐらぐらと揺れるような感じがする。どうやって歩けばいいのかわからない。いつの間にか前に進めなくなっていた。
「どうした、琴葉?大丈夫か?」
珀の声がする。返事をしなければと思うけれど、声の出し方がわからない。
だが、鈴葉と取り巻きが珀の前に立ったのははっきりとわかった。
「珀様。ご機嫌麗しゅう。今日もお仕事でしたの?」
「珀様、この間のパーティーの際は少ししかお話できませんでしたから、このあとお茶でもいかがでしょう?」
「この豊岡遥、精一杯珀様のお役に立ちます。どうか、ご一緒させていただけないでしょうか!」
チャンスとばかりに鈴葉も取り巻きも目をハートにして珀に近づく。珀は完全に無視して琴葉に声をかけ続ける。
「大丈夫か?レストランまで歩けそうか?それとも車呼んで今日は帰るでもいいぞ。無理するな。」
「……だい、じょう、ぶ……です……。」
やっとのことで声を振り絞る琴葉。
「あら、声をかけても全然反応しない出来損ないのお人形さんがどうして珀様と一緒にいるのかしら?珀様、そんな女よりも公私ともに珀様をお支えできる私の方が、婚約者にはふさわしいと思いますわ!何か宝条家に策略がおありなのかもしれませんが、同じ神楽の娘である私なら、問題ないはずですわよね。」
珀がやっと鈴葉たちの方を見やる。同時に、琴葉を守るように抱き寄せた。
「何を言っているんだ?琴葉よりお前がいい女だと?」
珀の声からは何の感情も読み取れない。
「ええ!もちろんですわ!この神楽家次女、神楽鈴葉は、その女とは違って能力を使えますし、第一その女は貴族教育などほとんど受けていませんから、珀様の隣には全くふさわしくございません。神楽の娘として教育を受けてきたこの私こそ、珀様の婚約者にふさわしいはず。みなさんもそう思っていますわ。ね?」
取り巻きたちが勢いよく頷くのが見える。鈴葉は琴葉の方を真っ直ぐ見て言い放つ。
「神楽の恥と言われて育った出来損ないさん?あなた、宝条家に嫁ぐことになって、まるでシンデレラみたいね。でも、所詮あなたは貴族でも何でもない、無能力者。珀様とは不釣り合いにもほどがあるのよ。シンデレラは身の程を弁えて、またうちで下働きなさい。」
いつものように、鈴葉と取り巻きが甲高い笑い声を発する。
「おい。」
地を這うような低音が空気を震わせた。珀の声だ。
「人を蹴落として自分が成り上がろうってか?それでいい女だって?笑わせるな。俺にふさわしい女は俺が決める。そして、お前みたいな自己中極まりない女が俺の隣に立つことは絶対にない。」
珀の体を黒い光が纏い始める。琴葉の腰に回されている手からはビリビリと電流が流れるような感覚が伝わってくる。
誰かがスタスタと近づいてくるのに気づいた。
「珀様。」
白い手袋をはめた細い手が、珀の目の前に現れた瞬間、黒い光はすっと収まった。
「隼人か。この場を片付けてくれ。琴葉、行こう。」
珀は琴葉をエスコートして、鈴葉たちを置き去りに、何事もなかったかのようにレストランへと歩き始めた。
「お嬢様方、命拾いされましたね。」
なんておどける隼人の声が段々遠ざかっていく。レストランの前に辿り着いて、珀はやっと止まった。
「守れなくてすまない。本当に。」
ほんの少しだけ珀の顔が歪んでいるのが見える。
「珀様が謝られることではありません。むしろ、私のせいでご迷惑をおかけしてすみませんでした。」
まだ心臓がバクバクしているが、とりあえず鈴葉たちから離れられたため、なんとか心を落ち着けることができている。
昼間と比べて会話は減ったが、レストランで夕食を済ませた。とても美味しい料理だったし、夜景も綺麗だったが、この幸せは一時的なものなのではないかという不安がどうしても過ってしまう。
珀は何度も心配する声をかけるが、これ以上心配をかけるわけにはいかないと、琴葉は大丈夫の一点張り。
こうして、初めてのデートはあまりよくない形で終わったのだった。そして、この事件は徐々に琴葉の心を蝕んでいくことになる。
焦った顔の珀がやっと泣き止んだ琴葉の顔を覗き込む。
「本当に申し訳ございません。せっかく珀様が考えてくださった昼食を台無しにしてしまい……。」
「お前が大丈夫ならいいんだ。それに、ちゃんと味わって食べれば台無しじゃないぞ。」
子どもをあやすように言われ、なんだかいたたまれない。
涙が止まったのを見計らったかのように、先ほどのウェイトレスが次の皿を運んできた。そのあとは特に何事もなく、2人とも順調にデザートまで食べ切った。
車に乗り込み、次の場所へと向かう。
辿り着いたのは、植物園だった。珀が植物に興味があるとは思わず、首を傾げて考える琴葉。あることを思い出して、合点が行ったようだ。
「そういえば、初めてお話した時も庭園でしたし、この間も本家に行った時、睡蓮を一緒に見ました。珀様はお花がお好きなのですか?」
珀は一瞬考えると、首を振る。
「いや、特段そういうわけでもないんだが、琴葉となら見たいと思う。」
よく理解できず、琴葉はきょとんとしてしまう。
「好きな相手となら何でも共有したいってことだ。」
少し笑ってそう言う珀。色とりどりの花々を眺め、時折ベンチで休憩しながら、穏やかな時間を過ごすこと約2時間半。植物園を出て、車に乗り込む時にはすでに赤い夕日があたりを照らしていた。
そのあとは美術館が併設されている施設に向かう。美術館で一通り絵画を眺め、施設内のレストランに歩いて移動する途中のことだった。
「あれは珀様じゃないかしら?」
聞き覚えのある甲高い声が聞こえてきた。見るな、と頭の奥で警鐘が鳴るが、体はすぐに反応して声の方へと向いてしまう。
やっぱり。忘れるはずもない。鈴葉の取り巻きの声だった。あの声に何度貶されたことだろう。気づかなかったふりをしてすぐに前を向く。
珀はというと、特に気にする様子もなく、琴葉をエスコートして進んでいく。
「どうしてあの”出来損ない”が、珀様の隣を堂々と歩いているのかしら?珀様の迷惑になっていることに気づいていないの?図々しいことこの上ないわね。」
鈴葉の声が段々と近づいてくるのがわかる。どうしてこんなところで会ってしまうのか。やはり琴葉には幸せになる権利がないというのだろうか。眼前がぐらぐらと揺れるような感じがする。どうやって歩けばいいのかわからない。いつの間にか前に進めなくなっていた。
「どうした、琴葉?大丈夫か?」
珀の声がする。返事をしなければと思うけれど、声の出し方がわからない。
だが、鈴葉と取り巻きが珀の前に立ったのははっきりとわかった。
「珀様。ご機嫌麗しゅう。今日もお仕事でしたの?」
「珀様、この間のパーティーの際は少ししかお話できませんでしたから、このあとお茶でもいかがでしょう?」
「この豊岡遥、精一杯珀様のお役に立ちます。どうか、ご一緒させていただけないでしょうか!」
チャンスとばかりに鈴葉も取り巻きも目をハートにして珀に近づく。珀は完全に無視して琴葉に声をかけ続ける。
「大丈夫か?レストランまで歩けそうか?それとも車呼んで今日は帰るでもいいぞ。無理するな。」
「……だい、じょう、ぶ……です……。」
やっとのことで声を振り絞る琴葉。
「あら、声をかけても全然反応しない出来損ないのお人形さんがどうして珀様と一緒にいるのかしら?珀様、そんな女よりも公私ともに珀様をお支えできる私の方が、婚約者にはふさわしいと思いますわ!何か宝条家に策略がおありなのかもしれませんが、同じ神楽の娘である私なら、問題ないはずですわよね。」
珀がやっと鈴葉たちの方を見やる。同時に、琴葉を守るように抱き寄せた。
「何を言っているんだ?琴葉よりお前がいい女だと?」
珀の声からは何の感情も読み取れない。
「ええ!もちろんですわ!この神楽家次女、神楽鈴葉は、その女とは違って能力を使えますし、第一その女は貴族教育などほとんど受けていませんから、珀様の隣には全くふさわしくございません。神楽の娘として教育を受けてきたこの私こそ、珀様の婚約者にふさわしいはず。みなさんもそう思っていますわ。ね?」
取り巻きたちが勢いよく頷くのが見える。鈴葉は琴葉の方を真っ直ぐ見て言い放つ。
「神楽の恥と言われて育った出来損ないさん?あなた、宝条家に嫁ぐことになって、まるでシンデレラみたいね。でも、所詮あなたは貴族でも何でもない、無能力者。珀様とは不釣り合いにもほどがあるのよ。シンデレラは身の程を弁えて、またうちで下働きなさい。」
いつものように、鈴葉と取り巻きが甲高い笑い声を発する。
「おい。」
地を這うような低音が空気を震わせた。珀の声だ。
「人を蹴落として自分が成り上がろうってか?それでいい女だって?笑わせるな。俺にふさわしい女は俺が決める。そして、お前みたいな自己中極まりない女が俺の隣に立つことは絶対にない。」
珀の体を黒い光が纏い始める。琴葉の腰に回されている手からはビリビリと電流が流れるような感覚が伝わってくる。
誰かがスタスタと近づいてくるのに気づいた。
「珀様。」
白い手袋をはめた細い手が、珀の目の前に現れた瞬間、黒い光はすっと収まった。
「隼人か。この場を片付けてくれ。琴葉、行こう。」
珀は琴葉をエスコートして、鈴葉たちを置き去りに、何事もなかったかのようにレストランへと歩き始めた。
「お嬢様方、命拾いされましたね。」
なんておどける隼人の声が段々遠ざかっていく。レストランの前に辿り着いて、珀はやっと止まった。
「守れなくてすまない。本当に。」
ほんの少しだけ珀の顔が歪んでいるのが見える。
「珀様が謝られることではありません。むしろ、私のせいでご迷惑をおかけしてすみませんでした。」
まだ心臓がバクバクしているが、とりあえず鈴葉たちから離れられたため、なんとか心を落ち着けることができている。
昼間と比べて会話は減ったが、レストランで夕食を済ませた。とても美味しい料理だったし、夜景も綺麗だったが、この幸せは一時的なものなのではないかという不安がどうしても過ってしまう。
珀は何度も心配する声をかけるが、これ以上心配をかけるわけにはいかないと、琴葉は大丈夫の一点張り。
こうして、初めてのデートはあまりよくない形で終わったのだった。そして、この事件は徐々に琴葉の心を蝕んでいくことになる。