何も言わないからって、何も思っていないわけではない。
そのことに気付いたのは、高校一年生の秋だった。
盗聴を始めた時、自分の中でルールを決めていた。
聞くのはいじめに関することだけで、プライバシーは侵害しない。
だけどその誓いは、二週間で砕かれてしまった。
平日、夜十時半頃。十一月半ばの気候は寒く、自転車を漕ぐのはさぞ寒いだろうと思いながら、学生カバンに入っているスマホのGPS頼りに小春の動向を伺っていると奇妙なことが起きた。
家に向かっているはずなのにいきなり方向を変え、移動スピードは速くなっていく。
その動きからまた呼び出されたのかと身構えた俺は音声モードをオンにして、全神経をスマホに当てている耳に集中させる。
証拠を掴みたい一心で。
『お母さん!』
しかし聞こえたのは母親を呼ぶ声で、その後はポソポソと何かを話し合っているのだろうと予想を立てるぐらいに声は小さく、スマホは学生カバンの中に入っているようで会話を拾うには無理があった。
小春は内藤さん達に呼び出されたんじゃない。母親だと分かったから、これ以上は聞いてはならない。
何度も自分に言い聞かせたが俺の手は一向に動かず、いつもと話し方が違う小春の声にただ耳が離せなかった。
『私は、お母さんのようになりたくないから!』
ハッキリと聞き取れた言葉と怒声に、思わず握っていたスマホを落としてしまう。
今の声、今の言葉。一体誰が言ったんだ?
そう疑ってしまうぐらいに小春が放ったと信じられなかった。
正直な気持ちを吐露すると、真っ先に過った感情は「幻滅」だった。
大人しくて、穏やかで、優しくて。
そんな彼女に惹かれていたからこそ、この強い口調に、このキツい物言いに、理想の女子像がガラガラと崩れ落ちてしまった。
喧嘩か何か知らないが、親にそんな酷いことを言うなんて、信じられなかった。
色々と考えていくと行き着くのは、俺が知らないだけで彼女には二面性があるのではないかという捻じ曲がった考え。
だからいじめられているのでは……、そんな歪んだ発想まであった。
もう、助けなくていいんじゃないか?
そんな声が聞こえたような気がした。
か弱い彼女だから、助けないといけないと思った。理不尽な目に遭っているから、手を差し伸べないといけないと思っていた。
だけどそれが自業自得なら、別に俺がなんとかしなくても良いだろ?
だからもういいやって、本気で思ってた。
元々関わりも減ってたし、クラスだってこの先も違うんだから、このままフェードアウトしていけば良い。
もう関わりたくない。彼女を嫌いになりたくない。これ以上傷付きたくない。
そんな弱くて、どこまでも身勝手な考えから、俺は正義とも呼べない行為を終わらせた。
しかし考えてしまうのは、小春のことばかりだった。
普段から口数が少なくて、あまり笑わなくて、翔のような体格の良い男をやたらに避け、大きな声を怖がる。
何かを抱えていると感じていたが、さすがの無神経な俺でもそこは触れてはならないと分かっていた。だからこそ、軽く流してきた。
だけど、知りたくなった。
俺の好きだった表の顔だけでなく、その裏側を。
その方法までもが盗聴だったというのが、どこまでも俺らしい、ねちっこいやり方で呆れ返ってしまうんだけど。
三日後の夜、十一時頃だったと思う。
それはバイトが終わり帰ってきた小春の、怒声から始まった。
今回は室内だったようで、また話にスマホが必要だったことから見せながら話しているようで、話の内容がしっかり聞き取れた。
結論から言うと小春の怒りはもっとで、俺なら手が出てしまうかもしれない理不尽な状況だった。しかし彼女は時折深呼吸をして感情論ではなく、事実を淡々と話していく。
それでもヘラヘラと笑い悪びれない母親に「もういい」と言う小春の声は干からびていて、もう全てを諦めているようだった。
親ガチャ。
俺はその言葉が大嫌いだ。
ガチャはランダムでアタリハズレがあり、それはゲームやおもちゃの景品とされるものに使う言葉。
それを人間相手に使うなんて。
人生はゲームじゃないし、親にアタリもハズレもない
生まれ育った環境を受け入れて咲け。その言葉の方がしっくりきていた。
しかし小春から放たれる不満は、まるで映画のようにドラマチックで、リアルでそんな親がいるのかと疑いたくなるほどだった。
もし俺達の生まれる家が入れ替わっていたら、小春は名門私立校に通えていただろうし、少なくても特進クラスに在籍したままでいられただろう。
そう、二年で普通クラスに籍を変えたのは、いじめが原因ではなかった。
勉強についていけなかったからだ。
周りは塾に通い勉強する中で小春はバイトをし、明日の生活費を考えなければならない毎日。
全ては、生まれる家が悪かったから。
『感傷に浸っているところ申し訳ないですが、まだゲームは終わっていませんよ? 片桐慎吾くん、佐伯小春さん。死の指輪を外して、この呪われた校舎から脱出してください』
落ちたスマホより流れる、どこまでも残忍な笑い声。
その言葉から分かる。凛は翔と共に、人生を終わらせたのだと。
ピッ、ピッ、ピッ。
やはり、このまま無条件では終わらないか……。
俺は腕で目をゴシゴシと乱暴に拭い、小春の手を取る。
「慎吾……」
「大丈夫。俺は小春のこと好きだから、指輪を外せる。だから小春は、そのまま校舎から出ていけば良いんだ」
「慎吾、は……?」
カタカタと震える指を両手で包み込み、淡々と話しかけた。
「音霧さんを見てただろう? 許せない相手の指輪を外すとルール違反によって、爆発する。だから、小春一人で出て行って欲しい。……それは出来ますよね、主催者さん? そうじゃないと三上さんに話した、『相手を見捨てる選択肢もある』に矛盾しますよね?」
『ええ。彼女に見捨てられた哀れな男として、盛り上がりますからね』
意気揚々と返答する声には若干の苛立ちが混ざっているように感じ、やはり今牽制を張らなければ理不尽なルール変更をされていたかもしれないと気付く。
生存者が出た時より、全滅エンドの方が投げ銭は増え、収益も上がる。
そんなことが、まとめサイトに書いてあった。
バクバクと鳴る心臓を抑え、はぁっと息を吐いた。
中学三年生の春。小春を変に意識してしまい関わりが持てなくなってしまった時。翔に、「そんなことしてたら大切なもの失くす」と忠告されたことがあった。
「俺は翔と違って、全て足りないから」と悪態を突いてしまい空気を悪くしてしまったが、翔は軽く笑い飛ばしてくれ、「慎吾に足りないのは度胸だけ」だと、言われたことを思い出していた。
「途中のルール変更は当たり前だった」
凛が得た情報と、遺してくれた言葉。
それがなかったら、俺はただ主催者の言いなりになってしまっていただろう。
凛。いつもナヨナヨしていて、面倒ごとを避けようと簡単に謝ってしまう俺に対して、苛ついていたことは分かっていた。
あの謹厳実直さはどこまでも眩しく、そして正直苦手意識を持っていた。
『最後ぐらい、良い奴だったとか思われたいじゃない?』
凛は、そんな俺の思いに気付いていたのだろう。
そんな本音を隠せない俺だからこそ、より傷付けていた。
本当に俺は、生きてるだけで罪深い奴だよな。だから、二人のもとに行くよ。
大丈夫、二人の仲を邪魔するつもりなんかないから。
大丈夫、小春は助けるから。
「でも……」
「俺さ、一回だけ、小春のこと嫌だなって思ったことあるんだ。『私は、お母さんのようになりたくない』。そう言ってるの聞いた時に。……最低だよな、盗聴して勝手に話聞いて、勝手に理想と違ったと幻滅して、一面だけ見て嫌だと思う。その言葉が出てくるまでにどんな背景があって、どんな気持ちがあったかなんて、何も考えてなかった。前に、『バイトなんか無理にしなくて良い』とか言ったこともあったよな? あの時、小春は何も言わずに帰っていったけど、内心すごくムカついただろ? お前に何が分かるんだって、甘やかされている奴には分からないって思っただろ? ……俺はそうゆう、どこまでも無神経な奴なんだよ。だから、許せないだろう?」
「……そんな、ことは……」
目をスッと逸らし、唇をキュッと噛み締める。
これは小春が言いたいことを我慢している時の仕草で、そうとうなものを溜め込んでいるのだと嫌でも察せられる。
小春に、俺の指輪は外せない。
だったらせめて、俺が……。
「待って! 私の話を聞いて欲しいの!」
突然声を張り上げた小春は、俺から手を引っ込めてしまった。
「じ、時間が!」
「私だけ何も明かさないのは、不公平だと思う。だから私は、私の本性を密告します!」
こちらを見据える瞳は見たことのない真っ直ぐで、そんな姿初めて目の当たりにした。
『クククッ、面白くなってきましたね。では佐伯小春さん、ご自身の罪を暴露をしてください。大人しく、良い子とされる、あなたの醜い本性を』
黄色の点滅が速くなっていた指輪の光は突如止まり、脳を揺らすような警告音は消え、一時のみの安らぎを与えられる。
しかしこれは生存への道ではない。
むしろ、狡猾な……。
「小春、これは罠だ! 別に良いんだよ、秘密なんかあっても! 品行方正な人間なんて、誰一人いるわけないんだし! ……誰だって、取り繕って生きてるんだから!」
俺の言葉に目を丸くした小春は、眉を下げて「ありがとう」と呟く。
しかしスマホを操作する手を止めることはなく、見てほしいとスマホの画面を俺に向けてきた。
『あなたが壊したい世界はありませんか?』
その文面から始まる文章には、小春の生まれ育った環境、受けたいじめの内容が事細かく記入されており、「あなたの復讐をお手伝いします」の言葉で締め括られていた。
「……まさか」
「私ね、このメールに返信していたの。だから、このゲーム。人が死ぬゲームにエントリーしたも同義、なんだ……」
力無く膝元に下ろしたスマホに、小春の涙がポタリと落ちる。
「裏切り者は翔だけじゃない。私もだった」
『それは事実です。去年の十一月二十八日。佐伯小春さんから、スマホのメールにてエントリーがありました。片桐くんは、証拠品の確認をしてください』
スマホに映し出されたのは、たった一文。そこには。
[もう死にたい。あの人達と一緒に、私を殺してください。]
これほど悲しい文章を読んだのは、初めてだった。
この日は、小春が公園の多目的トイレに呼び出された次の日。
朝方の時間だったことから、あの後に打ち込んだのだろう。
「一回目のゲームが終わった後、翔の火傷を冷やす用に保健室に氷水を取りに行ってたんだけど、その時にスマホが鳴ったの。もしかしたら……お母さんじゃないかって見たら、あのアプリからの通知で、『あなたの願いを叶えにきました』という文と共に、あの人……、内藤南は四番目に指名する。送付した証拠品を密告すれば、あなたの復讐は果たされる。だから、安心して死んでくださいって……」
口元を抑え、ハアハアと息を切らせる小春から止めどない涙が溢れていく。
その表情は恐怖に歪んでいたけど、どこか救われたようにも見えて、ずっと一人で確実に訪れる死に怯えており、やっと打ち明けられて僅かに心が和らいだのだと伝わってきた。
[もう死にたい。あの人達と一緒に、私を殺してください。]
あの文章を送っただけなのに、こんな仕打ちを受けないといけないのか?
まるで罪人みたいな扱いをうけて。
『片桐くん? 佐伯さんは何も知らずにメールを送っただけとか思ってます? 私がそんな騙し討ちしていると思われると心外なので言いますが、メールには紅の月についての情報も共に送付しています。彼女はそれに目を通して、理解した上でエントリーしていますよ? 斉藤翔くんとの違いは彼が主演で、彼女は助演だった。デスゲームにエントリーした以上は、しっかり役割を果たしてもらわないといけないんですよぉ。《《裏切り者》》として、ゲームを盛り上げる役割を』
紅の月について、全て知った上でエントリーしていたのか。
申し込んだ人間の安全保障なんかされてなくて、容赦なくその命を刈り取られる。
そんな、ゲームに。
『それなのにあなたときたら、斉藤くんの隠れみのになるどころか、密告すら出来ないなんてねぇ。まったく、視聴者全員、興醒めでしたよ。あなたの復讐遂行に賭けていた投資者達に、どれほどの損害が出たと思います?』
……賭け?
まさかこいつら、エントリーした人間が計画遂行出来るか賭けているのか?
翔が、凛と俺を生き残らせられるかとか。小春が、内藤さんの罪を密告出来るかとか。
じゃあ、このゲームって……!
『モブの人生を生きてきたあなたが、ここまで生き残れた理由が分かりましたか? あなたは主演を光らせる為の、駒だったからですよ? じゃなかったら、あなたなんてキャスティングしないし、見せしめで一番に死んでもらう役割しか利用価値ありませんかねぇー』
「じゃあ、あの時。指輪の爆発のルールを当てさせたのは?」
『あなたの怯える姿なんかどうでもよく、斉藤くんが焦る姿を撮りたかったからですよ? 気付きました? 彼ね、口パクで答えを伝えていたんですよ? いやあ、笑いを堪えるのに必死でしたよー。まあ、爆発の恐怖に怯えながらルールを当てるのが、なかなか好評だったので三上さんにもしてもらいました。なかなかの余興でしたよ』
あまりにも軽い言いように、全身の力が抜けていく。
俺と三上さんが命懸けでやっていたことが、ただの余興だったなんて。
いや、違う。このゲーム事態が、余興だったんだ。
神宮寺くんと西条寺さんは、あえて教えられていなかったタイムオーバーで。
北条くんと音霧さん、小田くんと内藤さんは、「許していない相手の指輪を外すと爆発する」のルール違反で。
三上さんなんか命を懸けて成宮くんを助けようとしたのに、「愛していない相手の指輪を外すと爆発する」のルール違反で。
最初から誰も助からないように仕組まれていたんだ。
三上さんが成宮くんを見捨てて生き残っていたとしても、凛が言ってた通り途中のルール変更をして翔にチャンスを与えて、同級生が死ぬように誘導する姿を見て、また楽しむ。
このゲームは主演となる斉藤翔が、大林凛と片桐慎吾を生き残らせることをメインにした催し。他の人間は、ただの捨て駒。
どう足掻いても、助からない運命だったんだ。
ただの善良な一般人の心の隙を突いてゲームにエントリーさせ、裏切り者になることを強要する残酷なやり口。
翔といい、小春といい。感情が激しく揺さぶられた時にデスゲームのエントリーを促すメールが送られてくるなんて。
おそらく、こいつは……。
「普段から、ターゲットになりそうな人間に目を付けているのか?」
気付けば、怒りにより声が低く震えていた。
翔の純粋な気持ち、小春の傷付いた気持ちを利用して。
狂ってる。狂ってる、こいつら。
『……さあ、どうでしょうね? まあ少なくても、佐伯小春さんに関しては感謝してほしいところですよ?』
「どうゆう意味だ?」
『ふふっ、あなたが盗聴なんて回りくどいことをしていたせいで、もう少しでネット記事になるようなことが起きていた。そうゆうことですよ? あなた達の母校、確か北小学校とかいいましたね? そこが血の惨劇に染まるところだったと言えば、分かりますか?』
「……北小は廃校になってて、まさか……!」
ドクンと鳴る心臓を抑え、小春の手を強く握ると、温かい体温と速い脈に触れて、目の前に存在してくれる生を感じ取る。
小春は、もう少しで──。
『だから一人で終わらせるのではなく、彼女をそこまで追い込んだ全ての人間を巻き込んでやれば良いと、お誘いしたのですよ? 全てに絶望し、生きる気力を失くした佐伯さんに合わせた復讐劇。いじめ主犯の内藤南とそのツレ、その発端となった小田圭祐。生徒会役員という力がありクラスの一軍という発言権があったのに、いじめを止めなかった音霧紗栄子。そんな彼女に同調した北条爽太。いじめに巻き込まれたくないと離れていったクラスメイト。かつて一年三組だった生徒を集めてのデスゲーム。さあ、クラスの輪を乱す裏切り者は誰だ? 露呈していく、クラス内でのいじめ。大人しい、いじめられっ子の本性。殺人という罪に手を染めた哀れな女子高生、佐伯小春。彼女の素顔は、幼少期より母親の男狂いを見せつけらたことによる、人格崩壊。母親の繰り返される浮気に怒り、娘の前で暴力を振るう父親による男性恐怖症。とうとう愛想を尽かしたのか娘を置いて出て行き、養育費すら払わない無責任な大人による人間不信。生活の為と働く娘のバイト代を男に貢ぐ、母親とも呼べない女に対する嫌悪感。そんな毒親の元に生まれ育った少女の捨て身の復讐劇……、と視聴者に涙を誘いたかったのですが、他人を欺いて死に誘導する。あなたの性格上それは出来ず、一人で勝手にゲームを終わらせると分かりきっていましたからねぇ。主演となるには斉藤くんのように、目的の為には手段を選ばない……という強さがないと』
その言葉に顔を歪めた小春は、小さく溜息を漏らす。
「……そう、私は弱い。そしてズルいの。闘う勇気がないから、飛び降りて逃げようとして。自分で復讐する強さがないから、誰かにそれを委ねる。凛がいじめを止めようと必死に動いてくれたのに、悪化したら余計なことしないでと心の奥で恨む。いじめを止めてくれたのは慎吾だったのに、それに対して直接助けてくれなかったと軽蔑する。自分では何も行動しないくせに、何かあれば人のせいにして逃げる。それが私。……それが私の弱さ。ズルい本性。私がこうなったのは家庭環境のせいだといつも言い訳して、現状を何も変えようとしなくて、何をしてもムダだって諦めて。いじめられたのは小田くんのせいじゃなくて、そんな弱さを見透かされていたからだった。離れて行ったクラスメイトを恨んで、みんな……死ねばいいのに……とか、思って。じゃあ自分が同じ立場だったら助けるのかと考えれば、小学生の頃に凛をムシしなかったことからクラス中から悪口言われたことがあったから……、もうムリだと思うし……。私もクラスの子の立場なら、同じ対応してたと思うし。ああ、最低だなって。……なのにさ、慎吾は助けたい? 弱くて、歪んでて、捻くれた私を助けたいと思う? 好きでいてくれる?」
人間誰しも、自分にとって都合の悪いことからは目を逸らし、嘘の自分を塗り固めて隠そうとする。
だからこそ剥き出しにしてしまった自分はあまりにも醜く、直視など出来ない。
それを相手に晒す。どれほどの決意と苦行なのだろうか。
でも、俺は。いや、だからこそ俺は。
ためらいもなく、指輪を引き抜いた。
黄色の点滅が光っていた死の指輪は、その機能を止め、床へと転がり落ちていく。
「欠点も含めて小春だろ? 俺、表だけを好きになったわけじゃないから」
小春が、口を強く閉じて黙る時。何も言わないがそれなりの不満を持っていることは分かっていた。
付き合うってことは、キラキラと輝く綺麗なことばかりじゃない。
価値観が違って驚いたり、意見なんかしょっちゅう食い違って妥協点を見つけていかないといけないし、無理ばかりしていたらイライラして何で一緒に居るのかとか分からなくなって、一人で居る方が楽じゃないかと一緒に居ることすらに疑問を感じることもある。
俺達は付き合って三ヶ月だけど、友達期間が長かったことから初めから取り繕ろうこともなく、いつも通りだった。
だからこそ何も言わないからって、何でも許してくれる菩薩のような性格じゃないことぐらい分かっていたよ。
「……一面だけを知って、相手の全てだと思うのも違うよね」
そう呟いた小春は、俺の左手を取る。
「私ね、変わりたいの。何をしても自分の人生は良くなることなんかなくて、誰を信じても裏切られるんじゃって常に疑って、傷付かないように予防線張って、何を言ってもムダだって気持ちを伝えることすら諦めて、少し嫌な部分が見えたら距離取って相手の言い分一つ聞かなくて、また一人の世界に閉じこもる。そんな自分が大嫌いだった。だからまず、慎吾と向き合うことから始めたらダメかな?」
「いや、しかし……」
失敗したら死ぬ状況で、それは!
「ここで向き合わず慎吾を見捨てたら、また同じことを繰り返すと思うの。だから……」
小春が初めて見せる凛々しい顔付きに、まるで凛が後ろで見守ってくれているような気がして、思わず否定の言葉を飲み込んでしまう。
ピッ、ピッ、ピッ。
不意に聞こえた音に俺の体はビクンと跳ねるも、小春は分かっていたかのように冷静で、ただ指輪を見据えていた。
時間はない。そうゆうことだ。
「……俺も、同じだったから」
「え?」
「俺もいじめられてたんだよ。六年の時。昔っから鈍臭くて、運動会のリレーで負けたのは俺が遅かったせいで、だから怒らせてしまってなぁ。鍛えてやるって休み時間にボクシングだって言いながら殴られたり、体育の時間はドッチボールで頭にボール投げつけられたり。文句言おうとしたら睨み付けられて、それが怖くて何も言えなくて、仲の良かった友達は離れていって。別のクラスだった翔がたまたま見かけて止めてくれたけど、ただ遊んでやってるだけだって言い逃れされて、直接的なことはなくなったけど次は教科書水浸しにされたりとかリコーダー折られたりとかしたけど、そいつらがやった証拠がなくて、……だから盗聴したんだ。どうしても、小春には俺みたいになってほしくなくて。言い逃れ出来ない証拠を出して、これ以上酷くならないようにって」
小春がいじめの音声をみんなに聞かれて、声を上げて泣いてた理由が分かったよ。
ただ苦しいんだ。自分は人に貶まれる存在だって知られるのが。
そうだと認めないといけないのが。
好きな人に知られるのが、ただ惨めで、情けなくて、消えたくなって。
「……いじめ、酷くなっていったの?」
「翔にチクったと、思われたから……」
結局飽きたようで卒業する頃には終わっていて、中学では別のクラスになり、二年で同じクラスになって身構えたけど一切関わってこなくて、俺にしたことなんか忘れているようだった。
小春が受けた被害に比べたら、あまりにもちっぽけで、だけどあの目を思い出すと身震いが止まらなくて、笑い声を思い出すと息が苦しくなって。
だから、どうしても足が動いてくれなくて、立ち塞がることが出来なくて。
勿論、そんなこと言い訳になるはずがない。目の前で泣いている人を助けなかった理由には。
その贖罪から小田くんを庇ったりとかした、どこまでも不誠実で、自己中な人間。
それが、俺なんだ。
「中学に入学した頃、北小と南小が合同で課外授業に出掛けるとになっただろ? あの時、翔と二人だったのは俺のせい。関わったらヤバい奴認定されてたからな……。そっちは、凛が理由だったんだな?」
「……うん。女子グループが私達をムシしていて、他の子も逆らえない空気があったから」
余り物だった、俺達四人。
そんな出会いだったけど、楽しかった。
生きてて良かったと思えるぐらいに。
小春は俺の手を握り、細く弱々しい指で死の指輪を抜こうとする。
指輪は赤く点滅し、けたたましい警告音を鳴らす。時間がないと離れるように声をかけるが、その手を一刻に止めない。
「助けてくれて、ありがとう。学校に来れるようになったのは慎吾のおかげ。二年生は普通クラスに来て、友達も出来て、慎吾と同じクラスになって、付き合ってすごく楽しかった。だから、これからも一緒に生きたい」
「……俺も。みんなの墓に手を合わせよう」
「凛が好きな黄色の花に、翔が好きなチョコレートを持って行こうね?」
「ああ見えて、凛は花が好きで。翔は甘党なんだよなー」
「あー、凛に言っちゃおうかな」
そんな話をしている間に、死の指輪は俺の指からそっと離れていた。
『おめでとうございます。ここに真のカップル誕生です。生き残りは片桐慎吾くんと、佐伯小春さんとなりました。では……』
プツン。
あまりにもあっけなく音声は途切れ、スマホからアプリが一人でに消失していく。
終わった。そうゆうことなのだろう。
「……行こう」
「うん」
小春が見上げた空は、一面の茜色。
一番好きだと言っていた、夕暮れ時だ。
俺達は手を強く繋ぎ、ただ前に進む。
知りたくなかった同級生達の秘密を知り、親友の秘密を知り、知られたくなかった秘密を互いに知ってしまった。
何も知らなかったままの関係には戻れないし、失われた命も、親友も、戻ってこない。
だけど、互いに好きな気持ちは変わらなかった。
一緒に居たい気持ちは変わらなかった。
だから俺達は、手を繋ぎ前に進む。秘密も弱さもない人間など、いないのだから。
そのことに気付いたのは、高校一年生の秋だった。
盗聴を始めた時、自分の中でルールを決めていた。
聞くのはいじめに関することだけで、プライバシーは侵害しない。
だけどその誓いは、二週間で砕かれてしまった。
平日、夜十時半頃。十一月半ばの気候は寒く、自転車を漕ぐのはさぞ寒いだろうと思いながら、学生カバンに入っているスマホのGPS頼りに小春の動向を伺っていると奇妙なことが起きた。
家に向かっているはずなのにいきなり方向を変え、移動スピードは速くなっていく。
その動きからまた呼び出されたのかと身構えた俺は音声モードをオンにして、全神経をスマホに当てている耳に集中させる。
証拠を掴みたい一心で。
『お母さん!』
しかし聞こえたのは母親を呼ぶ声で、その後はポソポソと何かを話し合っているのだろうと予想を立てるぐらいに声は小さく、スマホは学生カバンの中に入っているようで会話を拾うには無理があった。
小春は内藤さん達に呼び出されたんじゃない。母親だと分かったから、これ以上は聞いてはならない。
何度も自分に言い聞かせたが俺の手は一向に動かず、いつもと話し方が違う小春の声にただ耳が離せなかった。
『私は、お母さんのようになりたくないから!』
ハッキリと聞き取れた言葉と怒声に、思わず握っていたスマホを落としてしまう。
今の声、今の言葉。一体誰が言ったんだ?
そう疑ってしまうぐらいに小春が放ったと信じられなかった。
正直な気持ちを吐露すると、真っ先に過った感情は「幻滅」だった。
大人しくて、穏やかで、優しくて。
そんな彼女に惹かれていたからこそ、この強い口調に、このキツい物言いに、理想の女子像がガラガラと崩れ落ちてしまった。
喧嘩か何か知らないが、親にそんな酷いことを言うなんて、信じられなかった。
色々と考えていくと行き着くのは、俺が知らないだけで彼女には二面性があるのではないかという捻じ曲がった考え。
だからいじめられているのでは……、そんな歪んだ発想まであった。
もう、助けなくていいんじゃないか?
そんな声が聞こえたような気がした。
か弱い彼女だから、助けないといけないと思った。理不尽な目に遭っているから、手を差し伸べないといけないと思っていた。
だけどそれが自業自得なら、別に俺がなんとかしなくても良いだろ?
だからもういいやって、本気で思ってた。
元々関わりも減ってたし、クラスだってこの先も違うんだから、このままフェードアウトしていけば良い。
もう関わりたくない。彼女を嫌いになりたくない。これ以上傷付きたくない。
そんな弱くて、どこまでも身勝手な考えから、俺は正義とも呼べない行為を終わらせた。
しかし考えてしまうのは、小春のことばかりだった。
普段から口数が少なくて、あまり笑わなくて、翔のような体格の良い男をやたらに避け、大きな声を怖がる。
何かを抱えていると感じていたが、さすがの無神経な俺でもそこは触れてはならないと分かっていた。だからこそ、軽く流してきた。
だけど、知りたくなった。
俺の好きだった表の顔だけでなく、その裏側を。
その方法までもが盗聴だったというのが、どこまでも俺らしい、ねちっこいやり方で呆れ返ってしまうんだけど。
三日後の夜、十一時頃だったと思う。
それはバイトが終わり帰ってきた小春の、怒声から始まった。
今回は室内だったようで、また話にスマホが必要だったことから見せながら話しているようで、話の内容がしっかり聞き取れた。
結論から言うと小春の怒りはもっとで、俺なら手が出てしまうかもしれない理不尽な状況だった。しかし彼女は時折深呼吸をして感情論ではなく、事実を淡々と話していく。
それでもヘラヘラと笑い悪びれない母親に「もういい」と言う小春の声は干からびていて、もう全てを諦めているようだった。
親ガチャ。
俺はその言葉が大嫌いだ。
ガチャはランダムでアタリハズレがあり、それはゲームやおもちゃの景品とされるものに使う言葉。
それを人間相手に使うなんて。
人生はゲームじゃないし、親にアタリもハズレもない
生まれ育った環境を受け入れて咲け。その言葉の方がしっくりきていた。
しかし小春から放たれる不満は、まるで映画のようにドラマチックで、リアルでそんな親がいるのかと疑いたくなるほどだった。
もし俺達の生まれる家が入れ替わっていたら、小春は名門私立校に通えていただろうし、少なくても特進クラスに在籍したままでいられただろう。
そう、二年で普通クラスに籍を変えたのは、いじめが原因ではなかった。
勉強についていけなかったからだ。
周りは塾に通い勉強する中で小春はバイトをし、明日の生活費を考えなければならない毎日。
全ては、生まれる家が悪かったから。
『感傷に浸っているところ申し訳ないですが、まだゲームは終わっていませんよ? 片桐慎吾くん、佐伯小春さん。死の指輪を外して、この呪われた校舎から脱出してください』
落ちたスマホより流れる、どこまでも残忍な笑い声。
その言葉から分かる。凛は翔と共に、人生を終わらせたのだと。
ピッ、ピッ、ピッ。
やはり、このまま無条件では終わらないか……。
俺は腕で目をゴシゴシと乱暴に拭い、小春の手を取る。
「慎吾……」
「大丈夫。俺は小春のこと好きだから、指輪を外せる。だから小春は、そのまま校舎から出ていけば良いんだ」
「慎吾、は……?」
カタカタと震える指を両手で包み込み、淡々と話しかけた。
「音霧さんを見てただろう? 許せない相手の指輪を外すとルール違反によって、爆発する。だから、小春一人で出て行って欲しい。……それは出来ますよね、主催者さん? そうじゃないと三上さんに話した、『相手を見捨てる選択肢もある』に矛盾しますよね?」
『ええ。彼女に見捨てられた哀れな男として、盛り上がりますからね』
意気揚々と返答する声には若干の苛立ちが混ざっているように感じ、やはり今牽制を張らなければ理不尽なルール変更をされていたかもしれないと気付く。
生存者が出た時より、全滅エンドの方が投げ銭は増え、収益も上がる。
そんなことが、まとめサイトに書いてあった。
バクバクと鳴る心臓を抑え、はぁっと息を吐いた。
中学三年生の春。小春を変に意識してしまい関わりが持てなくなってしまった時。翔に、「そんなことしてたら大切なもの失くす」と忠告されたことがあった。
「俺は翔と違って、全て足りないから」と悪態を突いてしまい空気を悪くしてしまったが、翔は軽く笑い飛ばしてくれ、「慎吾に足りないのは度胸だけ」だと、言われたことを思い出していた。
「途中のルール変更は当たり前だった」
凛が得た情報と、遺してくれた言葉。
それがなかったら、俺はただ主催者の言いなりになってしまっていただろう。
凛。いつもナヨナヨしていて、面倒ごとを避けようと簡単に謝ってしまう俺に対して、苛ついていたことは分かっていた。
あの謹厳実直さはどこまでも眩しく、そして正直苦手意識を持っていた。
『最後ぐらい、良い奴だったとか思われたいじゃない?』
凛は、そんな俺の思いに気付いていたのだろう。
そんな本音を隠せない俺だからこそ、より傷付けていた。
本当に俺は、生きてるだけで罪深い奴だよな。だから、二人のもとに行くよ。
大丈夫、二人の仲を邪魔するつもりなんかないから。
大丈夫、小春は助けるから。
「でも……」
「俺さ、一回だけ、小春のこと嫌だなって思ったことあるんだ。『私は、お母さんのようになりたくない』。そう言ってるの聞いた時に。……最低だよな、盗聴して勝手に話聞いて、勝手に理想と違ったと幻滅して、一面だけ見て嫌だと思う。その言葉が出てくるまでにどんな背景があって、どんな気持ちがあったかなんて、何も考えてなかった。前に、『バイトなんか無理にしなくて良い』とか言ったこともあったよな? あの時、小春は何も言わずに帰っていったけど、内心すごくムカついただろ? お前に何が分かるんだって、甘やかされている奴には分からないって思っただろ? ……俺はそうゆう、どこまでも無神経な奴なんだよ。だから、許せないだろう?」
「……そんな、ことは……」
目をスッと逸らし、唇をキュッと噛み締める。
これは小春が言いたいことを我慢している時の仕草で、そうとうなものを溜め込んでいるのだと嫌でも察せられる。
小春に、俺の指輪は外せない。
だったらせめて、俺が……。
「待って! 私の話を聞いて欲しいの!」
突然声を張り上げた小春は、俺から手を引っ込めてしまった。
「じ、時間が!」
「私だけ何も明かさないのは、不公平だと思う。だから私は、私の本性を密告します!」
こちらを見据える瞳は見たことのない真っ直ぐで、そんな姿初めて目の当たりにした。
『クククッ、面白くなってきましたね。では佐伯小春さん、ご自身の罪を暴露をしてください。大人しく、良い子とされる、あなたの醜い本性を』
黄色の点滅が速くなっていた指輪の光は突如止まり、脳を揺らすような警告音は消え、一時のみの安らぎを与えられる。
しかしこれは生存への道ではない。
むしろ、狡猾な……。
「小春、これは罠だ! 別に良いんだよ、秘密なんかあっても! 品行方正な人間なんて、誰一人いるわけないんだし! ……誰だって、取り繕って生きてるんだから!」
俺の言葉に目を丸くした小春は、眉を下げて「ありがとう」と呟く。
しかしスマホを操作する手を止めることはなく、見てほしいとスマホの画面を俺に向けてきた。
『あなたが壊したい世界はありませんか?』
その文面から始まる文章には、小春の生まれ育った環境、受けたいじめの内容が事細かく記入されており、「あなたの復讐をお手伝いします」の言葉で締め括られていた。
「……まさか」
「私ね、このメールに返信していたの。だから、このゲーム。人が死ぬゲームにエントリーしたも同義、なんだ……」
力無く膝元に下ろしたスマホに、小春の涙がポタリと落ちる。
「裏切り者は翔だけじゃない。私もだった」
『それは事実です。去年の十一月二十八日。佐伯小春さんから、スマホのメールにてエントリーがありました。片桐くんは、証拠品の確認をしてください』
スマホに映し出されたのは、たった一文。そこには。
[もう死にたい。あの人達と一緒に、私を殺してください。]
これほど悲しい文章を読んだのは、初めてだった。
この日は、小春が公園の多目的トイレに呼び出された次の日。
朝方の時間だったことから、あの後に打ち込んだのだろう。
「一回目のゲームが終わった後、翔の火傷を冷やす用に保健室に氷水を取りに行ってたんだけど、その時にスマホが鳴ったの。もしかしたら……お母さんじゃないかって見たら、あのアプリからの通知で、『あなたの願いを叶えにきました』という文と共に、あの人……、内藤南は四番目に指名する。送付した証拠品を密告すれば、あなたの復讐は果たされる。だから、安心して死んでくださいって……」
口元を抑え、ハアハアと息を切らせる小春から止めどない涙が溢れていく。
その表情は恐怖に歪んでいたけど、どこか救われたようにも見えて、ずっと一人で確実に訪れる死に怯えており、やっと打ち明けられて僅かに心が和らいだのだと伝わってきた。
[もう死にたい。あの人達と一緒に、私を殺してください。]
あの文章を送っただけなのに、こんな仕打ちを受けないといけないのか?
まるで罪人みたいな扱いをうけて。
『片桐くん? 佐伯さんは何も知らずにメールを送っただけとか思ってます? 私がそんな騙し討ちしていると思われると心外なので言いますが、メールには紅の月についての情報も共に送付しています。彼女はそれに目を通して、理解した上でエントリーしていますよ? 斉藤翔くんとの違いは彼が主演で、彼女は助演だった。デスゲームにエントリーした以上は、しっかり役割を果たしてもらわないといけないんですよぉ。《《裏切り者》》として、ゲームを盛り上げる役割を』
紅の月について、全て知った上でエントリーしていたのか。
申し込んだ人間の安全保障なんかされてなくて、容赦なくその命を刈り取られる。
そんな、ゲームに。
『それなのにあなたときたら、斉藤くんの隠れみのになるどころか、密告すら出来ないなんてねぇ。まったく、視聴者全員、興醒めでしたよ。あなたの復讐遂行に賭けていた投資者達に、どれほどの損害が出たと思います?』
……賭け?
まさかこいつら、エントリーした人間が計画遂行出来るか賭けているのか?
翔が、凛と俺を生き残らせられるかとか。小春が、内藤さんの罪を密告出来るかとか。
じゃあ、このゲームって……!
『モブの人生を生きてきたあなたが、ここまで生き残れた理由が分かりましたか? あなたは主演を光らせる為の、駒だったからですよ? じゃなかったら、あなたなんてキャスティングしないし、見せしめで一番に死んでもらう役割しか利用価値ありませんかねぇー』
「じゃあ、あの時。指輪の爆発のルールを当てさせたのは?」
『あなたの怯える姿なんかどうでもよく、斉藤くんが焦る姿を撮りたかったからですよ? 気付きました? 彼ね、口パクで答えを伝えていたんですよ? いやあ、笑いを堪えるのに必死でしたよー。まあ、爆発の恐怖に怯えながらルールを当てるのが、なかなか好評だったので三上さんにもしてもらいました。なかなかの余興でしたよ』
あまりにも軽い言いように、全身の力が抜けていく。
俺と三上さんが命懸けでやっていたことが、ただの余興だったなんて。
いや、違う。このゲーム事態が、余興だったんだ。
神宮寺くんと西条寺さんは、あえて教えられていなかったタイムオーバーで。
北条くんと音霧さん、小田くんと内藤さんは、「許していない相手の指輪を外すと爆発する」のルール違反で。
三上さんなんか命を懸けて成宮くんを助けようとしたのに、「愛していない相手の指輪を外すと爆発する」のルール違反で。
最初から誰も助からないように仕組まれていたんだ。
三上さんが成宮くんを見捨てて生き残っていたとしても、凛が言ってた通り途中のルール変更をして翔にチャンスを与えて、同級生が死ぬように誘導する姿を見て、また楽しむ。
このゲームは主演となる斉藤翔が、大林凛と片桐慎吾を生き残らせることをメインにした催し。他の人間は、ただの捨て駒。
どう足掻いても、助からない運命だったんだ。
ただの善良な一般人の心の隙を突いてゲームにエントリーさせ、裏切り者になることを強要する残酷なやり口。
翔といい、小春といい。感情が激しく揺さぶられた時にデスゲームのエントリーを促すメールが送られてくるなんて。
おそらく、こいつは……。
「普段から、ターゲットになりそうな人間に目を付けているのか?」
気付けば、怒りにより声が低く震えていた。
翔の純粋な気持ち、小春の傷付いた気持ちを利用して。
狂ってる。狂ってる、こいつら。
『……さあ、どうでしょうね? まあ少なくても、佐伯小春さんに関しては感謝してほしいところですよ?』
「どうゆう意味だ?」
『ふふっ、あなたが盗聴なんて回りくどいことをしていたせいで、もう少しでネット記事になるようなことが起きていた。そうゆうことですよ? あなた達の母校、確か北小学校とかいいましたね? そこが血の惨劇に染まるところだったと言えば、分かりますか?』
「……北小は廃校になってて、まさか……!」
ドクンと鳴る心臓を抑え、小春の手を強く握ると、温かい体温と速い脈に触れて、目の前に存在してくれる生を感じ取る。
小春は、もう少しで──。
『だから一人で終わらせるのではなく、彼女をそこまで追い込んだ全ての人間を巻き込んでやれば良いと、お誘いしたのですよ? 全てに絶望し、生きる気力を失くした佐伯さんに合わせた復讐劇。いじめ主犯の内藤南とそのツレ、その発端となった小田圭祐。生徒会役員という力がありクラスの一軍という発言権があったのに、いじめを止めなかった音霧紗栄子。そんな彼女に同調した北条爽太。いじめに巻き込まれたくないと離れていったクラスメイト。かつて一年三組だった生徒を集めてのデスゲーム。さあ、クラスの輪を乱す裏切り者は誰だ? 露呈していく、クラス内でのいじめ。大人しい、いじめられっ子の本性。殺人という罪に手を染めた哀れな女子高生、佐伯小春。彼女の素顔は、幼少期より母親の男狂いを見せつけらたことによる、人格崩壊。母親の繰り返される浮気に怒り、娘の前で暴力を振るう父親による男性恐怖症。とうとう愛想を尽かしたのか娘を置いて出て行き、養育費すら払わない無責任な大人による人間不信。生活の為と働く娘のバイト代を男に貢ぐ、母親とも呼べない女に対する嫌悪感。そんな毒親の元に生まれ育った少女の捨て身の復讐劇……、と視聴者に涙を誘いたかったのですが、他人を欺いて死に誘導する。あなたの性格上それは出来ず、一人で勝手にゲームを終わらせると分かりきっていましたからねぇ。主演となるには斉藤くんのように、目的の為には手段を選ばない……という強さがないと』
その言葉に顔を歪めた小春は、小さく溜息を漏らす。
「……そう、私は弱い。そしてズルいの。闘う勇気がないから、飛び降りて逃げようとして。自分で復讐する強さがないから、誰かにそれを委ねる。凛がいじめを止めようと必死に動いてくれたのに、悪化したら余計なことしないでと心の奥で恨む。いじめを止めてくれたのは慎吾だったのに、それに対して直接助けてくれなかったと軽蔑する。自分では何も行動しないくせに、何かあれば人のせいにして逃げる。それが私。……それが私の弱さ。ズルい本性。私がこうなったのは家庭環境のせいだといつも言い訳して、現状を何も変えようとしなくて、何をしてもムダだって諦めて。いじめられたのは小田くんのせいじゃなくて、そんな弱さを見透かされていたからだった。離れて行ったクラスメイトを恨んで、みんな……死ねばいいのに……とか、思って。じゃあ自分が同じ立場だったら助けるのかと考えれば、小学生の頃に凛をムシしなかったことからクラス中から悪口言われたことがあったから……、もうムリだと思うし……。私もクラスの子の立場なら、同じ対応してたと思うし。ああ、最低だなって。……なのにさ、慎吾は助けたい? 弱くて、歪んでて、捻くれた私を助けたいと思う? 好きでいてくれる?」
人間誰しも、自分にとって都合の悪いことからは目を逸らし、嘘の自分を塗り固めて隠そうとする。
だからこそ剥き出しにしてしまった自分はあまりにも醜く、直視など出来ない。
それを相手に晒す。どれほどの決意と苦行なのだろうか。
でも、俺は。いや、だからこそ俺は。
ためらいもなく、指輪を引き抜いた。
黄色の点滅が光っていた死の指輪は、その機能を止め、床へと転がり落ちていく。
「欠点も含めて小春だろ? 俺、表だけを好きになったわけじゃないから」
小春が、口を強く閉じて黙る時。何も言わないがそれなりの不満を持っていることは分かっていた。
付き合うってことは、キラキラと輝く綺麗なことばかりじゃない。
価値観が違って驚いたり、意見なんかしょっちゅう食い違って妥協点を見つけていかないといけないし、無理ばかりしていたらイライラして何で一緒に居るのかとか分からなくなって、一人で居る方が楽じゃないかと一緒に居ることすらに疑問を感じることもある。
俺達は付き合って三ヶ月だけど、友達期間が長かったことから初めから取り繕ろうこともなく、いつも通りだった。
だからこそ何も言わないからって、何でも許してくれる菩薩のような性格じゃないことぐらい分かっていたよ。
「……一面だけを知って、相手の全てだと思うのも違うよね」
そう呟いた小春は、俺の左手を取る。
「私ね、変わりたいの。何をしても自分の人生は良くなることなんかなくて、誰を信じても裏切られるんじゃって常に疑って、傷付かないように予防線張って、何を言ってもムダだって気持ちを伝えることすら諦めて、少し嫌な部分が見えたら距離取って相手の言い分一つ聞かなくて、また一人の世界に閉じこもる。そんな自分が大嫌いだった。だからまず、慎吾と向き合うことから始めたらダメかな?」
「いや、しかし……」
失敗したら死ぬ状況で、それは!
「ここで向き合わず慎吾を見捨てたら、また同じことを繰り返すと思うの。だから……」
小春が初めて見せる凛々しい顔付きに、まるで凛が後ろで見守ってくれているような気がして、思わず否定の言葉を飲み込んでしまう。
ピッ、ピッ、ピッ。
不意に聞こえた音に俺の体はビクンと跳ねるも、小春は分かっていたかのように冷静で、ただ指輪を見据えていた。
時間はない。そうゆうことだ。
「……俺も、同じだったから」
「え?」
「俺もいじめられてたんだよ。六年の時。昔っから鈍臭くて、運動会のリレーで負けたのは俺が遅かったせいで、だから怒らせてしまってなぁ。鍛えてやるって休み時間にボクシングだって言いながら殴られたり、体育の時間はドッチボールで頭にボール投げつけられたり。文句言おうとしたら睨み付けられて、それが怖くて何も言えなくて、仲の良かった友達は離れていって。別のクラスだった翔がたまたま見かけて止めてくれたけど、ただ遊んでやってるだけだって言い逃れされて、直接的なことはなくなったけど次は教科書水浸しにされたりとかリコーダー折られたりとかしたけど、そいつらがやった証拠がなくて、……だから盗聴したんだ。どうしても、小春には俺みたいになってほしくなくて。言い逃れ出来ない証拠を出して、これ以上酷くならないようにって」
小春がいじめの音声をみんなに聞かれて、声を上げて泣いてた理由が分かったよ。
ただ苦しいんだ。自分は人に貶まれる存在だって知られるのが。
そうだと認めないといけないのが。
好きな人に知られるのが、ただ惨めで、情けなくて、消えたくなって。
「……いじめ、酷くなっていったの?」
「翔にチクったと、思われたから……」
結局飽きたようで卒業する頃には終わっていて、中学では別のクラスになり、二年で同じクラスになって身構えたけど一切関わってこなくて、俺にしたことなんか忘れているようだった。
小春が受けた被害に比べたら、あまりにもちっぽけで、だけどあの目を思い出すと身震いが止まらなくて、笑い声を思い出すと息が苦しくなって。
だから、どうしても足が動いてくれなくて、立ち塞がることが出来なくて。
勿論、そんなこと言い訳になるはずがない。目の前で泣いている人を助けなかった理由には。
その贖罪から小田くんを庇ったりとかした、どこまでも不誠実で、自己中な人間。
それが、俺なんだ。
「中学に入学した頃、北小と南小が合同で課外授業に出掛けるとになっただろ? あの時、翔と二人だったのは俺のせい。関わったらヤバい奴認定されてたからな……。そっちは、凛が理由だったんだな?」
「……うん。女子グループが私達をムシしていて、他の子も逆らえない空気があったから」
余り物だった、俺達四人。
そんな出会いだったけど、楽しかった。
生きてて良かったと思えるぐらいに。
小春は俺の手を握り、細く弱々しい指で死の指輪を抜こうとする。
指輪は赤く点滅し、けたたましい警告音を鳴らす。時間がないと離れるように声をかけるが、その手を一刻に止めない。
「助けてくれて、ありがとう。学校に来れるようになったのは慎吾のおかげ。二年生は普通クラスに来て、友達も出来て、慎吾と同じクラスになって、付き合ってすごく楽しかった。だから、これからも一緒に生きたい」
「……俺も。みんなの墓に手を合わせよう」
「凛が好きな黄色の花に、翔が好きなチョコレートを持って行こうね?」
「ああ見えて、凛は花が好きで。翔は甘党なんだよなー」
「あー、凛に言っちゃおうかな」
そんな話をしている間に、死の指輪は俺の指からそっと離れていた。
『おめでとうございます。ここに真のカップル誕生です。生き残りは片桐慎吾くんと、佐伯小春さんとなりました。では……』
プツン。
あまりにもあっけなく音声は途切れ、スマホからアプリが一人でに消失していく。
終わった。そうゆうことなのだろう。
「……行こう」
「うん」
小春が見上げた空は、一面の茜色。
一番好きだと言っていた、夕暮れ時だ。
俺達は手を強く繋ぎ、ただ前に進む。
知りたくなかった同級生達の秘密を知り、親友の秘密を知り、知られたくなかった秘密を互いに知ってしまった。
何も知らなかったままの関係には戻れないし、失われた命も、親友も、戻ってこない。
だけど、互いに好きな気持ちは変わらなかった。
一緒に居たい気持ちは変わらなかった。
だから俺達は、手を繋ぎ前に進む。秘密も弱さもない人間など、いないのだから。



