「……て。……ってば。……起きてよ。ねぇ!」
肩を激しく揺さぶられ、真っ暗な闇の底から引き上げられるようにハッと目が覚めた。3つの顔が僕を覗き込んでいた。
「えっ……あ、僕……」
「ったく、やっと起きた。もう死んでるのかと思ったよ」
「言葉、もうちょっと選んだ方が……」
「まあまあ、とにかく目覚めて良かったじゃんか」
「……」
これは何事か。目が覚めたら、目の前には2人の女子と1人の男子。それも、よく知らない人間だった。
「君らは一体……?というか、ここはどこだ?」
僕はいつの間にか畳が敷かれた狭い部屋に居た。端に段ボールやら黒い布やらが重ねられていて、押入れもある。部屋の全貌が分かるのはちゃんと電気がついているから。だが、僕の知らない場所だった。
僕の視線が定まらないことに気が付いたのか、僕を起こしてであろう女子が口を開く。
「もしかして来たことない?ここは5階にある和室だよ」
「5階って、茶畑高校の?」
「そうそう。大抵は荷物置き場になっているんだけどね」
「へぇ。よく知っているんですね」
「まあね。実行委員でたまに使ってるし。てか、敬語やめてよ。同い年なんだから」
「同い年?」
「そっ。あたし、2年3組の椿。一応、2年の学年委員長」
溌剌と話す様は、確かに集会なんかで見覚えがあった。しかし、僅かに違和感を感じる。人前に立っていた時は、もう少し落ち着いた優等生感があったような気がした。僕の勘違いかもしれないが。
「この際だから、みんな自己紹介しちゃおうよ。まあ、あたしは3人とも知ってるけど」
椿の提案により、眼鏡の女子がおずおずと声を出した。
「えっと……、静佳です。同じく2年生で、8組です」
椿がそうしなかったからか、彼女も苗字は名乗らない。名乗ったところで、というのはあるのかもしれないが。
随分と大人しい女子だった。椿と正反対と言ってもいい程に。しかし、見た目だけを見れば彼女も優等生、あるいは委員長、あるいは真面目という言葉が似合いそうだと思った。
「んじゃ、次は俺か」
こんな時でも余裕がありそうな笑顔を浮かべた男子は頭の後ろで組んだ腕を離す。
「俺は泰介。6組で、サッカー部。まあ、よろしくな」
ニカッと歯を見せながら作った笑みは、嫌味も何もなく、好印象だった。一般的な陽キャなら嫌悪感を感じるが、泰介はありきたりな奴とは何処か違っていた。
3人が自己紹介を終え、自然は自然と僕に集まった。
「僕は奏太朗。2年2組」
必要最低限だけ言った。3人の顔を見回して、それから、ずっと気になっていたことを口にする。
「僕は、僕たちは、どうしてこんなところにいる?」
「それが分かんないんだよね。奏太朗が起きる前にも3人で話してたんだけど、みんな記憶が曖昧で。夜の学校に来たところまではなんとか覚えているんだけど……」
「夜の学校?」
「そう」
椿は少し気まずそうに笑う。
「あたしたちみんな、夜に学校に来てるんだよね。まあ、その事実を知ったのはさっきなんだけど。奏太朗もそうなんじゃない?」
「……ああ」
考える間も無かった。誤魔化しなんかしなくても良い。素直に頷いた僕に、3人は安心したような表情を見せる。共犯者が増えた喜びか、あるいは似たような境遇であったことに安堵を覚えたかは分からない。ただ、3人の気持ちが、なんとなく僕も理解できる気がした。
「つまり俺らは、夜の学校に居て、いつの間にかこの部屋にいたってわけだ。無意識に来ることは考えられねぇし、誰かに連れてこられたって推測するのが妥当だと思うけどな」
「なるほどな。ところで、目覚めたならどうしてこの部屋から出ようとしなかったんだ?」
「そりゃあ出ようとしたよ。けど、出来なかったんだ」
「出来なかった?」
「鍵が掛かっていたんです」
静香が神妙な面持ちで告げた。
「扉を開けようにも鍵が掛かっていて開かなくて……。だから、ここに留まるしかなかったんです」
「……そうか」
なるほど、だから3人とも僕が目覚めるまで待っていたのか。この状況に至るまでの理由が明確になった。
「それじゃあ、僕らはどうすれば良いんだ?」
「それも、3人で先に考えてたんだけどな……」
椿、静佳、泰介の3人は顔を見合わせ、それから肩をすくめた。その様子に、僕はなんとなくなす術がないことを察する。
「どうにも出来ないって訳か」
「そうみたい」
僕は俯いた。万事休すとはこのことだろうと、言葉の意味を痛感した。鍵が付いている以上、扉を開けることは困難だ。鉄製だから壊すこともほぼ不可能。外部との連絡を取れたら良いのだが。
(ん、連絡……!)
はたと閃いてポケットを漁るも、目当ての物の感触はない。そういえば、必要ないからといつも家に置いていっていることを思い出し、3人に尋ねる。
「誰かスマホは持ってないか?それで外部に助けを求められれば……」
我ながら明暗だと思っていた。しかし、3人は顔を見合わせてなんとも言えない表情をする。
「実は、その案も出てたんだ。けど……」
「あたしたちみんな、生憎スマホを持ってなかったのよ」
聞くところによれば、泰介は教室に置きっぱなし、静佳は僕と同じく持ち歩いていない、そして椿は連れて来られる際に落としたか取られたかということ。
「マジか……」
「ごめんなさい。せっかく、思いついて貰ったのに……」
「いや、静佳が謝ることじゃない。仕方ないさ」
とは言え、これでは本当になす術無しだ。皆俯く。静寂が部屋を満たしていた。
その時、扉から音が鳴った。
全員が顔を一斉に上げる。それから見合わせる。
「今のって……」
「ああ。おそらく、鍵が開いた音」
「それって、俺たちにここから出ろって言ってるってことか?」
「もしくは、誰かが入ってくるかもしれないってこと?」
「分からない」
僕たちは身構えた。僕たちをここに連れてきた人間であろう。どんな者なのか計り知れない。手に汗を握りながら、目の前の扉が開くのを息を殺して待った。
「……誰も、こない、か?」
「……かもな」
いつまで待っても人の気配が現れない。つまりは椿が言った通り、僕らにここから出ろという合図なのかもしれない。
僕は扉に近づき、ノブに触れる。冷たい金属の感触。変な細工は無いと思いたい。
「開けるぞ」
3人が頷くのを確認してから、僕はおそるおそる扉を開けた。隙間から冷たい風が吹きつけ、髪をかき上げる。
「……」
ある程度開いてから、隙間に顔を捩じ込んで外の様子を伺う。電気が付いていない中、頼りは月明かり。夜目に慣れない俺は真っ暗な空間の中に廊下の輪郭を捉えるのが精一杯だったが、おそらくいつもの学校と変わっていない。
僕は一度、扉から顔を離した。部屋の電気が異様に眩しく感じる。
「どうだ、奏太朗」
「おそらく大丈夫だ。問題ない」
「ってことは、やっぱり外に出ろってこと、だよね?」
「おそらくな」
椿、静佳、泰介、そして僕は互いに視線を交差させ、覚悟を決める。
「それじゃあ、出るか」
夜間学校の脱出が始まった。