天宮(あめみや)龍一(りゅういち)がこの街に引っ越して三ヶ月半。
 テレビ局からも事務所からもやや遠い、微妙に不便な所だが龍一に不満はない。
 何故ならこの街には芸能の神様が祀られているのだから。

 神社と言うものは基本的には自分が住んでいる所のものをお参りする。
 望みを唱えてはならない。ただ毎日この地に住まわせてもらえる事への感謝を申し上げるのだ。

 二十五歳。やや強面のVシネマ俳優。これが今の龍一の姿である。
 主役はやったことがない。最高で主役の親友ポジション。だいたい途中で殺される。
 Vシネマから晴れやかなテレビドラマの世界に羽ばたく俳優もいないではないが、それはレアケース。
 よっぽどの強運でなければ龍一の様に燻りながら年をとる。

 演技には自信がある。顔も悪くないと思う。なのに龍一にはテレビドラマのオファーが来ない。大衆向けの映画は言わずもがな。
 オーディションには軒並み落ちて、事務所からの勧めでアイドルオーディションも多数受けたが全滅の日々。
 龍一は考えた。自分に足りないのは何か。

 そうだ。運だ!

 そうひらめいた次の日に、龍一はこの街に引っ越すことを決めた。
 芸能の神様を祀る、この龍神様のいる街に。

 龍一が神社にお参りを始めて今日でちょうど百日目。
 いつものように手を合わせて御礼を申し上げる。

「すぐそこのアパート303の天宮龍一です。本日もありがとうございます」

 深く礼をした龍一に、しめ縄が少し揺れて紙垂がサラサラと音を立てた。

「……龍神様?」

 今日が百日目のお参りだということは龍一もわかっており、少し緊張していた。
 だから神様に話しかけるという無礼を働いた。

 拝殿の前、かけられたしめ縄がぐぐっと膨張した。紙垂も派手に揺れる。

「!?」

 龍一は神社の異変を感じて、他にも人がいないか見回した。が、どういう訳か誰もいなかった。社務所に禰宜もいない。

 なおも異変は続く。
 本壺鈴がガランガランと揺れて大きく鳴った。それでも誰も出て来なかった。
 鈴緒もまるで台風でも来ているような勢いでブンブン左右に振られている。

「あ、ああ……」

 拝殿の奥が白く眩く光る。
 龍一の視界は真っ白になった。






 ……

 …………

 次に龍一が目を開けると、自分の体は地面に横たわっていた。
 意識を覚醒させる。手が動いた。痛いところもない。

「何だったんだ……?」

 龍一はゆっくり起き上がった。体に土埃がついている。
 はて、神社は砂利が敷いてあるし参道も舗装されているので、こんな泥のような赤い土が体につくはずはないのだが。

「うん?」

 龍一はもう一度自分がいる地面を確認した。びっしりと何か文字の様なものが書かれていた。
 それは円形に広がって書かれており、円状の曲線も多数伸びている。どうやら龍一は地面に書かれた円形の落書きの中心にいるようだった。

 職業柄、ファンタジー作品の知識も龍一には人並み以上にある。そこに出てくるものに似ている。

「……魔法陣?」

 子どものイタズラかと思った。だが、落ち着いて周りを見てみるとそこはビルに囲まれた小さな神社ではなかった。
 広い、広い公園のような広場。ぽつぽつと立っている木々。青々とした空。

「どこだ、ここは?」

「あ、あああ、ああああ……」

 突然後ろから人の声が聞こえた。龍一は慌ててそちらを振り返った。

「あわわわ……!」

 少女が立ったまま龍一を見つめて青ざめている。
 背丈ほどもある大きな木の杖を持って、黒いローブを羽織っていた。
 ファンタジー映画でよくあるような魔法使い、のコスプレに龍一には見えた。

 少女はしばらくあわあわ言っていたが、ついに生唾を飲み込んで意を決すると龍一に話しかけてきた。

「あのう……念のため確認しますが、あなたは、ドラゴンですか?」

「はあ?」

 突拍子もない質問に、龍一はつい眉を顰めて聞き返す。

「ひいぃ! ごめんなさい!」

 龍一の強面に睨まれた形になった少女はブルブル震えて泣きそうになっていた。

「あ、いや。すまん。俺は元からこういう顔で……」

 つい謝ってしまったが、龍一はそんないわれはないことを思い直して目の前の少女に尋ねた。

「ここは、どこなんだ? 君はなんだ?」

 だが少女は龍一の問いには答えず、キッと視線を厳しくして震える声で言う。

「わ、私の質問が先です! あなたはドラゴンなんですか? どうなんです!?」

「そんなはずないだろう。俺は人間だ」

 一体龍一の何を見てこの少女はそんな事を言うのか。
 まさかと思って龍一は自分の手や足、顔を確認する。特に異常はない。自分のままの姿であることは間違いなかった。

「ウソ……まさか、失敗するなんて」

 少女は更に青ざめてその場にへたり込んだ。

「ドラゴンオーブは一つしか貰えないのに……これで私は人生の落伍者」

 ブツブツと呟きながら絶望している少女の姿はとても見ていられなかった。

「おい、大丈夫……か?」

 龍一が声をかけると、少女はハッと気づいたように顔を上げてついに泣き出した。

「あああぁっ! 失敗したとか、そんな事よりも! どうしようどうしようどうしよう! ごめんなさいごめんなさい!」

 少女はへたり込んだままの姿勢を更に低くして、地面に頬を擦り付ける勢いで謝った。
 その尋常じゃない雰囲気に龍一も面食らう。

「何でそんなに謝るんだ? 君は一体……?」

 地面に座ったままの龍一に少女は急いで近づいた。
 間近になった少女の顔立ちに、龍一は不覚にもドキリとした。
 茶色のサラサラとした長めの前髪が、大きな瞳にかかっている。涙に濡れたためにキラキラと輝いていた。
 左右にゆるく三つ編みした髪の毛は少しくせ毛が飛び出している。
 色白で頬にさす赤みが庇護欲をかき立てられた。

 龍一がしばし言葉を失っていると、少女はそのふっくらとした桃色の唇からとんでもない事を言った。

「あの、落ち着いて聞いてくださいね? えっと、端的に言いますけど、ここは貴方にとっては異世界です」

「……うん?」

 龍一は一瞬思考が飛んだ。この子役のような可愛らしい少女はコスプレイヤーではないのか?

「それで、非常に言いにくいんですが……その、貴方が元の世界に戻る術はありません」

「──エ」

 少女の顔は真剣そのものだった。嘘を言っているようではないと直感する。だがそれは龍一にとって絶望を意味する。

「ごめんなさい! 私の責任です!」

 少女は再び土下座する。龍一にはまだ事態がよく飲み込めていなかった。

「ううん、謝るだけじゃ責任は果たせない!」

 少女は一人で頷いて何かを決意していた。

「お、おい……?」

「私が一生貴方の面倒を見ます! だから……」

 少女の瞳には燃える決意の火が灯る。

「私とここで一緒に生きてくださぁいっ!!」

 天宮龍一。二十五歳。売れない俳優……ではなくて売れる前の俳優。
 たいした人生経験もないが、この日一気にそれが訪れた。
 初めて会った少女から、突然プロポーズをされたのである。



 ◇ ◇ ◇


 
「いやあ、孫が取り返しのつかないことをしまして……」

 龍一は今、老人からお茶を出されて歓待を受けている。
 とりあえず少女の家がすぐそこなので、落ち着いて話をするために連れて来られた。

「はあ……」

 返事はしたものの、まだ龍一には何が現実なのか飲み込めていなかった。
 それができるまではお茶など飲めそうにない。

「お祖父ちゃん、ごめんなさい……」

 少女はしゅんと肩を落として龍一の隣に座っている。

「まあ、お前が召喚に失敗したのは百歩譲っていいとして。他所の世界の住人を呼んでしまうとはなあ……」

 少女の祖父らしき老人は白く長い顎鬚を摩りながら困り果てていた。

「だから、私、これから一生懸命働いて、この人を養っていくの!」

「ええー……」

 一人で鼻息荒く宣言する少女に、龍一はどう接していいのかわからない。
 そして老人も大きく溜息をついて孫を宥めた。

「まあ、落ち着きなさい。決断力があるのはさすが我が孫じゃが、事はそう単純ではない」

 龍一も老人と同じ気持ちだった。
 今までの話を信じるなら、龍一は異世界に一人で放り出されてしまったのである。この少女のせいで。
 確かに頼れる人も何もない。不安を不安と感じる実感もまだないが、これだけは言える。

 二十五にもなって、こんな子どものヒモになる訳にはいかない!

「とにかく彼の事は村会議で決める必要があるだろう。ドラゴン召喚失敗の産物なんじゃ。責任は村全体にある」

「でもお祖父ちゃん……」

「この人の身にもなって考えなさい! お前みたいな子どもに「養います」言われて頷けるはずなかろう! いい大人のこんなデカい男が!」

「私は子どもじゃない! もう二十歳です! だから召喚の儀式に臨んだんでしょ!?」

 二人のやり取りを聞いていた龍一は我が耳を疑った。
 え、今、二十歳って言った……?
 ここに来て、龍一は今が一番驚いた。中学生、いってても高校生くらいだと思っていたからだ。
 異世界の人間は見た目が若いのか? そんな呑気な事を思わず考えてしまった。

「たわけ! 召喚に失敗するやつなぞ、永遠に子どもじゃ!」

「うっ……! ううう……」

 老人に怒られた少女は、また瞳に涙を溜め始める。龍一が知る中にそんな二十歳はいない。
 今までに会った子役や高校生俳優でさえ驚くほど大人びていて、スレていた。こんな反応はとても新鮮だ。

「とにかくのう、しばらくここに滞在してくださらんか? 貴方のことは村をあげて責任を取りますから」

 老人の申し出は渡りに舟だった。何も知らない世界で、一人で夜明かしするなんて自殺行為だろう。
 それに責任を取ってくれるとも言った。それがどういうものになるかはわからないが、それを聞いてからでも遅くはない。

「もちろんです。よろしくお願いします」

 龍一が頭を下げると、老人は目を細めて頷いた。

「ああ、良かった。おお、そういえば名乗りもせずに大変失礼しました。儂はこの村の召喚師、アオニ。この子は孫のワカナですじゃ」

「……召喚士見習いのワカナです」

 ワカナと呼ばれた少女はすっかりしょげていて、肩を落としながら言った。

「まあ、お前はもう召喚士資格を取り下げじゃろうがなあ」

「お祖父ちゃん! そんなヒドイこと今言わなくてもいいでしょ!?」

 ワカナは泣きながら怒った。その様子が可愛くも哀れで、龍一は怒る気になれなかった。

「も、もうその辺で。彼女も反省しているんでしょうから」

「!」

「や、優しいっ!」

 龍一の言葉に祖父も孫も瞳を潤ませて感激していた。それで龍一はさらに毒気を抜かれる。

「あ、あの……」

 ようやく泣き止んだワカナはおずおずと龍一に話しかけた。

「貴方の、お名前は……?」

「ああ、そうか。俺は天宮(あめみや)龍一(りゅういち)

「アメミ、リュ……?」

 ワカナは首を傾げながら難しい顔をする。
 なるほど、この世界では名字は不要かもしれないと龍一は思った。

「いや、龍一だ。そう呼んでくれ」

 するとワカナはパッと顔を輝かせてから言った。

「リューイチですね! わかりました!」

「あ、ああ……」

「よろしくお願いします!」

「よ、よろしく」

 ワカナは龍一が名乗った途端、屈託のない笑顔を向けた。
 それが本当に、嘘や裏のない、素直な笑顔で。
 そんな風に真っ直ぐ心を向けられたのが久しぶりだった龍一は、胸の辺りがくすぐったかった。



 ◇ ◇ ◇


 
 龍一が元の世界で神社を訪れたのは昼過ぎだった。
 ワカナに召喚されたこの村でも時刻は変わらないようだ。

 ワカナの祖父のアオニは、とりあえず今回の事件を村長に報告しに出かけていった。
 それで家の中には龍一とワカナの二人きり。

 被害者と加害者の関係の二人には会話がなくて、隣に座ったまま沈黙の重たい空気が流れていた。

「あのう、リューイチ……?」

 しばらくしてワカナの方が不安そうな顔で龍一の顔を覗き込んだ。

「──な、何だ?」

 その顔はとても無防備で龍一の心臓はまた跳ねた。二十歳にしては幼すぎないかとさえ思う。

「もう少し、ここについての説明をしても……?」

「ああ、うん。そうだな……頼む」

 龍一が頷くと、ワカナは姿勢を正して少し真面目ぶって話し始めた。

「この村はオチロ村といって、召喚士……とりわけドラゴン召喚士の村なんです」

「ドラゴン召喚士?」

 ただの召喚士ならば龍一のファンタジー知識にもある。そこにドラゴンがつくとどうなるのだろう。

「ええとですね、まず、ここじゃない異世界にドラゴンの世界があってですね、このオチロ村と繋がっているというか境界がとても曖昧なんです」

「……異世界とはひとつではないのか?」

 龍一がいた地球も異世界だとワカナは言った。地球にはもちろんドラゴンは実在しない。
 その疑問にワカナは大きく頷いて答えた。

「もちろんです。この世界……ガハマ・タカーラを中心に、その周りには様々な異世界が存在します」

「この世界が、中心?」

「そうです!」

 ワカナは自信を持って大きく頷くが、龍一はその考えには賛同しかねた。
 ただ、地球でも昔は太陽が地球の周りを回っていると考えられてきたことがある。
 どこの世界でも、自分が世界の中心だと考える文化は同じようだ。それで龍一は少し親近感が湧いた。

「まあ、わかった。それで?」

 そこに異を唱えて議論しても仕方ないので、ひとまずそれを飲み込んで龍一は続きを促した。

「はい。このオチロ村はドラゴンの世界と近い特性なので、ドラゴン専門の召喚士を育てる村なんです」

「ふうん」

「村に生まれた子どもは物心がつくと、ドラゴン召喚の修行を始めます。それで二十歳になると、自分の生涯のパートナーとなるドラゴンを召喚する儀式に臨みます」

「……なるほど。事情が読めてきた」

「はい?」

 ワカナは大きな瞳をくりくりとさせて龍一を見た。

「つまり、君はその儀式に臨んで失敗し、俺が呼ばれてしまった……のか?」

「そ、その通りです! なんて早い理解!」

 ワカナは驚愕にのけ反った。龍一は溜息を吐きながら言う。

「うん、まあ……ありがちの設定だなあ、と」

 今の所、B級ファンタジー映画のような展開だ。いや、日本のエンタメなら映画にもならないかもしれない。

「設定、とは?」

「いや、こちらの話だ。俺のいた世界では、ドラゴンも召喚士も物語の中に出てくるのでな」

 龍一がそう言うと、ワカナは驚いて大きな目を更に丸くする。

「そうなんですか!? まさか、リューイチの世界はガハマ・タカーラと関係があるんですか?」

「い、いや……多分ないと思う。偶然じゃないかな?」

「ほえー、すごい偶然ですねえ」

 ワカナは目をキラキラさせて感心していた。
 早くその先が知りたい龍一は急かすように聞く。

「それで、どうして俺は自分の世界に帰れないんだ?」

「あ……えっと……」

 ワカナは急に顔を曇らせる。怒られるのを怖れる子どものようだった。
 この子は二十歳なんだよな? 何故俺が歩み寄らないとならないんだ?

 龍一は保育士にでもなった気がしたが、肝心なところが聞けていないのでそういう役を演じるつもりでワカナに笑いかけた。

「ワカナ、怒らないから教えてくれ。うん?」

「!」

 するとワカナはぽっと頬を染めて硬直してしまう。俺の演技力が足りないのか、と龍一は内心悔しがった。

「ワカナ、頼む。教えてくれ」

「ふぇ……っ!」

 ならば素直に懇願するしかない。龍一はワカナに近づいてもう一度聞いた。

「ち、近い! 近いです、そんなカッコイイ顔で迫らないでください!」

「んん……? あ、いや、そうか、すまん……」

 なんだか妙な雰囲気になってしまった。少し心臓がざわつく。
 やや沈黙があって、ようやくワカナは口を開いた。


 
「二十歳の召喚儀式は生涯で一度きりなんです。だから私たち召喚士見習いは儀式に命をかけます。呼ばれるドラゴンも、二度と故郷に戻らない決意を持って応えてくれるんです」

「そうか……そういうしきたりなんだな?」

「はい。召喚の依代になるドラゴンオーブは国から支給される貴重品で、召喚士はたった一つしかいただけないんです」

「それを使ってしまったから、君は失敗した挙句に、二度とドラゴンを呼ぶことができない……?」

 龍一がそう確認すると、ワカナは急にダバーっと涙を流した。

「そうなんですぅ! 私、これで召喚士資格剥奪なんですぅ! この村ではもう生きていけないんですぅ!」

「そ、そうか。君も大変なんだな……」

 この失敗は、ワカナだけの責任なんだろうか?
 単にワカナの力が未熟だったせいなんだろうか? 他に要因は? 例えば俺とか。
 龍一がそんなことを考えてしまうほどに、ワカナの泣く姿は哀れだった。

「いいえ! 私のことはいいんです!」

 しかし、ワカナはキッと顔を引き締めて泣き止んだ。

「私は村を出ても働き口なんてどうにかなります! けれどリューイチは違う! 家族にも友人にももう会えない。誰も何も知らない世界で……」

 言いながらワカナはまた涙腺がぶり返す。

「うわーん! 本当にごめんなさーい!」

「いや、あの……」

 どんどん号泣の程度を上げていくワカナに、龍一はどうしたものかと困ってしまった。
 彼女は本当に優しい子だと思った。龍一は想像を膨らませる。
 この村で召喚士になるために育てられたのだから、それに躓いたならそれは死んだとも同義かもしれない。
 それなのに、ワカナは龍一の心配ばかりして泣いている。

「ワカナ……」

 もう、泣かないで欲しい。
 龍一は自然とワカナを抱きしめていた。

「ありがとう。君が親身になってくれて嬉しい。俺は大丈夫だ」

「……ふぁ、ッ!」

 龍一はまるで子どもをあやすように、ワカナの背中を優しくさする。

「俺も路頭に迷うほどヤワじゃないから。だからもう泣くな」

「リューイチ……」

 ワカナは龍一の背中に手を回そうとした。お互いに縋る気持ちが強くなって、つい力が入ろうとした時。

「うおっほん! ……いいかな?」

 二人の目の前に老人のどアップが現れた。帰宅したアオニだった。
 龍一は慌ててワカナから離れる。家族に見られてしまって、非常に気まずかった。

「お、お祖父ちゃん! 急に出てこないでよ!」

「やかましいわ! なんじゃ、人が骨を折っているのに二人でチチクリあって!」

「お祖父ちゃん! 失礼なこと言わないでよ!」

 ワカナは真っ赤になって怒ったが、アオニは続けて龍一にもずいと迫った。

「あんたァ……大目に見ておったら、儂の孫に手ェ出すとはのう。呼ぶか? 儂の最強ドラゴン。お前さんなんぞ一瞬で灰じゃ」

「ご、ごめんなさい……」

 その迫力に龍一は圧倒された。今まで会ったどんな組長役の大御所俳優より怖かった。


 
「そんなことより、お祖父ちゃん! 話し合いはどうなったの?」

「おお、そうじゃ。遊んでる場合じゃない」

 アオニはほとほと疲れた風で、ゆっくりと椅子に腰掛けて息を吐く。

「ちぃと、厄介な話でのう……」

 ワカナと龍一は、その話に緊張して耳を傾ける。
 アオニはまずお茶を啜って深呼吸してから切り出した。

「とりあえず、あんた。リューイチさんよ」

「はい」

「あんたがここに来てしまった件は、村全体の責任じゃ。あんたにはこの村に家を与えるから好きなだけいてもらって構わん」

「お祖父ちゃん、それ本当!?」

 ワカナは顔を輝かせて聞いた。その喜びようと、祖父が答える顔は一致しなかった。アオニは難しい顔を崩さなかった。

「ああ、衣食も不自由がないようにしよう」

「それは……とても有り難いが」

 龍一はその話を受けてしまっていいものか戸惑った。ワカナのヒモから村のヒモになっただけで、ヒモには違いない。

「とは言え、あんたはまだ若いじゃろ。村での生活に飽きたり別の所で働きたくなったら申し出て欲しい。村の口利きが必要ならいくらでも協力しよう」

「なるほど、そういう事か」

 しばらくは養ってやるけれど、この世界に慣れたら出て行け。つまりはそう言われたという事だ。

「すまんのう、儂ではこれが精一杯じゃったよ」

「いや、当面の生活だけでも補償してもらえるなら有り難い」

 龍一は目の前の老人に頭を下げた。他の例がわからないから比べようもないが、身ひとつで荒野に放り出されるよりは何百倍もいい。

「なんで二人ともそんなにがっかりしてるの?」

 ワカナは祖父と龍一の雰囲気に首を傾げていた。

「リューイチは村の一員になれるんだね! 良かったあ」

「ああ、まあな……」

 せっかく喜んでいるのに水を差したくはない。龍一はゆっくりやればいいと思った。その間にワカナもきっとわかるだろう。

「全く、我が孫ながら能天気で困った子じゃ……」

 アオニももう一度深く息を吐いた。


 
「それで、ワカナの処遇はどうなるんです?」

 龍一は自分のことよりもそっちの方が心配だった。
 この楽天的で泣き虫のワカナが、村から追放にでもなったらと思うと空恐ろしい。

「ああ、うん。それなんじゃが……」

 アオニは言葉を濁らせてはいるが、先ほどよりも表情が明るかった。

「ドラゴン召喚に失敗したのは確かに残念じゃ。だが、お前の魔力と魔術が村で一番なのは皆が知っておる。そんなお前をどうして村から追い出せよう?」

「お祖父ちゃん……」

「えっ、い、一番?」

 龍一は驚いてしまった。召喚に失敗するような者がどうしてそんなに優秀なんだ。

「リューイチ?」

「……一番?」

「えへへ」

 ワカナは照れながら頷いた。

「村に召喚士はどれくらいいるんだ?」

「えっと、同期と呼べるのは五十人くらいかなあ」

「五十人の中の一番!?」

「はい」

 ワカナはケロッとして答える。
 龍一があまりに驚いているのでアオニがジロッと睨んだ。

「なんじゃ、不思議か? 儂の孫なんだから当然じゃろ」

「お祖父ちゃんは召喚士のマスタークラスなんです。『士』のところを師匠の『師』にして名乗れるのは村ではお祖父ちゃんだけです」

「はあ……へええ……」

 ワカナの説明に、龍一は感嘆の声しか出なかった。
 能天気なド天然孫とのほほん爺さんだと思っていたのに、二人は凄い実力の持ち主だったのだ。
 本当に人は見かけによらない。

 それなのに、召喚に失敗したのか?
 龍一は一度捨てた疑問を再度考えた。考えても納得できる理由が見当たらない。


 
「で、問題はここからなんじゃ」

「うん」

 ワカナは神妙な面持ちで頷いた。

「村としてはな、お前の実力を後進の教育に使いたい。じゃからお前は召喚士としてではなく、今後は子ども達の教師として村に貢献して欲しい」

「ああ、なるほど!」

 ワカナは手を叩いて弾んだ声を上げた。村から出て行かなくていいし、職も保証される。龍一は少し安心した。
 だが、アオニの表情がそこまで明るくはない。不安の色がまだ消えていなかった。

「良いのか? ドラゴンを持たないお前は今後確実に差別される。大人だけでなく、教え子にも舐められるかもしれんぞ? 『ドラゴンを呼べないのに先生をしているのか』とかな」

「え……」

 ああ、そういう事になるのかと龍一は目の覚める思いだった。
 確かに長い目で見ればそういう時は確実にくるのかもしれない。ここが「村」である限り、異質なものはきっと肩身が狭い。

「じゃから、ワカナや。お前が選びなさい。村にいてずっと白い目で見られるのか、それとも村を出て自由になるかは──」

「私は村に残る!」

 即答だった。
 アオニは目を丸くして驚いたし、龍一も同様だった。

「お祖父ちゃん、そんなこと言ってるけど、私が村に残れるように相当頭を下げたんでしょ? マスターのお祖父ちゃんでも、ドラゴンを持てない召喚士のことなんて守り切れる訳がない。これは、お祖父ちゃんが頑張って勝ち取ってくれた村の最大の譲歩なんでしょう?」

「いや……その……」

 アオニは言葉をつまらせた。ワカナに正しく指摘されたからだ。

「お祖父ちゃんがそこまでして私が村に残れるようにしてくれたのに、私だけ村を出るなんてできないよ!」

「だが……お前がずっと差別されるのは不憫でな……」

 アオニの気持ちは良くわかる。孫がずっと居心地の悪いまま暮らすなら、会えなくなってもどこかで自由に生きて欲しい。
 その上で、頭を下げてでもワカナに選択肢を用意した祖父の愛の深さに龍一は感動していた。

「それに私は決めたの!」

「うん?」

 ワカナは自らの胸をドンと叩いて祖父に言い切った。

「リューイチと一緒に生きるって! だからリューイチが村にいるなら私も村に残るよ!」

「……」

 その話、終わってなかったんだ……
 アオニも龍一も、その事はすっかり忘れていた。

「はああぁ……わかった。お前の好きにしなさい」

 アオニはわざとらしい溜息を吐いて降参した。

「うん!」

 すっきりした顔でニコニコ笑うワカナに分からない角度で、アオニは龍一を鋭く睨む。

「おう。わかってると思うが、ヘタなことしたるぁラァ、一瞬で灰だからな?」

 老人の巻き舌がこんなに怖いものだとは、龍一は初めて知った。

「リューイチ! ドラゴンなんて忘れて、ここで静かに暮らそうねっ!」

「あ、ああ……」

 いずれ村を出ていくのが筋だと思っていた龍一の決心が少し鈍った。
 こんなに素直に喜ばれては置いて出ていくなどできない気がする。

「待て、ワカナ。お前が村に残るには条件がある」

「ええ!?」

 アオニはゴホンと咳払いした後、朗々と宣言した。

「明日の、ドラゴン見せびらかし大会にお前も出なさい」

「えええっ!?」

 ワカナの素っ頓狂な声が家中に響く。
 察しのいい龍一は、この件はまだ落着しない事を悟っていた。




 マタヤ祭。通称「ドラゴン見せびらかし大会」。
 毎年、二十歳になった召喚士見習いは、この祭の日までにドラゴンを召喚している。
 そうして新たにパートナードラゴンを得た召喚士達が、その実力を競う祭である。

 ドラゴン召喚に失敗したワカナは、高い能力を惜しまれて村に残留できることになった。
 だが、条件がひとつ。
 明日のドラゴン見せびらかし大会で、優勝した者と戦い村中にその実力を認めさせること。
 肝心のドラゴンがいないのに。

「無理無理無理ッ!」

 祖父のアオニからもたらされた条件に、ワカナは真っ青になって首を振った。

「何も勝てとは言っとらん。ドラゴンと対峙しても遜色のない魔力を祭で見せろ、と言うておるんじゃ」

「だからそれが無理だってば! ドラゴンだよ!? 私なんかあっという間に灰になるよ!」

 龍一もそうだろうなと思った。
 ワカナがどれくらいの魔術が使えるかわからないが、生身の人間がドラゴンと戦って勝負になるはずがない。

「お前はドラゴンに対する評価が高過ぎる! まあ、儂のピーちゃんを幼少から見ておれば当然か。ピーちゃんと村の若いモンがとっ捕まえた未熟なドラゴンと比べるなど言語道断じゃ! ピーちゃんに謝れ!」

 ピーちゃんと言うのは、さっきから龍一を脅す時に使われるアオニの最強ドラゴンのことだろうと龍一は想像する。
 マスタークラスが操るドラゴンではなく、相手もぽっと出のドラゴンなら大丈夫なのか?
 いや、腐ってもドラゴンはドラゴンなのでは?

「……」

「なんじゃ、その顔は。いいよ? 出ないならお前は荷物をまとめて夜が明ける前に出ていけぇ!」

「う、うう……」

 ワカナはやはり目に涙を溜め始めた。
 号泣して収拾がつかなくなる前に、龍一はアオニを宥めようとする。

「あの……そんなに煽らなくても」

 その言葉は届かなかった。アオニは額に血管立てて声を荒げる。

「どうなんじゃ! 出るのか!? 出ないで負け犬になってオサラバするか!?」

「出るよ! 出ればいいんでしょ!?」

「よぉし! それでこそ儂の最強の孫じゃ!」

 そんな売り言葉に買い言葉のノリでいいのだろうか。
 龍一は明日を迎えるのが怖くなった。



 ◇ ◇ ◇


 
 翌朝。
 ワカナと龍一はマタヤ祭の会場へと向かっていた。
 二人の足取りは重い。何せ生身でドラゴンと戦えと言われているのだから。

 アオニは先に会場に向かった。マスター召喚師は祭ではやることが山ほどあるそうだ。
 龍一は特別に祭の見学を許された。すでに村中にワカナが召喚に失敗したことは伝わっているらしく、先程からワカナと龍一を追い越して祭へ向かう村人達の視線が痛かった。皆追い越す動作にかこつけて龍一の顔を舐めるように見ていくからだ。それも足取りが重い理由だった。

「ごめんなさい、リューイチ。私のせいでこんな好奇の目に晒されて……」

 ワカナは落ち込んでいた。それで龍一は空元気を出さざるを得ない。

「いや、まあ予想はしていた。それに俺は人前に出る仕事をしていたからな。こういうのは慣れている」

「そうなんだあ……」

 ワカナは心ここにあらず、と言った風でトボトボと歩く。
 何か元気が出るような励まし方はないものか、と龍一が考えあぐねていると後ろから誰かに話しかけられた。

「よお、ワカナ! 大変だったな」

 ワカナと同じ年頃の青年だった。青い髪でやんちゃそうな印象である。ワカナと同じようなローブを羽織っていた。

「ミハル……」

 ワカナがその青年の名を呼ぶと、足元からも鳴き声が聞こえた。

「キュッ!」

「わあ、この子がミハルのドラゴン?」

「そうそう。可愛いだろ?」

 その生物を見て龍一は目を見張る。そこにいるのは、大型犬ほどの大きさでずんぐりむっくりな体型の山吹色のドラゴンだった。
 大きな瞳がクリクリと動いて、背中に羽はあるもののとても小さくて、飛べるとは思えなかった。

「名前は?」

「それはまだ。もうちょっと信頼されないと教えてくんないだろ」

「そっかー、でもいいねえ。良かったねえ」

 ワカナはミハルとのどかな会話を続けている。
 龍一は昨夜のアオニの言葉の意味がわかった気がした。
 見習い召喚師の連れているドラゴンも、このように成長途中ならワカナに勝機は充分あるかもしれない。

「で、あんたがワカナのドラゴン?」

 不意にミハルが龍一を振り返る。
 どう返事したものか、龍一は急に緊張した。

「リューイチはドラゴンじゃないよ! 人間だよ!」

 ワカナが強めに反論すると、ミハルは龍一をジロジロ見てから半笑いで言った。

「ふうん。あんたも災難だったね。ま、強く生きてよ」

「お、おお……」

 明らかにバカにした態度だったが、ワカナと同世代の青年は怒れない。
 と言うか、龍一は職業柄キレたら終わりなのでアンガーマネジメントが自然とできるようになっている。

「じゃあ、俺たち先に行くわ。また後でな!」

 ミハルは二人に見切りをつけて、早足で歩き出した。その後を山吹色のドラゴンがよちよちと歩いてついていく。
 するとミハルはドラゴンをひょいと持ち上げて走り去った。


 
 ミハルの背中を見送りながら龍一はワカナに聞いてみる。

「なあ、見習いが召喚するドラゴンと言うのは皆あんなもんなのか?」

「そうだねえ。だいたい子どものドラゴンが多いかな。でもドラゴンの成長は早いから、召喚士の腕次第ではすぐに家くらい大きくなるよ」

「そうなのか? すると一緒に暮らすのは大変だな?」

 龍一が驚きながら言うと、ワカナは笑いながら付け足した。

「でも、召喚士に腕があればコンパクト化が可能なの。ミハルのドラゴンみたいな小ささにわざとしておくんだよ。で、いざと言う時に真の姿を! って感じにね」

「なるほど。そういえばアオニさんのドラゴンは? まだ見ていないが……」

 龍一の素朴な疑問にも、ワカナは笑って答える。

「お祖父ちゃんくらいになると、次元の境界を超えられるからいつも一緒でなくてもいいの。ピーちゃんもドラゴンの世界ではだいぶ偉くなってて、そんなにこっちに来れなくなってるみたい」

「はあ、そういうのもあるんだな……」

 落ち着いて聞くと、この世界の事柄はとても興味深い。
 龍一が感心していると、ワカナは苦笑しながら更に付け足した。

「ていうか、今のピーちゃんがこちらにやってきたら多分村ごと消えると思う」

「ええっ!?」

「それくらい、お祖父ちゃんとピーちゃんは凄いんだから!」

 誇らしげに恐ろしいことをワカナは言ってのける。
 アオニも、ワカナも、能力が高すぎて常人と意識が合ってないんじゃないかと龍一は不安になった。

「えへへ……」

「どうした?」

 ワカナははにかんで龍一に笑いかける。

「リューイチ、ありがとう」

「うん?」

「お祖父ちゃんとピーちゃんの話をしたら、なんだか自信が沸いてきて心が軽くなったみたい!」

 ワカナは満面の笑みを浮かべていた。花のかんばせとはこういう事を言うのだろう。
 笑顔が陽光を浴びてキラキラ輝いている。今まで共演した女優達の誰もこんな笑顔は出来なかった。

「そ、そうか」

 不覚にもときめいてしまって、龍一は視線をどこにおこうか迷ってしまう。
 そうしているうちに、ワカナが少し頼もしい顔をして決意を口にした。

「リューイチ、私、絶対頑張って認めてもらうね。そして貴方と私のスイートホームで静かに暮らすの!」

「……」

 この子は、意味がわかって言っているのか?
 わかってないんだろうな……と龍一は思っていた。見た目によらず、ワカナは直感型の直情タイプだ。
 無意識に敵を作ってしまうことも今後あるだろう。そんな時、いつも側にいてやれたらという感情が顔を出す。
 だが、自分はいずれこの村を出ていかなければならない。ワカナはその時どうするのだろう?

「リューイチ、応援してくれるよね?」

 その笑顔を見ると、先の不安を忘れてしまいそうだ。
 いや、一旦忘れてもいいかもしれない。少しの間だけ、向けてくれる好意に応えたい。

「ああ……頑張れよ」

 龍一はワカナの頭を撫でた。絹糸のような艶々した綺麗な髪だ。

「ふあっ! ……えへへ」

 ワカナは少し驚いた後、嬉しそうにまた笑った。





 祭の会場についた。
 すりばち型の劇場で、よく古代史を扱う映画で出てくる闘技場のようだと龍一は思った。
 ワカナと龍一はすりばちの底に近い招待席に通された。
 すぐ隣の貴賓席には、長老と呼ぶにふさわしい老人達が雁首揃えて座っている。その列の中央にアオニも座っていた。

「あ! 始まるよ、リューイチ!」

 ドコドコと小太鼓のリズムに乗せて、左右から年若い青年とドラゴンが登場する。
 皆一様にローブを羽織っていた。そしてドラゴンは、先程会ったミハルが連れていたずんぐりむっくりと変わらなかった。

 レフェリーらしき男性が片手を挙げると、二匹のドラゴンはヨチヨチ歩いてお見合いし、小さな炎を吐いて戯れる。
 その微笑ましい光景に、場内からは笑いさえ飛んでいた。

「なんだ。意外とほのぼのしているんだな」

 龍一は胸を撫で下ろした。アオニがドラゴンと戦えなどと言うからもっと殺伐な感じを想像していたのだ。

「そりゃそうだよ。私たちはまだ見習いだもの。こういうのがほとんど」

 ワカナもにこやかなままでそう説明した。

「そうか」

 これなら心配することもないだろう。
 見合っていたドラゴンの片方がよちよちと舞台から転がり落ちたところで、試合は終了した。

「通称、見せびらかし大会だからね。ただ、たまに……」

 ギャオオオオオ!

 突然空気を震わすような雄叫びが響いた。
 次のドラゴンが登場したのである。片方は小さなずんぐりタイプだったが、もう片方は明らかに違っていた。

 ウオオオオオ!

 金髪で利発そうな青年が連れていたのは、まるでティラノサウルスかと思うような獰猛な顔をした大きなドラゴンだった。
 鋭い牙から涎が滴り落ちている。

「なんだ、あれは……」

 それまでののどかな雰囲気が一気に変わった。龍一は息を飲む。
 ワカナも神妙な顔になって言った。

「あれは、カルマ。私の次に優秀な召喚士見習い。さすがだ、もうあんなにドラゴンを育てていたなんて……」

「彼が、ナンバー2……」

「多分、今年の優勝者はカルマで決まりだよ。もう、お祖父ちゃん、だから私は無理だって言ったのに……」

 舞台では、カルマという青年のドラゴンが相手のドラゴンを片足で蹴り上げて落としていた。
 あっけない試合終了に、観客は静まり返る。

「カルマ……」

 ワカナは険しい顔で舞台を見つめていた。
 そして舞台上のカルマも、こちらを見て笑った気がした。



 
 カルマとそのドラゴンが退場した後は、またのほほんとした雰囲気に戻った。
 あれ以上の凶暴なドラゴンは出てこず、大きくてもせいぜい象ほどで顔も穏やかな個体ばかりだった。
 だが、カルマが出てくると空気が変わる。
 カルマのドラゴンは対戦相手を次々と一撃で蹴落としてあっという間に優勝してしまった。

「……ッ」

 ワカナは杖を握りしめて少し震えていた。あんなものとどう戦ったらいいのか考えてはいるが、恐怖で頭が働かないのだろう。

「ワカナ、無理はするな」

 龍一はワカナの震える肩を力強く抱いた。

「リューイチ! うん、やれるだけやってみる」

 肩だけでなくワカナは手も震えていた。龍一は思わずその手を温めてやろうと自分の手を伸ばした。

「!!」

 だが、背中に刺すような視線を感じた。振り返るとアオニが物凄い形相で龍一を睨んでいた。
 サッと血の気が引いた龍一はワカナから離れた。

「リューイチ! 行ってきます!」

「う、うん。気をつけろよ」

「大丈夫! 愛は時空を超えるから!」

「……うん?」

 ワカナが最後に言った言葉は、ちょっとよくわからなかった。




 ワカナが舞台に立つと、観客達がざわついた。皆ワカナが何故そこに立っているのかを知っているからである。

「……」

 杖を両手で握って対戦相手を待つワカナの姿を、クスクスと笑う者もいた。
 アオニが懸念していた通りだと龍一は思った。ワカナはこんな好奇と侮蔑に晒されながら生きなければならないのかと怒りすら込み上げる。

 ウオオオオオン!

 小太鼓の音もかき消すような咆哮を上げて、カルマとそのドラゴンが舞台に上がった。
 赤い体の獰猛なドラゴンは体長3メートルはあるかと思われた。
 ワカナは一歩後ずさったものの、目の前のカルマと勇敢にも見合っている。

「やあ、ワカナ。俺より優秀な君がまさか召喚に失敗するなんてね」

 カルマは余裕の笑みを浮かべていた。それまで勝てなかった相手に今日ついに勝てるという打算が顔に表れている。
 だが、ワカナは特に気にせずに少し笑って言った。

「私は失敗なんかしていないよ、カルマ」

「はあ?」

「私の所に来てくれたリューイチはとても優しい人なの。自分の方が大変なのに私のことばかり心配してくれる。私はあの人に会えて良かった」

「何言ってんの、お前? あれはドラゴンじゃないんだろう?」

 ワカナを完全に見下しているカルマは冷たく笑った。それでもワカナは怯まない。

「彼は確かにドラゴンじゃないけど、私はドラゴンよりリューイチの方がいい!」

 その言葉に、会場にどっと笑いが起こる。龍一には理解できなかった。ワカナはそんなに変なことを言ったのだろうか?

「お前、失敗してイカれちまったのか? オチロ村の召喚士はなぁ、ドラゴンがいてこそ存在価値があるんだよ!」

「いいよ、わかってくれなくても! 早くやろう!」

 ワカナはすでに臨戦体制だった。その闘志を汲み取ったカルマはふっと笑って自分のドラゴンを前に出す。

「そうかよ。お前は相変わらず話が通じない。それなら軽く揉んでやるよ、ブラッド!」

 ギャオオオ!

 名前を呼ばれた赤いドラゴンは高らかに叫んだ後、ワカナを見据えて唸った。

「ほら、どこからでもかかってこいよ」

 カルマの言葉に従って、ワカナは自身の杖に魔力を集中させた。

「フレア!」

 するとワカナの杖の先端から小さな火球が飛んだ。龍一は初めて見た魔法に度肝を抜かれた。
 本当にここは異世界なのだと実感せざるを得なかった。

 だがワカナの繰り出した火球は、カルマのドラゴンの吐く大きな炎にかき消される。

「ははは! バカじゃねえの!? ブラッドは炎属性のドラゴンなのに、同じ属性魔法で挑んでどうするんだよ!」

「フレア! フレア!」

 カルマの笑い声を無視して、なおもワカナは火球を繰り出した。赤いドラゴンはそれをバクっと食べてしまう。

「おいおい、遊んでんのか? お前の得意なヤツあんだろ? あれで来いよ、それとも俺のブラッドにはそんな価値もないってのか!?」

 激怒したカルマに従って赤いドラゴンはワカナを蹴った。ワカナはその衝撃で舞台の端ギリギリまで飛ばされる。

「ああっ……!」

「ふん、咄嗟の体勢でシールド張れるのはさすがだな。でも後がないぞ」

「フ、フレア……!」

 なおもワカナは火球を繰り出す。効かないとわかっているのに何故?
 龍一はそこまで考えてワカナの真意に気づく。ワカナはドラゴンを傷つけたくないのだ。だからわざと効きにくい属性で攻撃している。

「可哀想だけど、お前、再就職の道もねえよ」

 カルマが片手を挙げると赤いドラゴンはくるりと背を向けて尻尾を揺らす。ワカナを払って落とすつもりだ。
 3メートルもある巨躯の尾で打ち落とされたら、大怪我をするかもしれない。


 
「待て!!」

 龍一は思わず叫んで立ち上がった。その声は会場中に響いたのだが、龍一にはそんなことを気にしている余裕がない。
 すぐさま階段状になっている観客席を駆け降りて、龍一は舞台に上がった。

 龍一は無意識のうちに赤いドラゴンを睨みつけた。するとドラゴンは少し怯んで動きを止める。

「どうした、ブラッド? なんだよ、あんた」

「リューイチ……」

「大丈夫か、ワカナ?」

 龍一はカルマを無視して、へたり込んでいるワカナに手を差し伸べた。ワカナは龍一の腕にしがみついて震えている。
 ──悔しくて、震えていた。

「へえ、あんたがリューイチ? ほんとにただの人間だ、ワカナはこれでも失敗じゃないなんて言うんだ?」

「黙れ……」

 龍一の静かな怒りの声は、何故か会場中に響き渡っていた。人々もざわつき始める。

「ワカナを侮辱するのは、許さない……」

 それまで晴れていた空がにわかに曇り始めた。辺りがサアッと暗くなる。

「なんだ? こいつ……」

「リュ、リューイチ?」

 その場にいるカルマもワカナも龍一の変化に戸惑った。それが如実に現れたのは、まずカルマのドラゴンだった。
 それまで雄々しく叫んでいた赤いドラゴンは、瞳に恐怖の色を湛えた瞬間、ずんぐりした小さな姿に変化する。

「ブ、ブラッド!?」

「キュゥ……」

 赤く小さなドラゴンは、カルマに抱きついて離れなくなった。


 
 ゴロゴロと空が鳴り始める。遠くから稲妻が走っていた。それがどんどんこちらにやってくる。

「ワカナは……ワカナは、俺が守る!」

 龍一がそう叫んだ瞬間、雷がその体に落ちた。
 ドオン、という大きな音とともに龍一の体は光に包まれる。

「リューイチぃ!!」

 ワカナは絶望して叫んだ。目の前の光景はそれくらい凄惨な想像をさせるものだった。
 だが。

「──!」

 雷を帯びた龍一の姿が変わっていく。体が伸びてくねらせながら空に舞い上がる。
 銀の鱗。
 蒼い瞳。
 金の角。


 
 アオニはその姿に鳥肌が立った。アオニほどの召喚師でもこの目で見るのは初めてだった。

「あれは……大蛇(おろち)ッ!」

 龍一はドラゴンではない。
 龍一は、辰と呼ばれる龍に変化していた。

「リューイチ……?」

 ワカナは空を見上げてその龍に話しかける。幾重にも体をくねらせた龍は、優しい目でワカナを見ていた。

「おろち、ですと!?」
「まさかあれが!?」
「村の起源になったと言う?」

 アオニとともに座っていた老人達が口々に叫んだ。

「ああ、そうじゃ……あれはまさに大蛇(おろち)。彼は、伝説の龍人(りゅうじん)だったんじゃ……」

 アオニは涙を流していた。こんな奇跡を生きているうちに見られたことに感動していた。

「ワカナ……お前は、なんて子じゃ」




 空高く舞い上がった龍は、視線を落としてカルマと赤いドラゴンを見た。

「ひっ……!」
「ピピッ!」

 彼らがすっかり恐れをなして竦み上がっているのを確認すると、龍の目元が微かに緩んだ。

「リューイチ!」

 ワカナが叫ぶ。
 戻って。
 私はもう大丈夫だから。

「帰ってきて!」

 私のところに。


 
 ワカナの言葉が空に舞う。龍の体は再び光り輝いた。
 チカ、と光が一筋、ワカナの側に降りた。

 光が落ち着いて、ワカナはその姿を確認した。

「リューイチ!!」

 目の前にいるのは、人の姿の龍一だった。

「……ん? あれ?」

 龍一は少し記憶が曖昧だった。ワカナを守らなくてはと怒ってから先をよく覚えていない。
 それを省みる隙もなく、ワカナが龍一に勢いよく抱きついた。

「リューイチ、リューイチぃっ!」

「ワ、ワカナ? どうした?」

「うわあーん! リューイチー!!」

 初めて会った時と同じように号泣するワカナを、龍一は優しく抱きしめ返す。

「お前は、本当に泣き虫だな……」

 そこが、とても愛おしい。




「龍人様……」
「龍人様だ……!」

「龍人様!!」

 口々に言う村人を束ねるように、アオニの声が高らかに上がる。
 会場にいる全ての村人が、一斉にお辞儀や土下座をする。数百人もの人々の動作が揃った音が響いた。

「ええー……」

 なんだかよく分からないが、凄い光景に龍一は思わず引いた。




 ◇ ◇ ◇


 

「疲れがとれない……」

 翌朝、龍一はギシギシの体を引きずって起きてきた。
 ワカナはその姿に苦笑しながら温めたミルクを差し出す。

「おはよう、リューイチ。昨日は大変だったね」

「……俺はよく覚えてないんだが、こう疲れてるんじゃ、龍になったって言うのは本当なんだろうな」

「そうだよー、とってもカッコよかったんだから!」

 ワカナは昨日からずっとはしゃいでいる。何せ召喚士資格を剥奪されずに済んだのだから当然だ。
 何故自分が龍に変化できたのかは分からないが、ワカナがこんなに喜んでいるなら一先ずいいかと龍一は思っている。

「た、たたた、大変じゃあ!」

 突然アオニが血相を変えて帰ってきた。朝早くから村長に呼び出されたらしい。

「どうしたの、お祖父ちゃん?」

「大変なんじゃあ! 昨日のことを王都に報告したら、王様が龍人様を連れて来いと仰せになったぁ!」

「ええっ!?」

 ワカナは困惑が入り混じる声で驚いた。
 龍一も飲んでいたミルクを吹き出しそうになる。

「そ、それから、伝説の龍人を召喚したワカナを宮廷召喚士として召し抱えると仰せなんじゃあ!」

「ええー、ヤダぁ!」

 ワカナの率直な返事に、アオニは真っ赤になって捲し立てる。

「ヤダとかじゃない! とにかく王様のお召しなんじゃ、拒否する権利はない!」

「私はここでリューイチと静かに暮らしたいのに……」


 
 ワカナと龍一は平穏な暮らしなどまだ出来そうにない。