「木が……腐ってる……」

 森の様子を見たマナは途方に暮れた。
 見渡す限りの木々は腐り落ちるよう変色し、一切の光が遮断された不気味な光景が広がっている。

「私の力でどうにかできる話じゃ……」

 あまりにもひどい有り様を目の前にして自分の無力感に胸を締め付けられたが、大きく首を振って深く息を吸い込んだ。
 自分が諦めてしまったら、この森はもう元には戻らない。

「……やらなきゃ! 私にしか出来ない!」

 ぐっと(こぶし)を握り気を引き締める。
 
 ──大丈夫、出来る。
 
 自分を信じ、その場で膝をつくと、マナは目をつむり祈りを捧げ始めた。

 …………
 ……
 …

「なあんだ、落ちこぼれの聖女じゃない」

 正面から聞こえた声は、小馬鹿にした笑みを含んだ女の声だった。
 祈りを遮られたマナは驚きを隠せず目を見開く。

「……!!」

 そして、言葉を失い凝然(ぎょうぜん)としてしまう。
 その声の主が、さっき王宮内ですれ違ったあの白いドレスを身にまとっている聖女だったからだ。
 その聖女はマナに近づき、見下すよう前に立った。

「言葉が出てこないのかしら? それもそうね。じゃあ、自己紹介をしましょう。私はリリィ。この地区の新しい聖女よ」

 また嘲笑(あざわら)った顔で、()くし立てるようにリリィは喋る。

「……あなたは……、なに?」

 唾を飲み込み、やっとの思いで口を開いた。
 その聖女に恐怖心と不快感を抱き、後退(あとずさ)りするように立ち上がり距離を取る。
 
「なにって、新しい聖女だって……」
「……違う! あなたからは聖力を感じられない! 今のあなたから感じるのは、昨日と今日この場所に残されている魔力、それと同じ!」

 マナは視線を鋭くし、息を荒くしながらリリィの言うことを否定する。
 はっきりとわかった。あのどうしようもない胸騒ぎの原因は、この女性が作り出したものだった。
 その視線を見たリリィは肩を小さく震わせ始める。
 
「……っ、ふふっ……」
「何が……おかしいの?」
「……っ、あははははは」

 リリィの高笑いが響く。
 その綺麗さと(いわ)ましさに足がすくんでしまいそうだ。

「そうね、確かに私がやったことだわ」
「……あなた、何者なの!?」

 目の前にいるマナに心底興味がなさそうなリリィは、ふうとため息をついて着ているドレスをつまみ上げた。
 
「ねえ。聖女って、どうしてこう白い衣服を着せられるのかしら。神に仕える? 高潔で清純? 本当、馬鹿馬鹿しいしきたりよね」
「……何言って」
「どうせ着飾るなら……」

 言葉を遮ってきたリリィは、自分の着ているドレスを撫で始める。
 彼女が手をかざしたところから、漆黒の水に染まるようドレスが黒くなっていく。

「こういう何もかもを飲み込む黒が良いと思わない?」

 同意を求めるよう、こちらに向かって微笑んでくる。
 その魔力と笑顔の(おぞ)ましさに一つだけ、この女性がなんなのか思い当たることがあった。

「あなた……、魔女……?」

 戸惑っているマナにリリィは呆れ顔をしてみせた。
 
「あんまり言いたくはないけど、封印された魔女の名前くらい覚えておくものじゃない?」

 ふんっと軽く息を吐き髪をかき上げたリリィは、また饒舌(じょうぜつ)に話し始める。

「……まあいいわ。そうよ。私ね、昔この奥で封印されてしまったの。あの忌々(いまいま)しい聖女ドロシアに。でもあいつ、私にトドメを刺さなかった。だからこうして復活出来た。つくづく馬鹿な女よね」

 あははと笑うリリィに心底腹が立つ。
 
「……お母さんを! 馬鹿にしないで!」

 先ほどよりも鋭い双眸(そうぼう)(にら)みつけるマナを、リリィは上から下まで舐めるようにじっと見つめ

「……、そう。あなた、あの女の娘なの。似ても似つかないわね」

と、鼻で笑う。

「で、『お母さん』は今どこにいるのかしら? わざわざ聖女のフリまでして余興を仕込んできたの。そろそろドロシアと本番といきたいんだけど」
「お母さんはもう……いない。この地区に結界を張って、それからしばらくして……」
「あら、あの女本当に死んでたの。にわかには信じられなかったけど、娘がそう言うなら事実ってことね。この手で復讐出来なかったのは残念だけど、私はこうしてまた地上に降り立った。私の勝ちね」

 魔女はどこまでも逆撫でしてくる。
 リリィの勝ち誇ったかのような笑い声は、マナの胸を怒りで満たすのには十分すぎるほどだった。

「それ以上お母さんを侮辱(ぶしょく)しないで!」
 
 封印は無理でも結界を張るくらいは、そう思いながら怒りに任せて聖力を放つ。
 だがそれをリリィは涼しい顔で受け流した。

「なあにそれ? そんなちっぽけな聖力で私に結界を張れるとでも思った? 無理に決まってるじゃない。まず魔女を倒したいのなら……、そうね、悪魔かドロシア並みの聖力を持ってからにしなさい? ねえ、ドロシアはそんなことも教えてくれなかったの?」

 リリィはわざとマナを(あお)っている。
「ドロシアの娘に復讐したい」という思惑ではなく、ただただリリィ本人が楽しみたいというだけの理由だった。

「いい加減にして……!」

 リリィの言葉に乗せられたマナは我を忘れて、無駄だと分かっていてもまた聖力を放ってしまう。
 マナの聖力を正面で受け絶望させるように弾き飛ばすと、リリィはまたひと笑いをした。

「そんな聖力じゃ、結界どころか傷一つだってつけられはしないわよ」
 
 力の差を痛感し、マナはその場でうなだれてしまう。
 
 ──どうやっても、今の自分ではリリィに勝てない。

 マナの力量の程度がわかったリリィは態度を急変させた。彼女の顔から笑みが消える。
 所詮(しょせん)はただの娘、リリィにとって何の楽しみにもならない存在だった。
 
「……もういいわ。あなたと遊ぶのにも飽きた」

 ため息をついたリリィは冷たい目と声で(さげす)むと、そのままパチンと指を鳴らしマナを囲うよう結界を張り巡らせた。

「結界魔法っていうのはこうやって使うのよ。あなたはそこで国が滅ぶ様を見てるといいわ。まずはあの女が守ったこの地区から殲滅(せんめつ)させるの。そして今度こそ私の国にする……! ああ、考えただけでゾクゾクしちゃう」
「……そんなことさせない!」
「今のあたなに何が出来るの? その結界も壊せないでしょう? じゃあね、落ちこぼれの聖女様」

 リリィは手のひらをひらひらと振り、笑い声だけ残して消えていった。


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 就任式の行われた教会では、先ほどの歓声が悲鳴と怒号(どごう)に変わっていた。それは教会の外まで続いており、剣の混じり合う音が耳をつんざくように鳴り響き、(けもの)のような(うめ)き声が(とどろ)いている。
 騎士と、かろうじて人間の形をしている魔物が戦っていた。
 
「あらあら、なかなかいい余興じゃない」

 マナといた森から戻って来たリリィはフェアラートのそばに寄り、その様子を見て満足そうに微笑んでいる。

「リリィ! 今までどこに! それにその服! ……いや、手を貸してくれ! 騎士たちの一部が急に魔物に姿を変え襲い始めてきた!」

 剣を持ち切羽詰まった様子で情願(じょうがん)するフェアラートにリリィは素知らぬ顔をすると、するりと彼の腕に自身の腕を絡ませ、なまめかしい瞳でフェアラートを見つめた。
 
「何を……!」
「ああ、なんて可哀想な国王様。自分の従者と戦うはめになるなんて。でも最高のシナリオね、いいわ」
「何を言っているんだ!? 聖女なら今こそ力を示す時だろう!?」

 余裕のないフェアラートは険しい顔をしていて、いつも以上に口調が荒々しい。
 その追い詰められた姿はとても王子様とは言い難いものだった。そしてそれをリリィは「美しいものが歪んでいるのもまた美」だと光悦(こうえつ)し、くすりと笑う。

「残念。私、聖女じゃなくて魔女なの」
「……魔女だと!?」

 フェアラートは腕を振り払おうと試みるが、リリィの腕はそこからぴくりとも動かない。
 
「そうね、最後に良いことを教えてあげる。魔物になった騎士たち、昨日私から『聖なる光』とやらを受けた奴らよ。ふふっ、聖なる光……。笑っちゃったわ」
「……初めから(だま)していたのか!?」
「おかげさまで楽しい余興になったわ。本番のお楽しみがなくなった分、しばらく高みの見物でもさせてもらおうかしら」
「ふざけ……」

 るな、と言い切るより前にリリィがフェアラートの脇腹を短剣で刺していた。
 そのままふわりとフェアラートに抱きつき耳元で囁く。

「やっぱりいいわ。鍛えられた男の若い肉、そしてその中に入っていく感触……。短剣(これ)だとね、魔力よりも原始的で直接的にヒトの感触を味わえるの。それに秀麗(しゅうれい)なものが崩壊していく瞬間……。生きてるって実感する」

 リリィは片手でフェアラートの身体を押し、ゆっくり短剣を抜き取る。
 勢いよく血を吐き(ひざまず)くフェアラートの姿にリリィはまた興奮した。

「今刺したところは腎臓なの。人間って腎臓が二つあるでしょう? だから一つ潰れても大丈夫。あなたは綺麗だからすぐには殺さないわ。真紅の薔薇のように染まっていく国王様……、その顔を少しでも長く見せてね」

 リリィが上空へ浮かび上がると同時にフェアラートはその場に倒れ込む。
 すぐそばで戦っていた騎士がその姿を目撃し声を荒げた。
 
「誰か! あの聖女を! マナ様を早く呼んでこい!」