いつだって、物事の終わりは突如として何気ない日常にやってくる。
 母が死んだ日も、王宮に呼ばれ田舎を離れた日も、その瞬間まではいつもと変わらぬ毎日だった。

 この日だって、()()が来るまではいつもと変わらない日を過ごしていた。

 午前に薬草を取りに王宮の裏庭へと足を運び、昼頃に所持していったサンドイッチで軽めの昼食。
 そしてまだ陽が傾く前、ある程度の薬草が採取出来たところに王宮使用人たちの子供ら四人が現れた。
 男の子三人と女の子一人。五歳から七歳くらいの子たち。

「マナ様、またここにいたんですね」
「今日は何して遊びますか?」
「僕、鬼ごっこしたい!」
「マナ様のお仕事の邪魔しちゃダメでしょ!」

 子供たちは思い思いの言葉をかけながらマナを囲む。
 その無邪気な瞳や仕草がとても愛らしかった。それに騎士たちと違い、「聖女」ではなく「一人の人間」として見てくれているようで嬉しくもある。
 兄弟のいないマナにとって子供たちは弟や妹のような存在で、子供たちからしてもマナは良き姉のような存在であった。
 
「ありがとう、もう薬草も必要分は取れてるから大丈夫。……じゃあ、鬼ごっこ、する?」

 マナは子供たちに負けないくらい元気で、にんまりとした笑顔を返す。
 その笑顔を見た子供たちは「やったー!」と飛び跳ね、すぐに誰からともなく声が上がる。

「いつも通り、マナ様が鬼ね!」
「はいはい! ちゃんと逃げないと、すぐに捕まえちゃうからね!」
 
 一斉に駆け出した子供たちに、マナは元気よく叫んだ。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
 まもなく夕飯の時間になるからと、空がうっすらオレンジ色になろうかという頃に子供たちと別れることになった。

「マナ様またね!」
「次こそは負けないんだから!」
 
 みんな弾けるような笑顔で大きく手を降ってくれた。
 マナは汗ばむ額を拭いながら、小さな手のひらが見えなくなるまで手を振り続ける。
 心地よい疲労感と裏庭に残った明るい声に心が温かくなって、明日は何して遊ぼうかなと、童心に戻りながら裏庭を後にした。


 自室へ戻ったマナは、真っ先にシャワーを浴びることにした。
 それから髪を乾かし聖女服から私服に着替えると、「さあ、やるぞ」と気持ちを新たに採取した薬草の仕分けに取り掛かる。
 始めてから数分後、コンコンと自室の扉をノックする音が響いた。

 そのノックが、物事の終わりを告げる合図だった。

「はあい。今開けまーす」

 手に持っていた仕分け前の薬草をカゴの中に戻し、軽やかに扉へと向かう。
 こんな時間に珍しい誰だろうと、首を傾げながらドアノブに手をかけた。

「……!」

 予想外の訪問者に思わず目が丸くなり、身体に緊張が走る。
 そこにいたのはフェアラートの側近である、あの執事。
 糸で吊られているんじゃないかと思うほどの真っ直ぐな姿勢で、なんの感情も乗っていない微笑を浮かべていた。

「お疲れ様です。……えと、私になにか?」
「ええ。この度、新しい聖女を迎え入れる運びとなりました。マナ様におかれましては、明日朝にはご退室いただきますよう、ご準備のほどよろしくお願いいたします」
「え……?」
「ご苦労様でした」

 淡々と告げることだけ告げた執事は同じ姿勢のまま扉から離れていく。
 無駄なことは決してしない、完璧主義で効率重視な執事の人格が(にじ)み出ている歩き方だった。

 それを見ているマナは、ただ呆然(ぼうぜん)としていた。

 晴天の霹靂(へきれき)、とはこういうことなのか。
 本当に頭上へ雷が落ちたような衝撃で、頭と気持ちの処理が追いつかず執事を引き止める言葉すらすぐに出てこなかった。

 扉の前で立ち尽くし、虚無の時間がしばらく流れる。
 そうしているとなんとなく実感が湧いてきて、ふらふらとベッドまで歩くと勢いよく横たわった。

「しょうがないか。みんなの期待に添えなかった私が駄目だったんだろうし……」

 納得がいかないという不満よりも、当然の結末なんだろうという、やるせなさの方が大きかった。
 それと、もう暴言も言われなくなるんだという安堵感。

 呼ばれたのが突然なら追われるのも突然だなと、ぼんやりと考えていたら自然と涙が(あふ)れていた。
 それを(ぬぐ)う手から薬草の匂いがして、今度は声を出して泣いていた。

 …………
 ……
 …

 一通り泣いたマナは放心状態でベッドに横たわっている。

「お母さんの名前にも傷を付けちゃったな……」

 いつも胸元にしまっている小さな絹の袋を取り出すと、その中に入れている母の形見である青いダイヤモンドを手のひらに乗せた。
 深海のような深い青色をしていて、動かすたびに結晶内で輝きを変える。中に満天の星を詰め込み、見たものを(とりこ)にしてしまうような(きら)めき。
 そんなブルーダイヤモンドだった。
 

 ────この宝石には不思議な力があるの。心からマナが何かを望んだ時、いつかマナの力になってくれるわ

 今から十三年前、当時二歳だった自分に母が残していった手紙にはそう書かれていた。
 不思議な力のこともわからなければ、今何を心から望んでいるのか自分自身にもわからない。
 
「お母さん……」

 弱々しく(つぶや)くとダイヤモンドを強く握りしめ、身体を丸めた。

 …………
 ……
 …
 
 泣き疲れたのかどうやらそのまま眠りについてしまったようで、気がついたら夜になっていた。
 
 せめて最後にフェアラートにお礼がしたいと、また聖女服に着替え王室へと足を運ばせる。
 長い廊下を足音が立たないよう慎重に、そして最後になんと言われるのだろうと緊張しながら歩いていた。
 
 王室の前は不気味なほど静かだった。
 いつも扉の前にはあの執事が立っているのだが、どうやら今日はいないようだ。

 ──まあ、そういう時もあるよね。

 深くは考えず、ノックをする前に深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。

 すると、中での会話が(わず)かに聞こえてきた。

「我が国が威厳(いげん)を取り戻すのも時間の問題だな」

 フェアラートの声だった。

「はい。二十年前のあの日、そして大聖女様が亡くなってからのネームルア国の評判は地に落ちる一方でしたからね。明日、正式に迎え入れる聖女の力とフェアラート様の天性の才能をもってさえすれば容易(たやす)いことかと」
「必ずこの国を(よみがえ)らせ、昔以上のものにする。父上の無念……、きっと空から見守ってくれているはずだ」

 あの執事と会話をしているようだ。
 聞いてはまずいものだとは思いながらも、引き返そうという一歩も、ノックをしようと扉にかざした手も動かせずにいる。
 いけないことなのは重々承知しているが、彼らの会話に少しだけ興味を持ってしまった。

「新しい聖女の働きには期待をしてよろしいかと。(わたくし)は先に力を拝見させていただきましたが、あれは『落ちこぼれ』よりも使えますね」

 執事の言葉で心音が乱れ始める。
 不意に聞かされる『落ちこぼれ』はけっこう(こた)えた。
 そして、新しい聖女。執事がそこまで言うなんてどれほどの力なのだろう。

「そうか。それにしても、マナは期待外れだったな。ドロシア様の娘だというから、わざわざ田舎から連れてきたというのに……」
「あの聖女は最後までフェアラート様の寵愛(ちょうあい)にお気づきになりませんでしたね」
「偽りの寵愛だけどな」

 ──偽り?
 
 心臓の音が鼓膜を突き破りそうなほど大きく聞こえる。
 これ以上はここにいない方がいい、全身がそう叫んでいた。
 だが、心だけはその先を知りたがっている。マナは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、そこから動かずにいた。

「大聖女ドロシアの伝承だと、『皆を守りたい』という強い思いがきっかけとなって、結果魔女を封印できたんだろう?」
「はい、そのように。聖女の力の根源は他者を思いやる心だと聞きますからね」
「『なら、思いやる相手は俺でもいいはず』とわざと落ちこぼれという評判を広め、そこで俺が助け舟を出して惚れさせて、それから国のため存分に力を発揮してもらう、というシナリオだったが……。田舎育ちのじゃじゃ馬には無駄だったな」

 表情こそは見えないが、それは鼻で笑ったかのような物言いで、普段のフェアラートの声色からは想像もできないものだった。
 
 ──やっぱり、あれ以上は聞くべきじゃなかったんだ。
 
 マナは愕然(がくぜん)とし自分のとった行動を後悔すると、聖女服を胸の上からぎゅっと強く握り扉の前から離れた。

 誰かが言い出した『落ちこぼれ』はフェアラートから始まったもの。王子様のように現れ、優しくしてくれたのも全部惚れさせるため。

 王子様のようなあの笑顔に射られないようにしておいてよかったと冷静に考えていながらも、大粒の涙を流しながら長い廊下を走っていた。