召喚された先は魔女の魔力で満ちた、どこか先ほどまでいた場所に似ている景観をしていた。
そんな仄暗い森の中、目の前にいたのは涙を溜めた小娘だった。
茶色い髪に茶色い瞳、それに貧相な身体付き。溢れている生気から聖女だとはわかった。
──予想外だ。こんな小娘が俺を召喚した?
どうせ恋敵を消してくれだの若返らせてくれだの夫に復讐してくれだの、よくある女のくだらない理由で召喚させられたのかと思った。
だが今にも泣き出しそうな顔をしているこの小娘は、そうではなさそうだった。
召喚したのはお前かと尋ねたら睨まれた。恐怖と不安が入り混じっている瞳は嫌いではない。
どうやら小娘にも召喚したという自覚がないようだ。握り締めている手から漏れている青白い光、そこから魔力を感じる。
小娘が握っていたブルーダイヤモンドには召喚の魔術が刻まれていた。
ご丁寧にも召喚主と契約を交わせという魔術付き。
この小娘がやったとは考えにくい。様子からして、真相はこの小娘にもわからないだろう。
何にせよ、代わり映えのない下界にも飽き飽きしていたところにやってきた召喚。
それも相手が聖女とは、なんとも愉快。
聖女の生気は他の人間のそれよりも格段に美味いと聞く。特に心臓は唸るほどらしい。
さっさと契約を交わして生気を、欲を言えば心臓をいただいてしまおう。
なんせ契約を交わせということ以外は何も記されていない。
なら契約の代償を支払ってもらうのも不条理ではないし、その先はこちらの自由だ。
しかし小娘は一向に契約を交わそうとしない。まあ聖女が進んで悪魔と契約なんてしないだろう。
なら少し脅してみるかと、小娘の心臓を突いてみた。
小娘の瞳が恐怖一色に染まっていく。
強情だった女が恐怖に慄いていく瞬間はいつ見ても飽きない。
が、それも束の間で、衝撃音がしたと共に小娘の瞳に輝きが戻り手を振り払われた。
走っていった方向から魔女の気配がする。
やはり地上は面白い。小娘の後を辿った。
どうやら魔女が好き勝手やっているようだ。封印でもされていたのか魔力が乱れている。
少し前であの小娘が倒れている人間を治癒していたが、背後の魔物に気がついていないようだ。
契約の前に死なれては困る。それを食い止めるため間に入った。
小娘は「ありがとう」と礼を言ってきた。
そしてここにいる人間を助けるのだと。だから悪魔は魔女を倒してこいと『お願い』された。
強情な瞳を覗き込むも、今度はその色を変えずにいる。
この小娘が何をきっかけに契約を交わすのか少し興味が湧く。それに魔女と対峙するのも何年ぶりか。
気まぐれでその『お願い』とやらを聞いてやることにした。
「悪魔……!」とほころんだ顔でこちらを見てくる。悪魔悪魔と呼ばれる続けるのもそろそろ鬱陶しくなってきた。
「レイ=ディアダマス」
そう名乗って魔女の元へと向かった。
魔女は弱く、すぐに興醒めした。封印を破るために魔力を垂れ流しにしていたんだろう。
二十年ぶりに表に出て力の制御もできない魔女、赤子の手をひねるようなものだ。
小娘のいる場所は何やら騒がしかった。一人の男が小娘のことを「マナ様」と呼んだ。
それでこの女の名前を知った。まあどうでもいい。人間の名など記号のようなもの。
覚えたところで、この小娘から代償をもらえば、もう会うこともない。
そして、そのまま魔女の残痕を浄化させる言い出し、祈るように浄化魔法を使い始めた。
その姿は実に滑稽だった。王宮全体を浄化したかったようだが、それには力不足。
本人だってわかっているだろうに。
それでも小娘はやめなかった。
俺なら見捨てる。ただただ面倒だからだ。さっさと消滅魔術でも使って更地にでもするかもしれない。
それをしないのは聖女だからか? 悪魔にはない思考、不思議な人間だ。
「何故そこまでして助けようとする? 魔女を引き入れたのはこいつらだろう? 諦めて、他の国にでも移った方が楽じゃないか?」
興味本位でそう聞いた。すると小娘の目の色が変わる。
希望? 信念? 決意?
よくわからないが、その時の茶色い瞳の輝きは少し綺麗だと思った。
こいつらを見捨てないのは「聖女だから」というよりは、この小娘の性分なように見える。
なんて甘い、俺から言わせてもらえばただの偽善者だ。
ただ、その偽善のおかげで小娘と契約を交わせた。
自分のためではなく他人のために力を求めて契約するとは、なんとも度し難い。しかも心臓を代償にしての契約。
本当に甘い。もはや阿呆なのかとすら思える。
それでも抜かりないと思ったのは、「自分が大聖女になったら」という代償の条件を付けてきたことだった。
それまで力を貸せということだろう。
ほとほと面倒にも感じたが、この機を逃したらたぶん小娘との契約の機会はまた先延ばしになる。
契約もせずにちんたらと小娘と過ごすのならば、さっさと契約を交わしてしまった方がまだマシだ。
だから受け入れた。
力を分け与える代わりに生気をもらった。
聖女の生気は予想以上に美味かった。
蜜のように濃厚で、酒でも入っているのかと思うくらい酔いしれてしまう甘美。雑味のない滑らかさは確かに他の人間とは違う。
思わず唇に残った余韻をなぞるよう指で拭ったくらいだ。
「なんで……、キスなんか……!」
小娘は顔を真っ赤にして狼狽えている。
──この反応。こいつ、処女か。
別にそうであってもそうでなくても人間の味に変わりはない。
ただ、生娘の反応は面白いものがある。
「足りなければもう一度分けてやるが?」
そう言うと更に顔を赤くして目を逸らした。
実にわかりやすい。新しい玩具を手に入れた気分だった。
小娘が浄化しきったところに金髪のイタチ男が来た。
どうやら国王らしい。こんな青二才が国王とは。そう思ったりもしたが、この国の歴史に全く興味はない。
二人のやり取りを傍観していたら、力を使い果たし立っているのもやっとなはずの小娘がイタチ男にまで治癒魔法をかけ始めた。
偽善にしては行き過ぎている。他人のためにそこまでやれるのか。
そして案の定、小娘は倒れた。
抱き抱えているとイタチ男が何やら騒々しく鳴いていたが、これ以上付き合う義理もない。
小娘が起きないことにはどうしようもないと、とりあえず召喚された森へと連れていくことにした。
しばらくして小娘は目を覚ました。
すぐに礼をしてくる。悪魔にまで礼を言うとは。どこまでも不思議な人間だ。
「その時まで力を貸してね、レイ」
名を呼び微笑んでいる顔に引き込まれる。
ふわっとあの甘い匂いがして、気がついたら頬に唇を当てていた。
「…………っ!! なんでまたキスするの!?」
かぐわしい生気の香りは本能を刺激するかのように魅惑的だ。
隙しかない小娘からならいつでも生気を奪えるだろう。
それにまあ、この反応も見ていて飽きないものがある。心臓をいただくまでの繋ぎとしては、それなりに楽しめそうだ。
そう思いながら、今度は口から直接生気をもらおうと顔を近づけると、わなわなと唇を震わせた小娘が口を開く。
「……命令よ! 私から離れなさぁぁい!」
甲高い声で、思いきり叫ばれた。