「ありがとうございます!」
「聖女様のおかげです!」

 歓呼《かんこ》の声が王宮内に響く。
 上空には爽やかな青空が広がり、もうあの魔物の姿をした人もいない。
 魔女の残痕(ざんこん)はなくなった。

「……マナ!」

 執事の肩に腕を回しながら歩いてくるフェアラートが彼女の名を呼んだ。

「光の中心を探して来てみたが、やはりマナだったか……。本当に助かった、ありがとう」
「とんでもないです、私は私の役目を全うしただけですから」

 満身創痍に近いマナは目を細めてうっすらと微笑む。
 その顔は疲労と達成感が交差していた。
 
「皆の命とこの国の危機を救ってくれたんだ……、何かお礼をさせてほしい。欲しいものはないか? 俺に出来ることならなんでも……」

 なんでもいいのなら、やりたいことはもう決まっている。

「では、一つだけ。フェアラート王を……、引っ(ぱた)かせてください」

 聖女の微笑みから出たとは思えない願いに周りはどよめく。
 
「田舎育ちのじゃじゃ馬とは言え、しがない女の子の気持ちを(もてあそ)んだ罪は大きいですよ。……なので、それで『落ちこぼれ』もなかったことにします」

 半分本音で半分強がりだった。
 だから、ちょっと強気になって笑顔を交えながら言ってみせた。
 フェアラートと執事は顔を合わせ、マナがそう言った意味を悟る。
 
「マナ様……。貴女の行いには感謝しておりますが、王を叩くなんて……」

 そう口を挟んできた騎士をフェアラートは制止する。

「わかった。大変申し訳ないことをした。……本来なら叩かれて済む話ではないな。目の覚めるような一発を頼むよ」

 執事の肩から腕を取り、その場に片膝をついたフェアラートは深々と頭を下げて謝罪をすると、マナが叩きやすいように顔を上げすっと目を閉じた。

「じっとしててくださいね」

 マナは穏やかに微笑んでいる。
 そうして腕を軽く上げ、手のひらを彼の顔へと振り下ろす。その瞬間に、周囲は固唾(かたず)を呑んだ。
 
 ──ぺちん、という柔らかい音がフェアラートの(ほほ)から響く。
 そしてそのまま、そっと彼の頬を包んで治癒魔法をかけ始めた。

「……マナ?」
「まだ完治してないのに動いちゃ駄目じゃないですか」
「どうして?」

 手痛いビンタが飛んでくると構えていたフェアラートは眉をひそめている。
 マナだって本当なら思いっきり引っ叩いてやるつもりでいた。

 しかし昨晩の王室内での会話を思い出し、「きっとこの人も父親の影を追いながら国を良くするためにがむしゃらだったんだろうな」なんて思ったら叩く手に力が入らなかった。
 
「……フェアラート王は『この国を救いたい』って一心だったんですよね。やり方はどうあれ、その気持ちには賛同したんです。フェアラート王なら、きっとこの国を変えられると思います」

 続けて悪戯(いたずら)っぽく笑ってみせる。

「それに、リリィが私の代わり以上にやってくれたみたいですしね」
「……ありがとう」

 それ以上の言葉はいらないだろうと、二人は互いに微笑み合った。
 穏やかな雰囲気だったが、なんの前触れもなくマナの治癒魔法の光が空気に溶け込むよう消えいく。
 フェアラートの頬からマナの手が滑り落ち、身体を支えきれなくなった膝が勢いよく曲がる。あわや地面に倒れ込んでしまうというところをレイが抱き抱えた。
 
「何が起きた……?」
「力の使いすぎだな」
「マナは大丈夫なのか?」
「寝ているだけだ」

 それだけ言うと、レイはマナを抱き抱えたままフェアラートたちに背を向けた。
 
「待ってくれ……! マナをどうするつもりだ?」
「こいつは俺の(あるじ)だ。俺が連れて行く」
「マナは恩人だ。そう易々(やすやす)と連れてかれるわけには……!」
「安心しろ、悪いようにはしない。こいつがいないと俺も困るからな」

 ふっと笑ったレイは、それ以降のフェアラートの言葉に聞く耳を持たず瞬時に姿を消してしまった。


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「……ここは?」

 心地よい陽だまりの中で目を覚ます。
 周囲には生命力あふれる木々が立ち並んでいて、生い茂った草花の匂いが鼻をくすぐる。

「気がついたか。ここは俺を召喚したあの森の中だ」
「良かった……。森も緑を取り戻したのね」

 マナはゆっくりと上半身を起こし、全て終わったのだと安堵の息を漏らす。

「レイと契約したのは不本意だけど、ああしてなかったら今の景色だって見れてないんだよね。一応、お礼はしておく。……ありがとう」
「悪魔に礼を言う聖女なんて聞いたことないな」
「っ! 人がせっかく感謝してあげてるって言うのに!」

 素直に「どういたしまして」と言わないところが悪魔らしい。
 
「これからどうするつもりだ?」
「……このまま田舎に戻ろうと思う。お母さんの書物を調べたいの。あのブルーダイヤモンドについて何か書いてあるかもしれない」
「そうか」

 森を吹き抜けていく風が気持ちよかった。
 
「それで、レイはどうするの?」
「どうするもなにも、お前が大聖女になるまでそばにいるだけだ。契約したからな」

 ──レイと契約したことに後悔なんてない。

 そうしなければみんなを守れなかった。
 きっとそちらの方を後悔していただろう。

「わかった。その時まで力を貸してね、レイ」

 花が咲いたような笑顔をしたマナの頬に、レイは軽く唇を当てた。

「…………っ!! なんでまたキスするの!?」

 顔を熱くしながらキスされた頬を手で覆う。
 レイは意地悪そうに笑っていた。
 
「聖女の生気が思っていた以上に美味でな。心臓をいただくまではこれで我慢してやろう」

 扇情(せんじょう)的に微笑んだレイがまたキスをしようとしてくる。
 だから、思いっきり言ってやった。

「……命令よ! 私から離れなさぁぁい!」