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「……んっ」
 言いようのない息苦しさに、兎月(うづき)は目を覚ました。
 ところが、目を開いたはずだというのに、目の前が真っ暗で何も見えない。起き上がろうとすると、何かに押さえつけられているのか、指先一本動かせない。
(どういうこと?)
 全身に渾身の力を籠めると、噛んだ口の中でじゃりっという土の音。それで、やっと今の自分の状態を把握する。
(もしかして、土の中に埋まってる?)
 それならば、真っ暗闇でひたすら息苦しいこの状況にも説明がつく。口のじゃりから鼻へ抜けてくる香りもたしかに土臭い。
 これはまずい。非常にまずい。
 何とかならないかと、兎月は必死に身体を動かそうとした。少しだけ空間ができたような気がするものの、息苦しさは相変わらずで、次第に気が遠くなってきた。窒息してしまうのも時間の問題だ。
(こ、このままじゃ……)
 身動きできない土の中でひっそりと死んでいく。
 さすがに想定していなかった事態に、兎月は焦っていた。『次』もこの状態だったら脱出できる自信がない。永久に土の中の住人になる予定はないのだ。兎は土に穴を掘って地中に住むが、それは生き埋めという意味ではない。
(一か八か……)
 薄れゆく意識を何とか繋ぎ止めながら、兎月は精神を集中する。丹田で呪力を練り上げてから、顔の目の前で爆発させる。
「ぶはっ!?」
 その拍子に、しこたま土を食べる羽目になってしまったが、薄っすらと日の明かりが見えた。どうやら深くは埋まっていなかったらしい。
 勇気を得た兎月は、もう一度呪力を爆発させた。息が少し楽になり、光がさらに強くなる。三度、四度と爆発させて、やっと上半身が起こせるだけの空間を作ることができた。
「あー、びっくりしたーっ! しぃ~ぬかと思ったぁ~~!」
 穴から身体を起こして、兎月はほーっと大きく息を吐く。命の危険……というか、身の危険を久しぶりに感じた気がした。
「……って、おや? これはどういうこと?」
 埋まっていた場所を見て首を捻る。
 一寸くらいの深さの穴が掘られており、その上に土が被されたような状態。下半身はまだ土の中に埋まっている。
 てっきり土砂崩れでもあって、そこに埋まってしまったのかと思っていたのだ。これは明らかに人為的な穴。呪力で土を吹き飛ばした時に転がったのか、穴の隣には一抱えはありそうな大きな石が転がっていた。そう、まるで墓石のような。
「――い、い、い……」
 と、そこで兎月は、視界の端で影が動いたのに気が付いた。
 嫌な予感を覚えつつそちらへ視線を向けると、目を真ん丸に見開いて立ち尽くす、二十歳くらいの青年の姿。
(これは、もう一回、土の中で死んでたほうがよかったかも……?)
 次に何を叫ぶか、わかりやすいくらいに青年の口が大きく開いた。
「生き返ったぞ~~~~っ!?」
 両耳を塞いで大音声をやり過ごす兎月。
(参ったな~、どうしよう……?)
 これは当然の反応だと思いながら、兎月も次の行動に困っていた。なにしろ、生き返る瞬間を見られてしまったのだ。
 意志の強そうな、キラキラと輝く黒瞳が印象的な青年だった。総髪にした黒髪。高い鼻筋に血色のいい唇。背は男の平均あたりだが、その整った顔立ちは、袂に手を入れて通りの角にでも立っていれば、さぞかし女に人気が出るだろう。
 だが、そんな彼がポカンと大口を開けているとなれば話は別だ。完全なる間抜け面。尤も、その原因は自分にあるのだが。
(よりにもよって、見つかりたくない輩に)
 青年の腰の物に目を移して微かに眉をしかめる。
 武士ならば大小二本差しているところに、一本しかない。落ち着いた色の石目塗の鞘から妙な気配を発しているとなれば、青年の生業は一つしかなかった。
 妖鬼を滅する、すなわち――破鬼(はき)と呼ばれる者。
「ええっと……」
 このまま見つめ合っていても仕方がない。兎月はこれを無かったことにしようと思った。
「驚かしてごめんね~。もう一回埋めてもらえるかな?」
 穴の中に寝転がりながら兎月は両目を閉じる。
 ざっざっざ、と足音が近づいてくる気配。あの青年も夢を見ていたと思ってほしい。そうすればすべて丸く収まる。兎月は胸の前で両手を組むと、埋められる瞬間を待った。
「んな、アホなことできるかっ!」
「ぎゃー! 痛い痛いっ! 足が取れちゃうぅうううう!」
 着物の襟を掴まれて力任せに引っ張り上げられ、兎月は悲鳴を上げた。下半身は土に埋まったままだったので、二つに身体が分離してしまいそうだ。
 幸いにも大根を引っこ抜かれるように、すぽんと兎月の身体は土から抜けた。その勢いのまま、ぐるりと視界が回ったと思うと、うつ伏せに地面へ押し倒されていた。
「お前、何者だ? 妖鬼か?」
 ざんっ、と目の前に破鬼だけが持つ刀が突き刺さる。その異様な気配に怯むも、ムカッときて言い返した。
「失敬な! あたしはただの人間よ!」
「嘘をつけ!」
 背中に乗せられた膝が強く押され、肺の中の空気が押し出される。ぐええ、と悶絶する兎月へ怒声が降ってくる。
「オレが見たときは、腹の真ん中にでっかい風穴が開いてたんだぞ。あんな状態で生きているわけがない! おまけに、今は綺麗に塞がっているときたもんだ。墓を掘って埋めてたら傷が治る人間とか聞いたことがねえぞ!」
「あは、あははは……あたし、特異体質だから~」
 冷や汗をかきながら言い訳をしつつも、あれは青年が掘ってくれたお墓だったのだと確信する。
「山の麓の村で、身代わりに生贄になったという娘の話は聞いていた。それはお前のことか?」
「そ、そうだけど……」
 小さな村を脅かしていた妖鬼。それを鎮めるために、哀れにも年端も行かぬ少女が生贄に捧げられようとしていた。兎月はその身代わりとなり、妖鬼の元へと赴いた。とりあえず抵抗はしたものの、自分の呪力では太刀打ちできずに、串刺しになったあたりまでは覚えている。
「もしかして、村から様子を見てくるようにとか依頼されたの?」
「ああ、そうだ。たまたま立ち寄った村だったんだけどな。金だけ受け取って逃げてねえか、心配だから見てきてくれってな」
「……何それ。勝手な話」
 抑え込まれたまま兎月は憤慨する。文字通り、命を賭けて身代わりになったというのに疑われるとか心外だ。
 たしかにお金は前金で貰った。病弱な弟の薬代にするという名目で……まあ、それは嘘なのだけど。その代わり、決して裏切らず、見事に生贄としての役目を果たすと誓ったのだ。その約束を違えるつもりはなかったのに、これはどういうことだ。化けて夢枕に立ってやる。
「あり得ない、信じらんない!」
「それはこっちの台詞だ!」
 さらに力を籠められ、兎月は痛みに顔を歪めた。苦悶の呻き声を上げる彼女に構わず青年は続けてくる。
「お前は何者だ? 正直に答えろ」
「……しなの」
「何だって?」
 顔を近づけてきた青年に聞こえるよう、もう一度はっきりと言う。
「あたし、不老不死、ってやつなの」
「…………はあぁ?」
 さすがに予想外の回答だったのだろう。青年の力が緩んだ隙に、兎月は何とか抑え込みから逃れることに成功した。慌てて首筋に当てられた冷たい刃の温度を感じながら、青年を見上げる。
「だから、胸を突かれたくらいじゃ、そんなに時間を必要とせずに復活できるの。妖鬼に食べられちゃったら、さすがに少し時間がかかるんだけど」
「……オレは妖鬼の術に陥って、夢を見ているほうに賭けているんだが?」
 揺らぎに揺らいでいる青年の瞳。その感情は兎月にも手に取るようにわかる。自分だって最初のうちは信じられなかったのだから。
「うーん……ちょっと見てて」
 地面を見回して、手ごろな先端の尖った石を見つける。それを右手で逆手に持つと、思いっきり左手の甲へと振り下ろした。鈍い痛みとともに鮮血が数滴飛び散る。
「お、おい! 何を……!」
 泡を食う青年の前に、兎月は血の滴る手の甲を向けて見せた。
「傷が……塞がっていく……?」
 困惑したような青年の前で、手の甲の傷はみるみるうちに塞がっていった。しばらくして痛みの引いたころに、手の甲を自分の方へ向けると、血糊に隠れた肌は傷一つないなめらかなものとなっていた。
「どう? これで信じてもらえた?」
 えっへん、とばかりに胸を張る兎月の前で、青年は厳しい表情で緊張を解かなかったのだった。