神々の国へ行く使者となる子供が死んで旅立つ祭りの日には、ムラでは盛大な宴会が開かれる。
だからその日はムラの住民たちは皆、トチの実の灰汁抜きをしたり、イワナの下ごしらえをしたりして外で忙しそうにしていた。
「じゃあシギヤ、この魚の火加減は見といてね」
年長の従姉妹がシギヤに指図をして、空になった壺を持って川の方へ行く。
「うん。わかった」
出された指示に従って、シギヤはイワナやフキを煮ている大きな土器の中身を杓子でかき混ぜた。
うろこや内臓が除かれたイワナはぶつ切りに切られ、火にかけられた土器の中でぐつぐつと煮えている。
煮汁からはほのかにさわやかなフキの匂いがする湯気がたち、食欲をそそった。
そして土器の底が焦げ付いていないことを確認すると、シギヤは火の様子を見つつもシカ肉やトチの実をすりつぶす作業を始めた。
(祭りの日はいつもだいたい、真っ青に晴れる)
シギヤは地面に座り、手に握った石で石皿に載せたトチの実を砕きながら、雲一つない空や遠くの景色を見渡した。
ムラがある高原からは、雪解けが終わり新緑が輝く山々の美しい輪郭が、太陽の光に照らされているのがよく見える。
シギヤは春も冬も、秋も夏も、どんな季節でも山の景色が好きだった。
(えっと、つぶし終わった後は、肉とトチの実をシカの血で混ぜて……)
よそごとを考えつつも、シギヤは焼き団子を作る手順をこなす。
つぶした材料を石皿の上でこねれば、ひんやりと冷たいシカ肉の温度が手に伝わった。
肉の粘り気が十分に出たところで、生地を小さくちぎって丸く平らにまとめる。
こうして食べやすい大きさになった団子状の肉を、シギヤは土器と一緒に火で熱しておいた石の上で焼いた。
肉が焼ける音と匂いがまた美味しそうなので、シギヤは深く息を吸った。
(うん、いい感じだ)
焼き時間を待つシギヤが顔を上げると、地面に掘った炉では祖父の一番下の弟が魚を燻し、そのすぐそばでは彼の妻が厚めに切ったイノシシの肉を春しめじと一緒にホオノキの葉に包んで焼く準備をしていた。
さらには茹でたタラの芽やワラビなどの食感の良い山菜や、ヤマブドウをつぶしてハチミツを加えて作った甘酸っぱい果実酒などの品々も、ムラの他の住民の手によって素敵に盛りつけられている。
その眺めにシギヤは、思わず空腹を覚えた。
(他のご馳走も美味しそうだから、これも綺麗に焼かないと)
シギヤは熱した石の上の団子を焼き色を見て返しながら、出来上がったものを漆塗りの籠に入れた。
するとそのこんがりと焼き上がった団子に、シギヤのよく知っている手が背後から伸びる。
「一つ、もらうよ」
振り返れば、不意をついて近くに立っていたのはミカハだった。
ミカハは赤い文様で裾や胸元を飾った、炭で黒く染めた布の祭礼用の服を着て、団子を勢いよく頬張っている。
祭りの主役であるミカハは赤漆の櫛で結った髪をまとめたり、ヒスイとコハクの首飾りをつけたりして華やかに装っていて、色白で小さな顔やぱっちりとした目はいつも以上に可愛らしく見えた。
「宴の分がなくなるから、一つだけだよ」
シギヤは急いで立ち上がり、ミカハから団子の入った籠を遠ざけた。
焼いた団子の量は普段よりも多かったが、小柄なわりにミカハが食欲旺盛であることをシギヤはよくわかっていた。
しかしミカハはシギヤの抱いた危惧にまったく構うことなく距離を詰めて、二つ目、三つ目を強引に手に取った。
「うん。まだあたたかくて美味しい。シギヤも一つくらいは味見しておいたら」
そう言ってミカハは、一口かじった団子をシギヤの口に押し込む。
「ん、」
シギヤはせっかく作った料理が地面が落ちないように注意して、団子を口の中に含んだ。
食べかけではあっても焼き立ての団子は、シカ肉の濃い滋味とともにほど良い温かさでほくほくとくずれる。
ややかための肉をよく噛めばさらに、砕いて生地に混ぜたトチの実の香りと食感が味に深みを与えた。
じんわりと肉汁を残した絶妙な焼き加減に、我ながら上出来の品だとシギヤは思った。
(まあ確かに、今食べるのが一番美味しいだろうけど)
シギヤは団子をよく味わいつつも飲み込んで、とても近い距離で微笑んでいるミカハの白くて綺麗な顔を見る。
姉妹ではあっても血のつながりのないミカハとシギヤには外見上の共通点はなく、シギヤの浅黒い肌も、大柄な身体も、死んだ父親にそっくりらしい彫りの深い顔も、何一つ可憐なミカハとは似ているところがなかった。
シギヤはいつも通りのイラクサを編んでそのままの紐でまとめただけの服を着ているのに対し、ミカハは祭礼用の色鮮やかな装いをしているから余計に、その違いは際立つ。
「それでミカハは、ここにつまみ食いをしに来たの?」
押し付けられた団子を食べ終えたシギヤは、ミカハに用件を尋ねた。
妹が姉のところに来るのに別に理由はいらないのだが、ミカハは宴の準備をする立場にはいないのは確かだった。
ミカハはいたずらっぽい笑顔のままで、自分の口元についた団子の欠片を手でぬぐって食べながら答えた。
「今日の祭りで髪につける花を、シギヤに選んでもらおうと思ったんだ」
「花を? じゃあちょっと頼まれてることを他の人に……」
シギヤは従姉妹に火加減を見るように言われた、イワナとフキを煮ている土器を見た。
その土器は子供が一人は入れそうなほどに大きいものだったので、中身に火が通るにはまだ時間がかかるはずである。
だがミカハは返事を聞き終えないうちに、団子の入った籠を岩の上にむりやり置いてシギヤの手を掴み、魚を燻している大叔父に声をかけた。
「おじさん、シギヤをちょっと借りてくよ」
歌うようなミカハの声は、青い空に突き抜けるように響く。
そしてミカハはシギヤに有無も言わさず、手を握ったまま駆け出した。
ミカハが人の話を聞かないことには慣れているので、シギヤは仕方がなく彼女について行きながら大叔父に仕事を頼んだ。
「これの火加減見といて、おじさん」
「わかった。祭りの日にぴったりな、立派な花を選んでこい」
大叔父は紐で括った魚を手に、大きな声で快諾した。
そうしてシギヤとミカハの二人は、ムラを囲んでいる森へ向かう。
「ちゃんと私に似合う花を選んでね」
シギヤの方を振り返りながら、ミカハは明るい表情で言った。
「うん。いいよ」
控えめな言葉で、シギヤは答えた。
だからその日はムラの住民たちは皆、トチの実の灰汁抜きをしたり、イワナの下ごしらえをしたりして外で忙しそうにしていた。
「じゃあシギヤ、この魚の火加減は見といてね」
年長の従姉妹がシギヤに指図をして、空になった壺を持って川の方へ行く。
「うん。わかった」
出された指示に従って、シギヤはイワナやフキを煮ている大きな土器の中身を杓子でかき混ぜた。
うろこや内臓が除かれたイワナはぶつ切りに切られ、火にかけられた土器の中でぐつぐつと煮えている。
煮汁からはほのかにさわやかなフキの匂いがする湯気がたち、食欲をそそった。
そして土器の底が焦げ付いていないことを確認すると、シギヤは火の様子を見つつもシカ肉やトチの実をすりつぶす作業を始めた。
(祭りの日はいつもだいたい、真っ青に晴れる)
シギヤは地面に座り、手に握った石で石皿に載せたトチの実を砕きながら、雲一つない空や遠くの景色を見渡した。
ムラがある高原からは、雪解けが終わり新緑が輝く山々の美しい輪郭が、太陽の光に照らされているのがよく見える。
シギヤは春も冬も、秋も夏も、どんな季節でも山の景色が好きだった。
(えっと、つぶし終わった後は、肉とトチの実をシカの血で混ぜて……)
よそごとを考えつつも、シギヤは焼き団子を作る手順をこなす。
つぶした材料を石皿の上でこねれば、ひんやりと冷たいシカ肉の温度が手に伝わった。
肉の粘り気が十分に出たところで、生地を小さくちぎって丸く平らにまとめる。
こうして食べやすい大きさになった団子状の肉を、シギヤは土器と一緒に火で熱しておいた石の上で焼いた。
肉が焼ける音と匂いがまた美味しそうなので、シギヤは深く息を吸った。
(うん、いい感じだ)
焼き時間を待つシギヤが顔を上げると、地面に掘った炉では祖父の一番下の弟が魚を燻し、そのすぐそばでは彼の妻が厚めに切ったイノシシの肉を春しめじと一緒にホオノキの葉に包んで焼く準備をしていた。
さらには茹でたタラの芽やワラビなどの食感の良い山菜や、ヤマブドウをつぶしてハチミツを加えて作った甘酸っぱい果実酒などの品々も、ムラの他の住民の手によって素敵に盛りつけられている。
その眺めにシギヤは、思わず空腹を覚えた。
(他のご馳走も美味しそうだから、これも綺麗に焼かないと)
シギヤは熱した石の上の団子を焼き色を見て返しながら、出来上がったものを漆塗りの籠に入れた。
するとそのこんがりと焼き上がった団子に、シギヤのよく知っている手が背後から伸びる。
「一つ、もらうよ」
振り返れば、不意をついて近くに立っていたのはミカハだった。
ミカハは赤い文様で裾や胸元を飾った、炭で黒く染めた布の祭礼用の服を着て、団子を勢いよく頬張っている。
祭りの主役であるミカハは赤漆の櫛で結った髪をまとめたり、ヒスイとコハクの首飾りをつけたりして華やかに装っていて、色白で小さな顔やぱっちりとした目はいつも以上に可愛らしく見えた。
「宴の分がなくなるから、一つだけだよ」
シギヤは急いで立ち上がり、ミカハから団子の入った籠を遠ざけた。
焼いた団子の量は普段よりも多かったが、小柄なわりにミカハが食欲旺盛であることをシギヤはよくわかっていた。
しかしミカハはシギヤの抱いた危惧にまったく構うことなく距離を詰めて、二つ目、三つ目を強引に手に取った。
「うん。まだあたたかくて美味しい。シギヤも一つくらいは味見しておいたら」
そう言ってミカハは、一口かじった団子をシギヤの口に押し込む。
「ん、」
シギヤはせっかく作った料理が地面が落ちないように注意して、団子を口の中に含んだ。
食べかけではあっても焼き立ての団子は、シカ肉の濃い滋味とともにほど良い温かさでほくほくとくずれる。
ややかための肉をよく噛めばさらに、砕いて生地に混ぜたトチの実の香りと食感が味に深みを与えた。
じんわりと肉汁を残した絶妙な焼き加減に、我ながら上出来の品だとシギヤは思った。
(まあ確かに、今食べるのが一番美味しいだろうけど)
シギヤは団子をよく味わいつつも飲み込んで、とても近い距離で微笑んでいるミカハの白くて綺麗な顔を見る。
姉妹ではあっても血のつながりのないミカハとシギヤには外見上の共通点はなく、シギヤの浅黒い肌も、大柄な身体も、死んだ父親にそっくりらしい彫りの深い顔も、何一つ可憐なミカハとは似ているところがなかった。
シギヤはいつも通りのイラクサを編んでそのままの紐でまとめただけの服を着ているのに対し、ミカハは祭礼用の色鮮やかな装いをしているから余計に、その違いは際立つ。
「それでミカハは、ここにつまみ食いをしに来たの?」
押し付けられた団子を食べ終えたシギヤは、ミカハに用件を尋ねた。
妹が姉のところに来るのに別に理由はいらないのだが、ミカハは宴の準備をする立場にはいないのは確かだった。
ミカハはいたずらっぽい笑顔のままで、自分の口元についた団子の欠片を手でぬぐって食べながら答えた。
「今日の祭りで髪につける花を、シギヤに選んでもらおうと思ったんだ」
「花を? じゃあちょっと頼まれてることを他の人に……」
シギヤは従姉妹に火加減を見るように言われた、イワナとフキを煮ている土器を見た。
その土器は子供が一人は入れそうなほどに大きいものだったので、中身に火が通るにはまだ時間がかかるはずである。
だがミカハは返事を聞き終えないうちに、団子の入った籠を岩の上にむりやり置いてシギヤの手を掴み、魚を燻している大叔父に声をかけた。
「おじさん、シギヤをちょっと借りてくよ」
歌うようなミカハの声は、青い空に突き抜けるように響く。
そしてミカハはシギヤに有無も言わさず、手を握ったまま駆け出した。
ミカハが人の話を聞かないことには慣れているので、シギヤは仕方がなく彼女について行きながら大叔父に仕事を頼んだ。
「これの火加減見といて、おじさん」
「わかった。祭りの日にぴったりな、立派な花を選んでこい」
大叔父は紐で括った魚を手に、大きな声で快諾した。
そうしてシギヤとミカハの二人は、ムラを囲んでいる森へ向かう。
「ちゃんと私に似合う花を選んでね」
シギヤの方を振り返りながら、ミカハは明るい表情で言った。
「うん。いいよ」
控えめな言葉で、シギヤは答えた。