海を越えた遠く東の果てにある、緑深いブナの木の森に覆われて眠る山々。
 冬には白銀の雪が静かに降り積もり、春にはツツジやモクレンが彩り豊かに咲き乱れる。
 夏にはせせらぎの音がかすかに響き、秋には黄金に染まった紅葉が青空に映える。
 そうした鮮やかな四季が巡るその土地は、神々の住む天上の国に最も近い場所であるとされ、神聖な山として人々に敬われている。
 シギヤはその山にある、最も格式の高いムラの長の孫娘だった。

 雪に包まれた山襞もブナの木々も白く、空気が冷たく澄んだ厳冬。
 そのとき三歳であったシギヤは、樹皮で葺いた家屋の真ん中の炉端に祖父とともに腰を下ろしていた。
「今日からこの子が、お前の妹だ」
 白い髭をたくわえたシギヤの祖父が、丸くてふくふくとした赤子を抱いて、シギヤに語りかける。
 その赤子が本当の妹ではなく、余所のムラから送られてきたまったく血のつながりのない子供であることを、シギヤは知っている。
 だが蓆の上に座る幼いシギヤは、見知らぬ子が家族になることを、特におかしなことだとは思わなかった。

 指を咥えて吸ってこちらを凝視する赤子の顔を覗きこみながら、シギヤは祖父に尋ねた。
「じいさま。なまえは?」
「ミカハという名前だと、連れて来た男が言っていた」
 祖父は静かに、赤子の名前を告げた。
「ミカハ」
 シギヤはその名前を繰り返した。
 すると赤子は、自分の名前を理解しているのか、それともただ単に人の声に反応しているだけなのか、やわらかそうな口を開けて笑っているような顔をした。
 炉の明かりの橙色に照られたその表情につられて微笑み、シギヤは続けて話しかける。
「かみさまのところへいくために、ミカハはこのムラにきたんだね」
 言葉を知らない赤子であるミカハは、シギヤの問いにとりとめのない声を発して答えた。

 ミカハはこれから殺されるために、このムラで育てられる特別な子供である。
 神々の住む国に最も近いとされるシギヤのムラには数年に一度、周囲のムラから赤子が一人送られてくる。
 赤子は神々の国へ旅立つ使者として、手厚く大切に育てられる。
 そして将来無事に成長したときには、祭りの儀式の中で丁重に殺される。
 そうすることで肉体から解放された魂は神々の国へと送り出され、森に実りをもたらす神々に感謝を伝えるとともに生きる者たちを祝福するのだ。

 それからシギヤは十数年間、ミカハとともにムラの長の家で育った。
 幼いうちは、シギヤは年下のミカハを可愛がり、ミカハは年上のシギヤを慕った。
 しかし二人の背の高さがそう変わらなくなったころには、姉妹というよりは幼なじみに近い関係になっていた。
 そしてシギヤが十五歳、ミカハが十三歳になった春に、ミカハが天上へと送られる祭りが、執り行われることになった。