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 今日は残業をせずに帰ってくることができた。
 結局あれから立花先生からも、結人からも返信はない。どちらも未読状態のままだ。余計に不安は募るばかり。
 昨日の疲れが溜まっていることもあり、自宅に着くとすぐに食事を作ることはせず、コーヒーで一服した。最近、肩の力が入りすぎていることもあり、ひと息つく暇もなかった。コーヒーを飲み干したあと、久しぶりにノベマ!を開く。
 予定調和のように、そこには「『潮に閉じ込めたきみの後悔を拭いたい』に感想が6件書かれました」の赤文字が浮かび上がっていた。
 久しぶりに、その赤文字をタップする。ほとんど無意識で行っていた。

【k_eb_pq】
【k_eb_pq】
【k_eb_pq】
【k_eb_pq】
【k_eb_pq】
【k_eb_pq】

 同じ感想コメントが、10分おきに6つも届いていた。
 送り主は言わずもがな「69,」だ。

「どういう意味?」

 アルファベットと記号を組み合わせたその文字は、何かのパスワード、暗号のようにしか見えない。今までは日本語で全て入力されていたのでコメントを見た瞬間にゾッとしたけれど、今日ばかりは事情が違っていた。
 ぱっと見て何を伝えたいのか分からない文字列のせいで、恐怖心よりも疑問が膨らんでいく。

「何がしたいのよ」

 暗号なら何かの法則にしたがって文字が並んでいるはずだ。だが、何のヒントもなしに解けるはずがない。それにこのコメントだって、明日には運営が削除してくれる。暗号を解くことに何か意味があるとは思えなかった。
 なのに。
 それなのに……。
 さっきから、ずっと、耳元で誰かが囁いているような気がするのは、気のせいだろうか。

——のろいころせた

——のろいころせた

——のろいころせた

「もう、うっさいわね!」

 誰もいない虚空に向かって私は叫ぶ。耳鳴りのような囁き声はすぐになくなった。けれど、しばらくの間動悸がおさまらない。私は目を瞑り、耳を塞ぎ、暴れる心臓が鎮まるのを待った。

 やがてドクドクと流れる血流が静かになったのを感じて目を開く。もちろん誰もいない。囁き声も聞こえない。私は何に怯えていたのか——何も分からないまま、けれど全身はまだカタカタと震えていた。
 スマホを開く。結人から返事がない。既読がつかない。立花先生も。そんなこと、あるだろうか? 二人同時に、これまでは連絡をすればすぐに返信をしてくれていたような人たちが、どちらも未読スルーを決め込むなんて。そんな偶然が、あるのだろうか。
 特に結人の方は、昨日から連絡を入れている。
 いくら忙しくても、たとえば食事をする時とか、寝る前とか、一回ぐらいはスマホを見るだろう。それでも返信がないということは——彼の身に何か不測の事態が起きたとしか思えなかった。

「結人……」

 連絡が取れない以上、私から何をすることもできない。電話もかけてみたが、案の定出てはくれない。
 私は呼吸をするのも忘れて、Xを開いた。
 もうほとんど無意識のうちに、新規ポストを入力していく。


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葉方萌生@HakataMei 1m

【拡散希望】
昨日から、私の友人でもあり作家の神谷結人と連絡が取れなくなっており、彼を探しています。
彼は小説投稿サイト「ノベマ!」で榊しのぶ名義でも活動している者です。
彼と最後に電話をしたのが8月9日のこと。
その後、昨日8月19日の夜に連絡を入れてから今まで返事がない状態です。
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@HakataMei

まだ連絡が取れなくなってから1日しか経っていないといえばそうですが、
普段から連絡はマメな人なので、心配です。
彼もノベマ!で問題になっている例の感想コメントの被害に遭っていました。
もし何かご存じの方がいらっしゃれば、
私までご連絡ください。
よろしくお願いします。
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 文章が長くなったので、リプ欄にツリー状態で現状を書き綴った。
 実際はまだ彼のことを「探している」というところまでは至っていないのだが、少々大袈裟に書いた方が反応があるかもしれない。そんな目論見だった。

【拡散希望】と入れたことで、私のポストは1分、また1分と時が過ぎるごとに、どんどん拡散されていく。私のXのフォロワーはせいぜい300人程度なので、フォロワー以外の人にもこのポストを届ける必要があった。
 リプ欄には、普段ノベマ!で仲良くしている創作仲間たちから、心配の声が寄せられた。

「萌生さん、それは心配ですね。拡散協力します」
「神谷結人さんとお知り合いだったなんて。しかも、ノベマ!でも活動されていたんですね」
「早く見つかりますように」

 どのコメントも私や結人のことを案じてくれるものばかりでほっとする。SNSで呼びかけることで、もしかしたら結人本人の目に留まり、彼から連絡が来るかもしれない。普段あまりこういったSNSをしない彼のことだから、望みは薄いけれど。ネットニュースにでも取り上げられれば、さすがに本人も黙ってはいられないだろう。

 私は、祈るような気持ちで自分のポストが広がっていくのを見つめた。
 早く、早く、届いて。
 何事もなく、無事であると言って。
 何か事件が起きたと決まったわけでもないのに、結人の身が無事であることを願っている自分がいた。