彼女が真実を歌う時



何もないことを願った。耳に入ったすべての音は幻聴で、ここには何もない、誰もいない、ヒダカモルンのライブも開催されないことによって復讐も行われない。一刻も早く安堵したい。

日菜は心の中の小さな隙間に潜む願望はいとも簡単に打ち砕かれた。

目の前に広がった光景に目を見開く。

2人の女が手足を縛られて、口元も覆われている。
先ほどの言葉になっていない叫び声はこの状態のせいだと分かる。

そして部屋の端に寄りかかっていたのは、


「久しぶり、日菜」


田所ミチであった。
あの頃より幾分か大人になり、雰囲気も変わっていたが日菜にはその声で女がミチであるとすぐに分かってしまった。

日菜は銃口をミチの方に向けた。


「…生きてたなら、なんで」


ミチは、日菜の言葉に吹き出すように笑った。
そしてその瞳が闇に包まれたように暗く濁った。

「あんな小っちゃい世界で生き地獄味わうより、死んでたことにした方がよっぽど楽」

のしかかる罪悪感を拭い去るように日菜は縛られている2人へと視線を移した。
記憶の奥底にしまっていた柳田と青谷の顔を掘り起こす。
確かに、ここにいるのはあの時日菜やミチを見下ろしていた2人である。


「刑事になったんだってね、日菜」


ミチは柳田と青谷の周りを歩きながらそう言う。足音がそこにやけに響いていた。
日菜は逸らさないようにミチを銃口で追う。


「高校生の時から、正義感あったもんね」

だが、日菜は一度ミチを裏切っている。


「あたしはさ、日菜。ピタゴラスの部屋をこいつらに教えたことに絶望したんじゃない」

その瞳が日菜を真っ直ぐと見た。

「あんたが私のものには絶対にならないんだって、気づいたから絶望したの」

日菜は唇を噛み締める。ミチのことは好きだった。だがそれは恋愛対象としてではなくあの狭い世界で一緒にもがいて音楽を奏でて、心を通わせる親友としてだ。

「…私は、ミチとずっと友達でいたかったよ」

「そういうのがうざいんだよ。どうせいじめられてる私が可哀想だっただけでしょ」


「違う!」


「違わない!!」


ミチの叫ぶような言葉がそこに響き渡った。
そしてミチは、自らを落ち着けるように息を吐いて上を向いたあと、乾いた笑みをこぼした。

「ま、どうでもいいけど。ここで全部終わるし」

「どういう意味」

「…ここ、あと数分後に爆発するよ」

日菜はその言葉を聞いた瞬間耳にはめこまれた無線機に手を当てた。
九条に逃げろと伝えなければならなかったが、それを遮るようにミチが言葉を続ける。


「ヒダカモルンの最初の曲が始まった瞬間に、爆発するように仕組んでるから。上の会場も、そして私たちも死ぬ」

日菜は顔を顰めた。ヒダカモルンのライブは中止になっているはずだ。
混乱する日菜の耳元で無線機が音を立てた。
そしてしばらくして九条の声が聞こえてくる。


「やっぱり、真中はちゃんとこちら側の人間だ。おそらく復讐に協力するフリをしてる。

田所ミチは、ライブが中止になってることを知らないんだ」



ーーー若月さんなら、救えます。


あなたは私にとってーーーーーー

日菜は、こもったような花田瑠衣歌のあの声を思い出した。自分なら救える。花田瑠衣歌はどんな気持ちでそんなことを伝えてきたのだろうか。


「ミチ、よく聞いて」


日菜は拳銃を両手でぎゅっと握りしめる。


「ここでライブは行われない。中止になったの、だから爆発は起きない」


ミチは日菜の言葉に目を見開いた。そして、込み上げてくる怒りを顔に滲ませたあと無理矢理口角をあげた。

「まあ、あの真中ってやつ怪しかったし。はああ、また裏切られた、どいつもこいつも!」


ミチは、振り上げた拳を柳田の顔にぶつけた。
柳田の体が地面に倒れ込み、痛さのあまり涙と鼻から垂れた血で顔を歪ませる。
隣の青谷が次は自分ではないかと恐怖で声にならない叫びをあげた。

日菜は走り出し、柳田の前で手を広げる。

「やめて、ミチ。こんなことしても何にも解決しないよ」

「うるさい、どけて。日菜だってそいつら憎いでしょ。自分は価値のある人間だって思い込んでふんぞり返って、ヒエラルキーのトップになったような顔して、

自分は『普通』って思ってんでしょ!そんなわけないから!お前ら全員イかれてんの!」


誰よりも『普通』に執着していたのは、ミチだった。そこから外れてしまうことの恐怖、疎外感、それに気づいた時に彼女は消えてしまいたくなったのだろうか。日菜は唇を噛み締める。逃げてたまるか、と。

ミチは、疲れたようにため息をついた。
そして一度手を腰の後ろにもっていく。

まさかと思った。日菜もすぐさま壁に向いていた銃をミチの方に構える。


「別に、爆発起きなくたってお前ら死ぬし」


ミチが取り出した銃が日菜の頭に向いた。
日菜はじっとミチを見つめる。日菜の銃口もミチを捉えている。


「警察官になった私に勝てると思ってるの、ミチ」


「はは、挑発?大丈夫だよ、勝てるなんて思ってない。だからさ」


ミチは、シニカルな笑みを浮かべて首をこてん、と横に曲げた。


「日菜には、私みたいに大事なもの無くしてもらおうかなって」

「…どういう意味」

「赤ちゃん、予定日今日だってね」


ミチの言葉が日菜の頭の中に何度も響く。
混乱する中、必死に考えた。無情にもその結論で日菜の感情は絶望の闇に近づく。


「まさか、美結、のこと」


「あはは、その顔みたかったの、大丈夫、まだ生きてるから、たぶんそうだな、あと数分後に死ぬんじゃない?
生まれた瞬間の赤ちゃん共々あんたの親友も死ぬ」


日菜の腕が力なく下に落ちる。
何度も道を間違えてきた自覚はある。あの時こうすれば、ああすればと悔やんできた。
自分が選んだ道が、絶望に続くなら最初から人との繋がりなど求めるべきじゃなかった。

日菜の目の前が真っ暗になる。もう、無理かもしれない、何から救えばいいのか何も分からなくなった。

そんな時耳の中にまた、九条の声が入ってきた。


「俺が行くから大丈夫。まだ救えるから、目の前の現実から逃げるな若月さん」

日菜は耳に手を当てる。


「親友がいる病院の名前、分かるか」


九条がゆっくりと、日菜の感情に寄り添うように落ち着かせるような声色を響かせる。
九条も内心は焦っているだろうが、日菜のためを思って感情を抑え込んでいることは日菜にも分かる。

日菜は震える小さな声で、美結が入院している病院の名前を言う。


「…必ず、間に合わせるから。お前はお前の救うべきものを見ろ、いいな」


ぷつりと無線が切れる。俯いていた日菜に、ミチが近寄る。

「何ぶつぶつ言ってんの、そこどけて、日菜」

日菜の体をおしのけたあと、拳銃を柳田の方に向けた。



「お前から死ね」

パンっ、とそこに音が響いた。