彼女が真実を歌う時



日菜がヒダカモルンのライブ会場へ辿り着いた時、その場はまだ1時間前ということもあってか異常なほど静まり返っていた。
息を切らしながら入り口に向かうと、そこに立っていたのは

「九条、さん」

日菜と同じように急いできたのか息を切らしている。
そして怒りを隠さないままツカツカと日菜の方に寄ってくる。

「勝手なことぬかしてんなよ」

「えっと、あの」

九条は日菜の両頬を片手で掴んだ。


「まだ何も終わってない」

そういう九条に、日菜は九条の手を掴んで自分の頬から離させた。
先日この手が血だらけになるのをみて思ったのだ。これ以上、巻き込むわけにはいかない、と。

「九条さんに危ない目にあってほしくないんです」

「そんなこと言ってる場合じゃない」

「…でも」

「いいから行くぞ」


九条は日菜の手を引き、入り口を開けた。
会場は思ったより狭く、人も50名ほどが入るような小さな場所だった。
ライブ前にしては薄暗く、あと1時間後にこの会場が盛り上がっているイメージがつかない。
九条もその違和感に気づいたのか、日菜の手を離して足を止めた。


「普通、バンドのライブとかってすでに物販が始まってたりするよな。こんなに静かなのってあり得るか?」

「私はこういうのに行った事ことがないので分かりませんが、確かに違和感を感じます」


あたりを見渡す。スタッフも見当たらないこの現状。日菜は再度ライブチケットに記載している会場名、住所を見た。合っているはずだ。
花田瑠衣歌、もしくは真中に騙されたのだろうかとそんな思いが日菜の頭をよぎる。
そもそも、ライブなんて行われない可能性だってある。
田所ミチは、本当に生きているのだろうか。

そんな時だった、九条が何かに反応したように顔を上げる。


「今なんか聞こえた」

「え?」

少し警戒するように九条はゆっくりと歩き出した。
日菜の耳には何も届いたおらず、少々困惑している中歩き出した九条についていく。

会場の端にある階段。どうやら地下に繋がっているようだった。


「九条さん、地下に何かあるんですか」

「ライブ会場には、演者が練習できる場を作ってるところもある、防音にしやすい地下とかにな」

「では、地下にはヒダカモルンの人たちがいると?」

「いや、聞こえたのは楽器や歌声じゃない」

九条は階段を降りていく。日菜も警戒をしながらいつでも抜けるように拳銃に手をかけて九条の隣に並んだ。
降りた先には黒い扉がある。

九条の言う通り、近づいていくと人の声のようなものが聞こえてきた。

日菜は扉の前で足を止めて、九条に動かないように手で合図を出した。
九条は小さく頷く。

そしておもむろにスマホを取り出した。そしてしばらく画面をいじった後、目を見開いた。
日菜に近寄り、声が響かないように耳元に顔を近づけた九条。

「若月さん、これ」

九条に促され日菜はスマホの画面に視線を落とした。

ヒダカモルンの公式のSNSのようなものであった。
投稿は17時ちょうどである。

『本日みなさまにメールでご案内したとおり、ヒダカモルンのライブは中止となります。

ヒルイの顔出しライブが本日行われると噂できき、おそらく皆様私たちのライブを見る暇なんてないと思います。

一緒に、ヒルイの配信ライブを待っていましょう』



「これって、じゃあ今日ライブは行われない?」

九条は日菜の言葉に「そうだな」と返事をしたが、何か悪い予感がしたのか黒い扉を睨みつけた。

日菜自身も嫌な予感を拭い去ることはできなかった。投稿時間は17時。青谷や柳田はすでにここにきているはずだ。

そして、


「…メールで中止の案内をしたとしていますが、柳田や青谷は当選をSNSで知ってます。中止のことを知らないとしたら」

日菜がそう言った瞬間、黒い扉の中から叫び声のようなものが聞こえてきた。
日菜は扉に手をかける。しかし、動きを止めた。

隣の九条を視界に入れる。彼も中に入ろうとしていた。日菜は一度手を離して九条に向き直った。


「…九条さんは、ここで待っていてください」

「…なんでだよ」

「私1人で行きます」

「殺されるかもしれないんだぞ、そもそもなんで1人で来たんだ」

「ここに田所ミチが来るという確証をもてないと警察は動きません。私は、私として勝手にここに来ました」

「若月さん」

「花田瑠衣歌は私たちを信じたからここを私たちに託したんでしょう」

「復讐の矛先がお前に向いたらどうする」

「負けませんよ」

「感情論の話をしてるんじゃない」

日菜はくすりと笑った。もう、あの時のように逃げたりしないと誓った。堂々と正面から今の自分で立ち向かう、そう決めた。
九条は心配そうな表情をしていたが、少し呆れたような表情に変わり、ポケットから何かを取り出す。

そして日菜に近づいた。

日菜は思わず目をつぶったが、左耳に何かが装着されて肩を上げてすぐに目を開ける。
九条も片耳にそれをはめていた。

「これは?」

「無線機だ。何かあったら俺も中に入る」

やはり、この男はただの音楽療法士には見えないと日菜は改めて思う。


「時間がない、早く行け」


九条が日菜の背中をおす。日菜は銃を取り出し、全ての覚悟をきめてその黒い扉を開けた。