彼女が真実を歌う時




「危ないので近寄らないでください!」

商店街を歩く人々が足を止めはじめている。日菜は周りにそう叫んだ。
いよいよクーラーボックスの中身が心配になってきた頃、九条は1人を地面にねじ伏せた瞬間だった。

「若月さん!走れ!」

九条が日菜にそう言う。九条の声がスタートダッシュの合図のように、日菜はクーラーボックスを抱えて走り出した。
細い裏道を抜けて、全力で走る。
後ろを見れば数人が追いかけてきており、日菜は再度右に曲がり細い道に入ったあと、すぐさま左に曲がった。

しばらく走って後ろを見れば追いかける人数が少なくなったのもあってか上手くまけたようである。
日菜は息を切らしながら前に見えてきたオレンジ色の看板を視界に入れた。


「レコードショップ…!」


日菜は店の扉を開ける。
ひんやりとした空気が日菜を包んだ。
床に倒れ込んだ日菜。
カウンターで座っている白髪の女性が、驚いたように立ち上がって日菜に駆け寄った。


「どうしたの、大丈夫かい」

「あの、レコードプレーヤー、あり、ますか」

「ええ、そりゃレコードショップですもの」

戸惑いながらもそう答えた女性に日菜はクーラーボックスを差し出す。
その瞬間であった、扉が開く音がする。

「っ!」

日菜は咄嗟にクーラーボックスを隠しながら後ろを振り向いた。
そしてその姿を視界に入れて、硬直したからだを緩めた。安心したように名を呼ぶ。

「九条さん…」

「見つかるとやばいから店のシャッター閉めるぞ、ばあさん」

九条はそう言って息を切らしながら、慣れた手つきで端に置いてあった長い棒を持ち外に出る。

そして警戒をしながら、シャッターを閉めて中に入った。
一気に薄暗さが日菜たちを包んだ。


「こりゃ何事だい、なぎくん」

『なぎくん』女性にそう呼ばれたのは、紛れもなく九条であった。
九条はよろめきながら中に入ってくる。
口の端についた血を手の甲で拭った。

「説明してる時間がないんだ、ひとまずレコードプレーヤーを貸してくれ」

「九条さん、血が」

「こんなのあとでいい」

日菜の肩を軽く叩いて、クーラーボックスを手に取り蓋を開けた。


「まだ大丈夫だ」

「よかった」


九条と2人では安堵の息を漏らす。一度裏に入っていった女性がレコードプレーヤーをカウンターへと持ってくる。

「はいよ」

置かれたそれを九条が慣れた手つきで確認していく。
そして、クーラーボックスから『氷のレコード』をゆっくりと取り出した。


「これまたすごいもん持ってるね、あんたたち」


「だろ、氷のレコードだよ。一回しか聴けないんだ」


少年のように笑った九条。女性が孫を見るような目で九条を見つめていた。

日菜は、自らのスマホの録音機能をオンにしながら九条に話しかける。


「もしかして、九条さんのおばあちゃんですか」

「いや、違う。祖母の友達だ。昔からお世話になってんだよ」

氷をセットしながらそう言った九条。女性は微笑みながら数回頷いた。
やはり、まだまだ九条のことについて日菜は知らないことばかりだった。そして自らのその気持ちに気づき、九条のことをより知りたいと思い始めてしまっていた。


「よし、録音はしてるな」

「はい。大丈夫です」

「いくぞ」

日菜はごくりと唾を飲み込んだ。その場に緊張感が走る。
ゆっくりと回り始めた氷のレコード。そこにハリが落とされた。

最初は、ジーッという雑音が聞こえてきていた。
日菜と九条は、そこからこぼれる全ての音を聞き逃さまいとまわる氷に顔を近づける。

すると、微かに人の声が響き始めた。

それが歌声ではないと日菜が気づいた時、こもるようなその声が自らの名前を放った。




「きっ、きっ、きこえてますか、花田、花田瑠衣歌です」