ものの5分ほどで商店街近くの駐車場につき、日菜たちは車を出た。
そして走る前に息を整える。なぜか緊張をしていた。
「行くぞ」
「はい」
クーラーボックスは九条が抱えている。走り出した九条を追いかけるように日菜も走った。
少しさびれた商店街を走っていく2人を行き交う人たちが見ていくがそんなことを気にしている場合ではなかった。
たかが氷のレコードを聴くために、死ぬ気で走っているのは自分たちだけだろうなと日菜はふと思う。
すると、幾分か先を走る九条が足を止めた。
「九条さん?」
「やばいかも」
「え」
正面から歩いてくる男たち。商店街を歩く人々の中では異質な雰囲気であった。
そしてその目は真っ直ぐ日菜たちを捉えている。
「ハルカゼスターのバックについてるやつらか」
「…なんでここに」
「花田瑠衣歌が歌に真実を込めてる。それをすべて見つけだしてるのは俺たちだよな。なんか勘づかれたかも」
「まさか」
「ひとまず逃げるぞ」
逆方向に踵を返した九条。日菜も続いて走り出せば、それを追いかけるように男たちも走り出した。
九条の予想通りだ。おそらく狙っているのは花田瑠衣歌が残している『真実』
和田橋が事情聴取に応じたことで、ついに動き始めていた。
向かっているレコードショップからどんどんと遠ざかっていく度に焦燥が込み上げてくる。
「応援を呼びます!」
「氷が溶ける!」
「でもこのままじゃ」
九条は足を止めた。そして力が抜けたように一度クーラーボックスを地面に置いた。
まさか諦めたのかと日菜は九条をみるが、九条のその瞳は違った。
ただ向かってくる男たちを睨みつけるように見ていた。
「このままじゃ、間に合わないよな」
「九条さん」
「せいぜい10人くらいだろ、1人でやれる」
まさか。
「戦う気ですか」
「じゃないと、『氷の歌』は聴けない」
追いついてきた男たちが日菜たちに近づいてくる。
九条はクーラーボックスを日菜に押し付けて日菜ごと背中にまわした。
「右に走れ、裏道があるから。なんとなく場所は分かるだろ」
「ダメです。私が戦います、九条さんが走ってください」
日菜は九条の背中にクーラーボックスを押しつけた。
その間にも男たちがじりじりと近寄ってくる。
「ヒルイの居場所を知ってたりしませんかあ、そこのお2人さん。もしくはヒルイから何か預かっていたり、なんて」
1人の髪をオールバックで固めている男がシニカルに笑いながらそう言った。
冷静になれと日菜は何度も何度も頭の中で唱える。何が一番最善か、九条を守って氷のレコードも守るには。
日菜はクーラーボックスを背中に隠し、九条の隣に立った。
「…何考えてんだ」
「ここで暴れれば誰かが警察に通報します。必ず応援が来るはず。火種は大きい方がよく燃えますから。
氷を燃やすわけにはいきませんが」
「この状況で冗談言えるのはたいしたものだよ」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
殴りかかってきた男を九条が避けてそのまま腕を掴んだ。そして膝をピンポイントで鳩尾にえぐりこませた。男が苦しそうに地面に倒れ込む。
一瞬の出来事だったため、男たちが少し怯むように九条と日菜を囲んでいく。
日菜はクーラーボックスを守るように九条と背中に合わせになると九条と日菜の足の間に隠すように置いた。
「ある程度片付けたら、撒きましょうね」
「分かった」
九条が構える。一斉に襲いかかってきた男たち。
武道はある程度やってきたが、自分の拳が相手にめり込み地面に倒れていくのは正直見ていられない。日菜は何も考えないようにただ無我夢中で戦った。
息を切らしながら九条の方をみると、九条は容赦なく数人を次々と殴りつけていく。
あのピアノを弾く綺麗な手を血に染めてしまったことに罪悪感が込み上げた。
ここまで、巻き込む気はなかったのに、と。
「…ごめんなさい」
「何への謝罪だ」
息を切らした九条は日菜の背中に自らの背中を合わせてそう言う。
そして口元についた血を拭った。
「若月さんに心配されるほどやわじゃないよ」
「強いんですね、九条さん」
「昔やんちゃしてたからな」
では、なぜ音楽の道に。日菜はそう聞きたかったがあきらかにタイミングを間違えている。
すべてが終わったあとに九条のことを知りたいと、そう思った。



