ーーーーーーー


ギターが鳴り始めた。簡易なマイクに口を寄せると真中が歌いはじめる。
どこか花田瑠衣歌の歌声と似ていた。

老人ホームコミナト。食事などをとる共同スペースで真中理音の演奏は行われていた。
施設に入所している老人たちが椅子に座り、真中の歌声に耳を傾けていた。

時代を合わせて歌謡曲を歌っている。そして、真中が準備したタンバリンやマラカスが職員から渡され始めていた。

『自由に鳴らしていいらしいですよ』と職員から渡されると、手渡された老人たちはすぐに鳴らす人もいれば、職員に突き返し、乗り気でない人もいる。


「ライブと療法をうまく掛け合わせてるな」

日菜の隣で九条が顔を寄せてそう呟いた。

「そうなんですか」

「簡易な楽器で音楽にのる。それも立派な音楽療法だ」

日菜は「そうなんですね」と頷きながら、ギターを抱えて楽しそうに歌っている真中を見つめた。

ーーー敵か、味方か。
到底今のままでは判別はできない。

日菜はあたりを見渡し、近くにいた職員に近づいた。


「あの、すみません」

「はい」

比較的若い女性の職員である。日菜はまず1枚の写真を見せた。

「こちらの方ご存知ですか」

女性は写真に瞳をおとして、「ああ」と思い出したように返事をする。今まで彼女の存在をすぐに把握して思い出した人はいなかったため、日菜は驚き、少し困惑した。
知らないと言われたあと、その次に園宮光子について話を聞こうと思っていたのに、と。


「真中さんが来る前、この方がよく来られていたんですよ」

見せた写真は、花田瑠衣歌の写真であった。


「名前はなんと名乗っていましたか」

「花田と名乗ってましたよ」

本名である。確かに、彼女は顔をださず、花田瑠衣歌としてではなく『ヒルイ』として表で生きているため真中のような活動をするのも可能である。


「花田さんも、こういう活動を?」

「はい。金髪だしタトゥ入ってるしで最初は怖がられてたんですが、彼女の音楽が人気でここ最近は入居者たちも楽しみにしてたんですよ」

「花田さんはいつからここに来なくなったんですか」

「8月初旬頃からですかね…でも、最後に来た日ちゃんと引き継いだ子がいるから安心してくださいとおっしゃってました」


引き継いだ子。それが今歌声を響かせている真中である。
そして最後に来た日は失踪する少し前であった。


「引き継いだってことは、やっぱり急に何かに巻き込まれたってことはなさそうだな」

いつのまに日菜の隣に立っていた九条がそう言う。
そして九条は真中をちらりと見たあと、職員に問いかけた。


「そもそもなぜ、ここはこういう活動を?」

「私もよく知らないんですが、昔からここにいる園宮さんからの提案だときいています」

「園宮さんって、園宮光子さんですか」

職員にそうきく。日菜の圧に若干引き気味の職員は「ええ」と困惑しながらも頷いた。

「園宮さんは今どこに」

日菜の問いに、職員は「えっと」とあたりを見渡した。そして、人差し指をあるところへ向けた。
その指先に促されるまま、日菜と九条は目を向ける。

端の方に座っている白髪の女性。
その手には楽器は握られていない。だからといって真中の方をみているわけでもなく、自らの片手に握られたそれをじっと見つめていた。


「あの方です」

「手に持っているものは何ですか」

九条が目を細めながらそう問いかければ、職員はゆっくりと口を開いた。


「ストップウォッチです」

日菜だけでなく、九条もそれには首を傾げた。園宮が手に握っていたのはストップウォッチ。
そしてただじっとそれを見つめている。

「花田さんが来てくれていた時からずっとなんです。楽器も持たず、ずっとああしています」

「あれは何をやってるんでしょうか」

「曲の長さをはかっているんですよ。本人はこれ以上認知症を悪化させないように頭を働かせてるんだって言って」

職員は途中で言葉をとめた。そして自分の右腕をぎゅっと握り、少し俯く。
そして少しだけ日菜と九条の方に近づいた。

「あの、これ、内緒にしてもらえるとありがたいんですけど」

「なんですか」

「私も、あんなに真剣にストップウォッチと睨めっこしてる園宮さんのこと気になって見張ってたんです」

ごくりと職員が唾を飲み込んだ。

「…おそらく、曲の長さが日付とリンクしてます」

職員の言葉に日菜と九条は一瞬理解ができずに、顔を見合わせた。
曲の長さが日付とリンクしている。そう言った職員は、小さく息を吸って言葉を続けた。

「花田さんが最後に来た日、歌った時間は10分17秒でした。私はその時間を把握した状態でことあるごとに園宮さんを気にかけていました。で、ある夜中に裏口から出ていく園宮さんを見まして」

「まさかその日って」

「10月17日です」

今日は19日である。ほんの数日前のことだ。その時に園宮と花田瑠衣歌が接触をしたということだろうか。だとすれば花田瑠衣歌は今も生きているということになる。
日菜の中で希望がみえてきていた。

「園宮さんは誰かと会っていませんでしたか。その、花田さんとか」

「いえ、ただ何かを手に持って帰ってきただけです」

「何かって」

「さあ、そこまでは。ここで何かを作って冷凍庫に入れるとこまでは見ましたけど、こわくてそれ以上は何も知りません。

というか、園宮さんが勝手に外に出てること見ちゃったなんて知られたら私も危ないんで、お願いですから黙っててくださいね」

職員は人差し指を鼻の先に当ててそう言う。
後ろの方でその職員は呼ばれてしまい、「すみません、行かないと」と慌てたように日菜たちから離れていく。

日菜は花田瑠衣歌の写真を鞄に入れて、園宮光子の方へと瞳を向けた。


「やっぱり、花田瑠衣歌と園宮光子は繋がってますね。九条さん。あとで話をききにいきましょう。冷凍庫に何を入れたのかも気になりますし」

隣に立っている九条からの返事がなく、日菜は隣を見た。

「九条さん?」

九条は我に返ったように、日菜の方をみて少し戸惑いながらも頷いた。
日菜は怪しむように九条の顔を覗き込む。

「何か、気づいたことでも」

「え、ああ、いや、何も」

「怪しい」

「うるさい、顔近い」

額をおされ、日菜は不服を顔に出しながら九条から離れた。そもそも九条が花田瑠衣歌に確認したいことというのをきいていないことに日菜は気づく。
今、ここできいてもおそらく教えてくれないのだろう。と日菜は解せない気持ちのまま眉間にシワを寄せた。