ミチは床に手をついたまま顔を俯かせて泣いている。日菜はミチの体を自分の方に引き寄せた。
「いつもこんなことされてるの、ミチ」
ミチは日菜の質問に答えなかった。
静かに日菜の肩に手を置き、ゆっくりとからだを離したミチ。
「もう、私と関わらない方がいい」
「何言ってるの、そんなのできない。一緒に先生に相談しに行こう」
ミチは力なく首を横に振った。
「意味ないよ、誰も味方なんてしてくれない」
「なんでそんなこと言うの」
「もういいから」
ミチはゆっくりと立ち上がる。そしておぼつかない足取りで日菜に背を向けて歩き出した。
日菜は慌ててその背中を追いかけようとしたが、
「来ないで」
冷たい拒絶する声がそこに響いた。日菜の足はそんな声にいとも簡単に固まってしまった。
何が正解かなんて日菜には分からなかった。だが、ここでミチから離れてしまえばいつかミチが壊れてしまうと日菜は思った。
日菜の先を歩くミチ。
その数歩後ろを日菜はついていく。
ミチの髪の先から雫が廊下に落ちていき、日菜はそれを消すように踏んで歩いた。
どこに向かっているのかはすぐに分かった。
旧校舎へ向かう途中の窪み。
小さな茶色い扉。
『ピタゴラスの部屋』ミチはそこに入る。
ミチはわざと先に入って日菜が入る前に扉を閉めた。
日菜がドアノブに手をあけて扉を少しあけたところで、中から鋭いミチの声が聞こえた。
「入ってこないで」
「ミチ…」
中の様子は見えない。隙間から溢れる日の光、開けることは簡単なことなのに日菜は狭いその隙間を見つめることしかできなかった。
「日菜はさ、私と『友達』でいたいんだよね」
掠れたような声が日菜の耳に入ってくる。
「そうやって必死に線引きされて、私がどんな気持ちになるか考えたことある?」
ドアノブにかけた手の力が緩んだ。
本当は分かっていた。ミチが日菜にたいしてどんな気持ちを抱いているのか、分かっていながらも自分が心地いいと思う距離を保つように『友達』だとおしつけた。日菜は自覚をしていた。
「日菜と一緒にいたいよ、でも私は『友達』じゃ嫌だ。だから離れたい。もう関わりたくない」
「そんな、嫌だよ、わたしまたここでミチと」
「日菜なんて嫌い、ここにももう来ないで」
ミチは叫ぶようにそう言って少し開いた隙間を固く閉じた。
日菜の耳に何も聞こえなくなる。
頭が真っ白になった状態で、日菜は『ピタゴラスの部屋』に背中を向ける。
自分勝手なことをして、大切な人を失ってしまった。
頬に伝う涙を手の甲で拭う。
ミチは冷え切った手でどんな音色を奏でているのだろう。そう思ったが日菜はもうピタゴラスの部屋には戻らなかった。



