彼女が真実を歌う時




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高校時代。狭い狭い空間に色んな考えを持つ人間たちが押し込められる。
日菜はそれなりに上手くやっている方だった。

一定の距離を保ち、干渉されすぎない程度に付き合う友達。進学校の女子校、加えて周りからは『お嬢様校』とよく言われていた。

だが、そこにいる人間たちは10代の女子高生たちであり周りから貼り付けられたレッテルに従順に従うフリをして、裏では予想もつかないひどいことをする人間もたくさんいる。

日菜はそれを知っていた。


「日菜」

名前を呼ばれて振り向くとそこには誰もいない。
いつも彼女が日菜たいしてやるイタズラであった。


「ごめん、先行ってて」


移動教室の時1人になりたくないと日菜にへばりついてきたクラスメイトに軽くそう言った。不服そうな顔をされたが見て見ぬ振りをして愛想笑いを貼り付ける。「ごめんね、教室に忘れ物しちゃって」と。

嘘を言った。罪悪感は感じなくなっていた。
クラスメイトが「分かった」と背中を向けて歩き出す。
日菜はそれを見送ったあと、ゆっくりとした足取りで声のした方へと向かう。

人通りのすくない、旧校舎へ向かう通路。通路の右手前には窪みがあり、壁には茶色い扉がある。
少し屈んで入るような、小さな扉だ。

小学生の頃にこういうところをみつければ、おそらく『秘密基地』として大いに喜んだであろう。

扉は開いており、開いた扉の後ろに彼女はいつもいる。


「ミチ」

名前を呼べば、彼女は顔を覗かせてはにかんだ。


「ようこそ、ピタゴラスの部屋へ」


「またそんなこと言って。勝手に入るの良くないよ」

「いいのいいの、ほら早く入って」

「授業始まっちゃう」

「いいじゃんサボろうよ」

「ダメだよ、成績下がっちゃうし」

「真面目なんだから日菜は。ほら、たまにはいいでしょ」


ミチはいつもそう言って、日菜の方に近寄り背中をおした。『たまには』そういう彼女はたまにではなくいつもここにいる。

同じ学年ではあるものの、クラスは違い接点もあまりなかったが日菜とミチはいつのまにか友達になっていた。
きっかけなんて覚えていない。ただ、なんとなく、気づけば日菜はミチと一緒にいた。

ーーー友達、そう思っていたのは日菜だけであった。


「相変わらず変な部屋」


屈んで中に入れば、立っても頭がぎりぎり頭がつかないほどの部屋になる。
屋根裏のような空間が広がっていた。

『ピタゴラスの部屋』この部屋はミチが勝手につけた名前である。

そこには一台のピアノがある。

ミチいつもそこに座る。日菜はミチの近くの床に座ってミチを見上げた。


「日菜、変な部屋とか言わないでよ、私のオアシスなんだから『ピタゴラスの部屋』」


「教室、まだ行けないの」


日菜の問いにミチの顔は途端に暗くなる。
ただのクラスメイトに嘘をついた時は罪悪感を感じなかったが、ミチへの投げかける言葉を間違えた時に底知れない罪悪感が日菜を包む。

ミチは、いじめられていた。


「ごめん、簡単なことじゃないよね。大丈夫、来年は同じクラスになれるよ」


高校2年生。あと数ヶ月で3年生になる。受験で空気は張り詰めてくるため、ミチへのいじめはなくなるだろうと日菜は考えていた。

ミチは、泣きそうな顔をして椅子の真ん中から少し横にずれた。そこには1人分の小さな空白がうまれる。

手のひらをそこに置いた。


「隣、座って日菜」


そう言われ、日菜はミチの横に腰を下ろした。
そしてミチは、ピアノを弾き始める。
日菜はその音色に耳を傾けた。

そこはなぜか防音になっており、扉を閉めてしまえば微かに音は聞こえるものの旧校舎へ向かう生徒もいないためバレたことがない。


「宇宙が音楽を奏でており、その調和が世界を支配している」

「なに、それ」

「ピタゴラスの言葉」

跳ねるようにピアノを鳴らしているミチが楽しそうにそう言った。
田所ミチは不思議な人だった。音楽が好きで、泣きそうな顔をしたと思えば楽しそうに笑い、感情の奥底に何か秘めているような、そんな人であった。

人と違うことは、狭い空間では異物扱いとなる。
それがミチ自身も分かっていたのかピタゴラスの部屋以外では、ミチは日菜に話しかけてはこない。


「今日は何弾くのミチ」

「日菜に最初に教えた曲、久しぶりに連弾しようよ」


音楽は流行っているものをそれなりに聴きはするものの、ピアノなどは習ったことのない日菜にとってミチとの時間は色んなことを教えてもらえるような、楽しい空間だったのは確かだった。
大事だった、守りたい場所だった。


「私、相変わらず右手しか弾けないよ」

「いいのいいの、ほらやろう」


そこに『きらきら星』がゆっくりと流れはじめる。
日菜のメロディに合わせて、時たま綺麗なアレンジを加えながら楽しそうにピアノを弾くミチ。

ミチの視線を感じるものの、日菜は右手から目を離すほどの余裕はない。

ミチに合わせるように彩られる音色になんとか耳を傾ける。

日菜の弾いている場所に、ミチの手が流れるように侵入してきた。


「あ」

日菜の親指と、ミチの小指が軽く触れる。

音が止まり、日菜は顔を上げた。

ミチはどこか切なげに笑った。


「日菜、私ね」