九条はそんな3人の様子に呆れたように笑いながら、「で」と言葉を続けた。
「こんなにぞろぞろとなんですか、3人とも音楽療法を受けにきたとでも」
小言を言いながらも中に入るように促してくれる九条。日菜は「すみません急に」と九条に頭を下げた。
「この間はご協力ありがとうございました九条さん。本日も事件の件で少しご協力をいただければと思いまして」
大宮が丁寧な口調で九条にそう言うと、九条は困ったような表情を浮かべる。
「ただの音楽療法士ですしそんなに役には立たないと思いますがね。ああ、そこの椅子にどうぞ。お茶を淹れてきます」
「ああどうぞお構いなく」
大宮と九条の仰々しいやり取りが行われながら、九条に促されるまま大きめの机を前にして3つ椅子に並んで座った。
九条は白衣を着ている時だけ印象が違う、と日菜は九条の姿を見て改めてそんなことを思った。仕事スイッチが入っているのだろう、パン屋を探す時のような雰囲気は微塵も感じられない。
奥にお茶を入れにいく九条を日菜がじっと見つめていると、九条と目があった。にこりと笑う九条。
「若月さん、良かったら手伝ってくれませんか」
大宮と浦井の視線がささる。
日菜は戸惑いながらも立ち上がった。
そして小走りで奥に入っていった九条のところへと向かう。
楽器が置いてある後ろには小部屋があり、そこには台所のようなところが存在していた。
シンクの上の棚から急須と湯呑みを3つ取り出した九条。その横に立った日菜。
何を言われるのだろうかと少々肩が上がる。
「茶の葉っぱ、その横の棚の中にあるからとってくんない」
「はい、分かりました」
幾分か声が低くなり、素の状態になった九条。日菜はポットに水を入れていく九条を横目に棚から茶葉の入った袋を取り出す。
「真中理音」
「え」
「あの時のギターを持ってた女子高生、あの刑事たちには話したのか」
「いえ、まだ何も」
「なんで話さない。もしかしたら花田瑠衣歌の失踪と関係してるかもしれない」
「ええ、でも」
口ごもった。自分の過去を知っているかもしれない、そんな恐怖が日菜の口を閉ざしていた。
九条は何かを察しているのか、手をついて日菜の方を見つめる。
「お前、本当は今回の件で関係してることがあるんじゃないのか」
「なっ、何も」
「ピタゴラスの部屋」
ひゅっと息がつまるような感覚になる。
なぜ、九条の口からその言葉が出たのか。
答えは簡単なことである。
九条は顔を上げた日菜に、自分の右耳を示しながら少し口角を上げる。その唇がゆっくりと動いた。
わざとらしく小さな声だった。
「人より耳がいいんだよ、俺」
「聞こえていたんですか」
「ああ。あの瞬間に様子がおかしかったのも気になってた」
日菜の手元からにある茶葉の袋に手を伸ばした九条のからだが日菜に近づく。思わず肩をすくめて顔を俯かせた。
冷たく流れる川を見下ろした情景、靴とギターケース、お揃いのストラップ。
忘れようとしたそれが日菜の頭でフラッシュバックした。
「…ごめんなさい」
日菜が放ったその言葉に九条のからだが動きを止める。
日菜にとってその言葉は無意識に出た言葉だった。
戸惑ったように顔を上げた日菜、九条も日菜を見下ろしていた。
「…何への謝罪だ」
近くなった距離よりも、九条は日菜の言葉の真意が分からず困惑しているようだった。
日菜も何と言ったらいいか分からず、瞳を揺らした。
しばらくの沈黙を破ったのは、扉をノックする音であった。
反射的にお互いが距離をとる。
扉の向こうから聞こえてきたのは大宮の声だった。
「すみませんが、お茶は大丈夫ですので早くお話をさせてくださいませんか九条さん」
大宮の声に九条は落ち着いた声色をなんとか保ちながら扉の方に声をかける。
「すみません、すぐに行きますので。ポットの水が沸騰するのが遅いもんで。若月さん、先に戻っていていいです。ありがとうございます」
九条が幾分か大きな声を放ち、日菜の背中をやや強めに押した。
「く、九条さ」
「いいから先に戻ってろ」
片手をあしらうように揺らして、日菜に背中を向けた九条。
日菜は渦巻くモヤのかかった感情をなんとか飲み込んで扉の外に出た。
大宮が怪訝な顔をして腕を組む。
「何話してた」
「特に何も」
「本当か。お前なんか隠してることあるんじゃないだろうな」
「ないです」と言葉に出す前に、椅子に座って大宮の背中から顔を覗かせた浦井がニヤついた顔で日菜の言葉を遮った。
「大宮さん、野暮ですよ。部下の恋愛に口だすなんて」
大宮だけでなく日菜も「はあ!?」と顔を歪めた。
「何言ってるんですか浦井さん」
「ええ、だってずっとヒルイの件で若月さんに協力してるうちに距離縮まって〜とかあり得そうだし、パン屋の時先に助けに入ったの九条さんって聞きましたよ〜」
ひゅうっと口笛を鳴らした浦井。日菜の顔に熱が溜まっていく。
意識をしたことがないと言ったら嘘になってしまうからだ。だが、今、大宮が浦井をとんでもない勢いでどついたのを見てしまったので口が裂けてもそんなことは言えない。
それに、協力をしてもらっている立場でありながら秘密ごとをしてしまい、先ほど距離をおかれたばかりである。
正直恋愛云々なんてどうでもいい。と日菜は頭を横に振った。
「こんな大変なこと調べてる時に恋愛などと浮かれたこと言うやつがあるかよ、恥知らずめ」
「だから俺は班が違いますってえ」
「うるせえさっさとパソコン出せ」
大宮の声が響く中、日菜はおずおずと椅子に戻りそれに続くように扉が開いて九条が出てきた。
「すみません、お待たせして。どうぞ」
仕事モードの笑顔に戻った九条がお茶を3つテーブルに置き、やっと机を挟んで3人の正面に座った。
おぼんを両手首と太ももの間に挟んで「で」と3人を見た。
「お話ってなんですか」



