全ての音が一瞬のように感じられた。戸が荒々しく開く音、「若月さん!」という声。
拳銃の音が響き渡る。
日菜が目を開ければ、天井の蛍光灯に弾があたり、破片が地面に落ちた。
日菜が後ろを振り向けばそこにいたのは
「九条さん!」
朝倉の拳銃を上から下におろして朝倉の体ごと棚に押し付けた九条。
日菜は逃げ出そうとする蛯名を押さえ込んだまま、何度か九条の名を呼んだ。駆け寄りたいのは山々だが、この状況で日菜も動くことはできない。
だが、九条は日菜が思っている以上に強かった。
力任せに九条を殴ろうとする手を九条は掴み上げてそのまま足をかける。
朝倉の体が地面に倒れた。
日菜の体勢と同じように、相手の背中に膝をつき後ろで両手首をおさえた九条。
「ふざけんなっ!お前たちのせいで人生無茶苦茶だ!!」
朝倉が九条の下でそう叫ぶ。子供のような泣き叫ぶ声が、流れるモーツァルトをかき消した。
体をよじり叫びながら抜け出そうとする朝倉を九条は冷静に抑えこんだ。
しばらくすると抵抗しても無駄だと悟ったのか、小さく唸りながら顔を地面にうめる。
「俺は、ただ、みんなに愛されるアイドルになりたかっただけだ」
「朝倉さん」
同情などしてはならない。だが、日菜は朝倉になんと声をかけたらいいか分からない。
薬物に手を出したことが事実だとして、それが疑惑として浮上し、行方をくらました。
朝倉が言った「ひとときの快楽」というのは記事にでた薬物のことなのかもしれないと日菜は思う。
この時に、捕まえられていたら、と。
「表現者がつらいのは分かる。裏の努力をみない顔も分からないやつらが好き勝手言ってなんで自分だけがって思うのも」
九条は低い声で朝倉にそう言った。
「だけど」と九条は朝倉の後頭部を軽く叩く。
「認めてもらえないからと薬物に逃げて、誰かのせいにして笑顔の仮面を貼り付けるのは違う。
人生滅茶苦茶?そんなのお前自身が招いた結果だろ」
「そうだよ、そんなの、そんなの分かってる…ただ、俺は」
噛み殺すように朝倉は言葉を放つ。
「みんなに愛されて、認められて、綺麗なアイドルになりたかったんだ」
モーツァルトの曲が綺麗な音で終わりをむかえ、そこは静まりかえる。
半開きの戸から複数の足音とともに人が入ってきた。
「若月!大丈夫か!」
最初に入ってきたのは拳銃を構えた大宮であり、その後に数人が倉庫に勢いよく入ってきた。
「大宮さん!」
「何1人で行ってんだよ!バカが!」
「すみません」
証拠を見つけしだい連絡はするつもりでいたが、日菜は自らのスマホを手にとる余裕を見失っていた。
状況を把握するにしても、大宮たちの判断や動きが早すぎるためもしかしてと九条の方を向く。
九条は入ってきた警察官に朝倉をやや乱暴に受け渡した後、両手を払いながらため息をついた。
「嫌な予感したから、通報しといた」
「九条さん、ありがとうございます」
「俺が来なかったら確実に死んでたぞ」
「すみません」
九条と日菜のやりとりの横で大宮が蛯名に荒々しく「さっさと立て!」と怒鳴り腕を引っ張り上げながら日菜の方に振り向く。
「ひとまず帰ってから説教だ」
日菜は3回目の「すみません」を大宮の背中に投げかけて、慌ただしく動き始める周りをよそに九条の方に身体を向けた。
「あの」
「若月さんのことだから調べてから動き出すのも早いだろうって思ってな。
ここに来てみれば音楽鳴ってるし、さっさと警察に通報して俺も去ろうとおもったんだけど嫌な予感して。まあまさか撃たれかけてるとは思わなかったが」
「すみません、本当に。情けないです」
「まあ、一般市民に教えられる情報なんてそんなにないんだろうけど、俺だって生半可な気持ちで花田瑠衣歌のこと協力しているわけじゃない」
「九条さん」
「ちゃんと協力するし、しろよ」
九条はそう言って「もちろん花田瑠衣歌の件が終わるまでだ」と言葉を付け加える。
日菜は小さく頷いた。
「すみません、九条さんも話を伺いたいので署の方まで来ていただけますか」
裏の戸から顔を覗かせた大宮が九条に向かってそういう。九条は軽く日菜の腕を手のひらで数回バウンドさせて「行こう」と言う。
外に出れば、薄暗い倉庫とは違い日が照りつけており思わず目を細めた。
ちょうどパトカーに乗り込む朝倉が視界に入る。
朝倉は出てきた日菜と九条に気づき動きを止めた。
「朝倉さん」
日菜が呼べば、朝倉は仮面のような笑顔ではなく、泣き出しそうな、だが、どこか安堵したような笑みを浮かべた。そしてゆっくりと頭を下げたあと、パトカーの中へと消えていった。
「あいつ、早く終わらせたかったのかもな」
「ええ」
九条の言葉に日菜も頷く。浅岡という偽名までつかい、顔も変えた男は、自分は綺麗なアイドルになりたかっただけだと言った。到底今のままでは無理なのに。闇に沈んで起き上がれなくなる自分をなんとか制するための幻想を抱いて彼は仮面を貼り付けていたのかもしれない。
「花田瑠衣歌は、おそらくまだ真実を残しています」
「…そうだな」
調べていくうちに日菜は確信を持っていた。
花田瑠衣歌の失踪はただの失踪じゃない、と。
拳をぎゅっと握りしめる。まだ、何も終わっていない。
「うわあ、ついにカガワベーカリー使えなくなっちゃったかあ」
日菜と九条の後ろからそんな声がする。
振り向けば、ギターを背に抱えた女子高生が1人。
以前日菜と九条が訪れた際にもいた少女である。
言葉とは裏腹に全く落胆している様子はなく、むしろ楽しそうにスキップをしながら日菜と九条に近づいた少女。
「真中さん、ですね」
「名前、知ってるんですね。朝倉さんからきいたんですかあ?」
ーーー朝倉さん。
なぜこの女子高生は彼が浅岡ではなく朝倉だと知っているのかと日菜は怪訝な顔をした。



