彼女が真実を歌う時






日菜はインターホンをおした。
中から気だるげな「はい」という声が聞こえてくる。
日菜が自分が何者かを口に出す前に扉が開いた。開いた隙間からお酒とタバコの匂いが鼻をかすめて思わず顔を顰める。そして、胸ポケットから警察手帳をだして、男に見せた。


「賀川みつるさんですね、警察です」


「警察?」と怪訝な顔をした男。
パン屋『カガワベーカリー』のオーナーである。薬物の受け渡し場所の可能性が浮上しているが、店を1人でまわしていたあの男と、今日菜の目の前にいる男は別人だ。無精髭をはやし、寝起きのような風貌。
パン屋を経営している人物とは思えない。


「カガワベーカリーの件でお話をききたいのですが」

「あー、パン屋ね」


タバコを口に咥えて日菜の方に出てきた賀川がライターを鳴らしてタバコに火をつける。
日菜は正直、追い払われてしまうだろうと話を聞く前の手段としてあらゆる手を考えていたが、存外賀川は応じるつもりであるらしい。少し拍子抜けしたが、日菜はすぐに切り替えた。


「働いている従業員の名前、知っていますか」

「従業員も何も1人にしか任せてないよ、浅岡ってやつ」

「話したことは」

「ほとんどないな、かたち上オーナーだし時々顔出したりはするけど」

吐かれた煙を日菜は手で軽く払う。


「失礼ですが、パン屋の資金はどのように?」

「資金つったって俺も雇われたようなもんだよ、楽して稼げるって話持ちかけられたからのっただけ。雇われ社長ってやつ?」


賀川に持ちかけたのは仮面のような笑顔をみせていた浅岡という男だろうか。いや、もっと大きな後ろ盾があるのかもしれない。

「働いている浅岡さんという方は、この方で間違いないですか?」

日菜は一枚の写真をみせる。賀川は写真をみつめて頷いた。


「そうそう、間違いない。なに、あいつ何かやばいことやってんの」


「賀川さんは何も知らないのですか」


「なんも知らねえよ、あいつ雇ったのも和田橋さんに頼まれただけだし」


「和田橋さん?」


賀川は小さな声で「やべ」と声をもらした。
しゃがんで地面にタバコを押し付けながら「うわ、口滑った」と項垂れている。
和田橋という名を日菜はどこかで見ていた。
何度も何度も目を通したハルカゼスターの資料の中である。


「和田橋って、ハルカゼスターの社長ですよね」


賀川は立ち上がり、「知らねえ」と吐き捨てると部屋の中に戻ろうとした。日菜はすぐさま戸を閉められないように手で押さえてからだを入れ込む。


「もしかして資金も和田橋さんに?」

「しらねえって」

「賀川さん」

「和田橋さんとは仲良いけど、そんなに深いことは知らねえんだよ!本当だ!俺はただパン屋の経営を任されただけでそれ以外は何も知らねえの」


声を荒げてそう言った賀川。
より怪しさを増しているが日菜は冷静に賀川に詰め寄った。

「ハルカゼスターのことや浅岡さんという人のこと、何か知ってることがあるんじゃないんですか全部吐いてください」

店内にいたあの男は浅岡と言ったが、おそらく偽名だと日菜は疑っていた。


「ハルカゼスターを退所後行方が分からなくなっている、朝倉雄大という男がこの浅岡さんなんじゃないですか?」


ハルカゼスターの朝倉雄大。あの記事にのった元アイドルであり、現在行方が分からなくなっている男である。

「朝倉雄大って…顔違うじゃねえか」

「まだ当時はデビュー前の研修生でした。賀川さん、なぜ朝倉さんの顔を知っているんですか」


まさかファンだったのだろうか。と賀川の風貌を再度見つめるがその可能性は低いだろう。若い男性アイドルだったため、ファン層は若い女性がしめていた。賀川みつるが朝倉雄大のファンではないとすると、社長の和田橋を通じて彼を知っていたということになる。

またもや「しまった」という顔をした賀川は中に入り、戸を閉めようとするが日菜は自らのからだをねじ込み、戸を無理矢理手で開けた。


「賀川さん、和田橋さんとはどこで知り合い、どういう経緯でパン屋の経営を任されたか、詳しく署でお聞かせください」


「うるせえ!任意なら応じねえぞ!令状持ってきてから言え!」


日菜はぐっと喉に力を入れる。
確信をした、やはり賀川は、そしてハルカゼスターは何かを隠している。

そして、花田瑠衣歌はその闇に巻き込まれた、いや、
自分から飛び込んだか。

日菜の力が緩んだ隙をみて、日菜のからだを外に押し出した賀川は家の戸を閉めて鍵をかけた。
よろめいた体をなんとか倒れないように踏ん張って、日菜は戸に向かって声を出した。賀川はまだ中から日菜の様子を伺っているだろう。


「ハルカゼスターから、もしくは、パン屋から何かが出たら、あなたから必ず話を聞くことになります。せいぜい覚悟していることですね、賀川さん」