彼女が真実を歌う時




日菜たちは店を出たあと裏手にまわり、物陰から様子を伺っていた。


「あの歌詞が正しければ、音楽がきこえたら薬物の受け渡しが始まるということですよね」


「そういうことだな」


かろうじて裏手の出入り口でもパン屋の中まで見えているため、日菜は目を凝らす。受け渡しということは誰かが来るということだ。

「それに、あの男は嘘をついた」

「え?」

「タンパク質の音楽のこと」

「ああ、音楽を流したら美味しいパンが作れるっていう」

正直日菜からしたらそれも初耳で信じがたいことではあるが九条の口ぶりだと何か根拠があるのだろう。きいたら長いこと説明をされそうなので黙っておく。


「あれはあくまで、発酵をしている時に音楽を聴かせると美味しくなるってことだ。先ほど厨房をみたが発酵途中のパンはない」

「あの一瞬でよく分かりましたね」

「厨房も、発酵器もガラス越しで見えるようになってたからな」


なるほど、と日菜は頷く。男がなぜあのタイミングで嘘をついたのかは明白である。
『音楽をかけた』ということが、よからぬ合図だということを自覚しているからである。

あの胡散臭い笑顔と綺麗な音色のクラシックは闇を隠すための仮面のようなものだ。

「おい、あれ見ろ」

考え込んでいる日菜の肩を九条が叩いた。
顔を上げると、一台のトラックが店の前に停まった。
中から出てきたのは帽子を被った男である。
すぐに中には入らず、周りを見渡す仕草をしたあと店の裏の戸に耳を当てた。
あきらかに不審であった。


「…あれって」

「音楽が流れてるか確かめてるのかもな、あれが中には誰もいないという合図になってるのかもしれない」

「そういう音楽の使い方ってあるんですね」

「あってたまるか、音楽への侮辱も甚だしい。モーツァルトを犯罪の合図にするなんて大罪だ、今すぐ捕まえろよ警察だろ」

「捕まえたいのは山々ですがまだ証拠をつかめていません」

音楽侮辱罪などと架空の罪名が日菜の中に浮かんだ。今九条が手錠をもっていたならその罪名を叫んで今すぐパン屋の男をとっ捕まえているだろう、それくらい九条の顔は鬼の形相になっている。

日菜はスマホを取り出して、店の戸を開けようとする男の写真を数枚とる。
そして少し後ろにいる九条の方にからだを向けた。


「ひとまず今日はここまでにしときましょう」

「なんだよ、捕まえないのか。今突入したら何か出るかもしれないぞ」


日菜は首を横に振る。


「もう少し、あの男について調べてからにします。それにこれ以上九条さんを巻き込めないですから」


「すでに巻き込まれてるだろ」


「そうですが…さすがに薬物が絡んでくると話が違ってきます。一般市民を危険にさらすわけには行きません」


薬物の受け渡しなんて、闇に染まった人間しかやらないことである。
まさか花田瑠衣歌の歌にそんな真実が隠されていたとは思わず、すでにここまで九条を巻き込んでしまったことに日菜は申し訳なさを感じていた。
あの男に九条も顔を覚えられている。危険な目にあう可能性もゼロではない。


「九条をさんのおかげで、歌の真実に辿り着けたのは感謝しています」


「真実には気づいたが、花田瑠衣歌の居場所はまだ分からないままだろう。まだ何も終わってない」


九条の真っ直ぐな瞳に不安げな日菜の顔がうつる。
九条の言う通り、まだ何も終わっていない。薬物のことだけでない、行方不明の元アイドルのこと、カリンのこと、細田朱莉のこと、そして花田瑠衣歌のこと。

花田瑠衣歌の周りを囲んでいるように色んな黒い真実が眠っている気がしてならない。日菜は拳をぎゅっと握りしめた。


「言っただろ、花田瑠衣歌を見つけたら俺はききたいことがあるんだ」


「何を聞きたいんですか」


先ほどもきいたことであるため、九条の返事は分かっていた。だがもう一度教えてくれるかもしれないという少しの期待をもって日菜はきいた。



「真実が分かったら話す」