「今度、なんだよ」
変なところで言葉を止めてしまった日菜にたいし、九条が日菜の少し前に歩いて様子を伺うように軽く腰を曲げた。
「いえ、なんでも」
誤魔化すように笑って日菜は再びスマホを取り出して『パンの歌』を流す。
白い偽りを右
その向こうに美味しい香り
あなたの大好きなパン
あなたの大好きなコーヒー
「白い偽り…」
日菜はそう呟いて周りに咲きほこる花に目を向けた。
そしてゆっくりと歩きながら色や形が変わっていくたびに足をとめた。
「これはナデシコですね」
日菜のそれに九条が「なんだそれ」と日菜が示した花へと近づいて顔を寄せる。必然と距離が近くなり、日菜は変に緊張しているのが伝わらないように早口で話を続けた。
「花言葉は『器用』とか『才能』」
「へえ、詳しいな」
日菜は人より少しだけ花の知識が豊富である。小さい頃に父親からプレゼントをされた花の図鑑をよく読んでいたからである。
細長い花弁がいくつも重なっているいるナデシコからずらりと先の方まで並ぶ花を日菜は眺めた。
きちんと手入れをされておりこの道を通る人が華やかな気持ちになるように誰かが手間暇かけているというのが窺える。
日菜はしばらく歩いて、また『白』の花へと足を止めた。
「アサガオ」
「アサガオってもうちょっとこう、紫っぽくないか」
「白もあるんですよ」
「花言葉は」
「固い絆、です」
ちらりと日菜は九条の方を見る。
固い絆。今の日菜と九条には程遠い、お互いがお互いを信用しきれていない微妙な距離感。
日菜のみならず九条も何か思うことがあったのか『固い絆ね』と一言呟いて背中を向けて歩き出す。
そして、九条はある花の前で止まった。それは『白』の前であった。
その花が目に入った時日菜は九条の元に駆け寄った。
「これ、ゼラニウム!」
先ほどよりも声が高くなった日菜。それは白色のゼラニウムであり、
「花言葉、『偽り』ですよ!九条さん!」
思わず、九条の肩を数回軽く叩けば、「分かった分かった落ち着け」と九条は日菜のテンションとは正反対に日菜をなだめている。
真実が分かり始めているのに、なぜ九条は驚いたりする様子がなく先ほどから妙に落ち着いているのだろうと日菜は不思議に思った。
そして、「まさか」と九条を怪訝な顔で見上げる。
「九条さん、もしかして」
「よし、じゃあこの花を歌詞通りに右、だな」
九条は日菜の言葉を遮るように腕を歩く方向へと上げた。わざとらしいそれに日菜の顔はますます怪訝になった。
『白い偽り』を右に曲がり、九条の少し後ろを日菜は歩く。
九条の歩みに迷いはない。
日菜は再び『パンの歌』を流した。
その向こうに美味しい香り
あなたの大好きなパン
あなたの大好きなコーヒー
音楽がきこえたらそれが合図よ
しばらくすると、クッキーのような何かを焼いているような香りが鼻を掠める。
歌詞の通りである。そして、九条がある場所で足をとめた。
日菜も少し遅れて九条の横に立って目の前のそれに目を向ける。
「パン屋、ですね」
「だな」
日菜は九条の方に勢いよくからだを向ける。次は遮られないように幾分が大きく、そして早口で言葉を投げた。
「九条さん、知ってましたよね」
「は?」
「この場所、端っから知ってましたよね、この曲の意味をどのタイミングで知って、どうして私に教えてくれなかったんですか。何か分かったら連絡すると」
「ああ、ああ、悪かったよ、説明するから」
九条はため息をついて「説明するから」と再度言った。日菜は不服であった。自分の調べる方向性が間違っていたとしても浦井にまで頼んで曲の分析をしていたのがバカみたいではないか、と。
「曲のことについて調べてここまでたどり着いたのは、『愛の歌』のことがあった後割とすぐだった」
「ではなぜ、連絡をくれなかったんですか」
九条が少し口ごもった。
そして諦めたように口を開く。
「花田瑠衣歌に、先に確認したいことがある」
「確認?何をですか」
「個人的なことだ」
「失踪についての手がかりであるなら教えてください」
「…悪いが断る」
「なぜですか」
「質問魔め」
「刑事ですからね、私」
九条は鬱陶しいそうに顔を顰めて、首元に手を置いた。美味しそうなパンとコーヒーの香りが今の状況とは不釣り合いである。
「もう少し、真実を確かめてから話すよ。それでいいだろ」
「っ、でも」
「悪かった。連絡しなくて」
その言葉は投げやりで場を納めるための謝罪ではなかった。それは日菜にも伝わった。
真っ直ぐに日菜を見つめた九条。
「さっき、花の名前とか花言葉とかぽんぽん答えてただろ、俺はあの道で1日かけて膨大な花から『白い偽り』を見つけだしてやっとここまで辿り着けた」
九条の瞳に後悔が滲む。
日菜はなんとなく九条の言いたいことが分かった。『固い絆』とまではいかなくともまずはお互いを信用するところからである。
「若月さんがいたらもっと早く辿り着けたと思う。よって連絡をすればよかったと後悔してる。ごめん」
日菜は笑いを堪えるように口元に手を置いた。
「なんだよ」
「いや、『若月さん』って」
「え、そこ?」
「呼び捨てでいいですよ、九条さん私の1つ上なんで」
「若月」
「やっぱ雰囲気的にちょっと上司思い出すんで、『さん』つけてください」



