彼女が真実を歌う時





ーーー自分はどこで道を間違えてしまったのだろう。

男は自らの手で練り込んでいるパンの生地を板の上に叩きつける。
輝かしい未来を夢みていた。胸を張って友人や家族に自慢できるような自分でありたかった。
がむしゃらに頑張ってきたつもりだったのに、いつしか夢は真っ黒に濁っていき、もうどうやっても白色には戻らない。
こぼれ落ちていく夢に気付かぬまま闇に落ちていた。
なぜこうなってしまったのだろう。


「お兄さん、コーヒーおかわりください」


表の方でそんな控えめな声が聞こえて男は慌てて少女の元に向かった。
少女の横の椅子にはギターケースが立てかけてありその中には立派なギターが入っていることを連想させた。
少女が目の前に広げているノートには歌詞らしきものが書き連ねられている。

男はそれを見てにこりと微笑んだ。仮面の笑顔のように。夢なんて、いつか崩れ去る。いや、崩れ去ってしまえ、と内心思っていた。

空になったコーヒーカップを持ち上げる。


「今日も曲作り?」

男が少女にそう問うと少女は無垢な瞳で男を見上げた。「はい」と高く、だがどこか柔らかい声色で返事をした少女。男はまた笑顔の仮面を貼り付けた。

愛だの恋だのと妄想に染まった気持ちをぶつけているのだろう。反吐が出る。男は口角を上げたまま心の中で毒を吐いた。
空になったコーヒーカップを裏へと持って行き、淡々と新しいカップにコーヒーを注いでいく。

再び少女のもとに戻って男はこう言った。


「いつか君の曲聴かせてね」


少女は控えめに頷いて再びノートに夢の続きを書き始めた。男がついた嘘は少女には分からない。男はこれっぽっちも少女の歌を聴きたいなんて思っていないのだ。

男は少女に背中を向ける。その瞬間に表情はなくなった。
作りかけのパンを再び練り始める。

輝かしい未来に期待をすればするほど惨めにどん底に落ちていく。
夢を持って今曲を作っている少女にもいつか分かるだろう。どうせ挫折して闇に落ちていく。

ーーーどうか、皆んな不幸になれ。

じゃないと、自分はなんのためにここにいるのだ。
男はパンを板に叩きつけた。

パンも、コーヒーも、嫌いだ。


「死ね…死ね、死ね」


男は何度も何度も呟く。こうなったのは自分のせいではない、闇に続く選択肢を自分に与えたあいつらのせいだ、『死ね』と。
男がパンを軽く浮かせてまた叩きつけようとした時、机の端に置いていたスマホがバイブ音を鳴らして揺れた。
男はパンを板の上に無造作に置き、スマホを手に取る。
表示された画面に胃液が込み上げてきた。

どんなにあらがっても逃げられない、男はそう思った。

スマホを耳に当てる。低く、自分を支配する声が聞こえた。




「音楽を、かけろ」