彼女が真実を歌う時




九条がウクレレから出した音は「ソ」の音であり、周波数であらわすと「392」となる。

音は振動だ。空気が揺れて見えない波になって人の耳に届く。その波を数字であらわしたものが「周波数」だ。宗馬は絶対音感を持っている。しかし、宗馬のように周波数までピンポイントで当てはめることは難しい。
宗馬は誰かから音階ではなく、周波数を教わったとなれば、聞こえた音が頭の中で周波数に変換されていてもおかしくない。


「宗馬くんは耳がいいんだね、音の数字はルイから教わったの?」


宗馬は膝の上に顎を置き、ゆらゆらと揺れているだけで九条の質問には答えなかった。
九条はウクレレを構え直す。

そして、スーパー『いろはと』でけたたましく流れているオリジナル曲のメロディを弾きはじめた。


「あいのうた、あいのうた」


宗馬が先日九条に放った言葉と同じように顔を上げてそう言う。
やはり、花田瑠衣歌の言う「愛の歌」とは『いろはと』で流れている音楽のことなのだろうか。
だがそれが正解だとしても、なぜSNSにあの投稿をしたのかまでは九条には到底理解できない。花田瑠衣歌は何を伝えようとしているのか。


「392524494440」


「まてまてまて」


九条は慌てて鞄からメモを取り出した。
無意味に聞こえるような数字を羅列にもおそらく意味がある。

「392524494440」

九条は再び宗馬の口からこぼれた数字をメモに並べていく。
そして3桁ごとに数字をきった。392.524.494.440
この周波数をひとずつ音階に表すと「ソドシラ」となる。
だが、


「君のいうスーパーで流れる『愛の歌』はソドシラと並ぶメロディはないんだよなあ」


スーパー「いろはと」のメロディは最初でこそ「ソ」の音で始まるがそれ以降は違う音階となる。
九条は困惑したまま宗馬を見つめる。
すると宗馬はポケットから何かを取り出して、投げるように九条の前にスマホを置いた。


「スマホ?」


おそらく母親である美奈子が宗馬に持たせたものだろう。でないと1人で公園に置き去りになんてしない。


「ごめんね、スマホ勝手に触るけどいい?」


九条の質問に宗馬はタンバリンを一回叩く。
九条は「ありがとう」と微笑んで宗馬のスマホを手に取った。
画面をスライドさせるとロックはされていないのかすぐに入っているアプリが表示される。


「初期に設定されているメッセージアプリのみか」


画面に表示されているのはそれだけである。九条はあまり期待しないまま画面を右横にスライドさせた。
そこには、1つアプリが設定されていた。真っ黒い四角がポツンと画面上に表示されている。


「これ表示は真っ黒だけど。何のアプリ?」


そう言って画面を宗馬に見せる。宗馬は画面を一瞬見てまた「392524494440」と言った。
九条は宗馬に「開くね」と許可をとり、真っ黒い四角のボタンをタップする。
正直なところ何が出てくるか分からずに恐怖すら抱いていた。だが核のところは簡単にはみせてくれないらしい。


「なんでスマホの暗証番号はないのに、アプリに暗証番号設定されてんだよ…」

しかも12桁である。
だがこの数字については容易に予想がついた。
先ほどから宗馬が言ってくれているからだ。


「392.524.494.440」


九条は数字を打ち込んでいく。
最後の「0」を終えれば、アプリが開いた。
開かれたそこにあったのはフォルダが2個である。
律儀に名前まで表示してくれていた。『愛の歌』と『パンの歌』と書いてあった。どちらもフォルダがつくられた日にちは8月25日。

九条はちらりと開けっぱなしの戸から見える母親の姿を視界に入れる。顔を手で覆い泣いていた。
花田瑠衣歌はもしかしたら、あの母親を救おうとしているのかもしれないとふと思った。

九条は分かっている。世間からみればヒルイは絶大な人気を誇るアーティストで、芸能人で、悩みなんてこれっぽっちもなさそうな恵まれた人間だ。だが、花田瑠衣歌という人間は弱くて、脆くて、人を音楽で救いたいと思っているような人だと。

だが、なぜ失踪までする必要があるのだろうか。
九条はそこまで考えて首を横に振った。今向き合うべき相手は宗馬という人間と、美奈子という母親だ、と。彼女が救いたいと思ったのなら、手を貸すべきだ。

そして、このフォルダに花田瑠衣歌の歌声が入っていたとすれば失踪後警察が動きはじめた時に宗馬と花田瑠衣歌が接触していた証拠になる。


「君と花田瑠衣歌の曲なのに勝手に聴いてごめんな。真実を聴いたらすぐに返すから」


九条は宗馬にそう言って、『愛の歌』をおした。