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「ただの失踪じゃないってことだな」

散乱する資料を整理するのに頭を使い果たしていた若月日菜にとってその先輩刑事の言葉は白目を剥きそうなほど最悪な言葉であった。

そういう業界のことに関しては詳しくはないものの、闇が深く、知ってしまうと純粋な気持ちで表舞台をみられなくなってしまうことがある。

『警察官』いや、『刑事』という仕事を初めてからというもの日菜は人間の闇の部分を見続けていることにひどく疲弊していた。


「稼ぎ頭の歌姫が失踪したとありゃ事務所としてもなんとかして見つけたいって感じだったんだろうが」


そう言って日菜の先輩刑事、大宮は1枚の写真を人差し指と中指の間に挟んで軽く揺らした。


「もしかしたら死んでるかもな」


「大宮さん」


怪訝な顔をして日菜は大宮を睨みつけたが、大宮はあっけらかんと「ただの世間話だろう、許せよ」とデスクの上に写真を滑らせる。
写っていたのは血のついたナイフであった。


「正直、1人のアーティストが芸能界に嫌気がさして失踪したくらいに思ってたから警察も及び腰だったのに、この1つの凶器で一気に動き始めたなあ」


自分もそのうちの1人であるのに、大宮の他人事のような語りぶりに日菜は呆れたように「そうですね」とため息混じりに言葉を放つ。


「このナイフについた血、ヒルイさんので間違いないんですよね」


「ああ、あと、『ヒルイ』じゃなくて『花田瑠衣歌』な」


さきほど『ただの世間話だろう』と言っていたのは大宮の方だったのに、そういうところはめざとく指摘してくるところが日菜にとってこの先輩が苦手な理由の一つだ。「すみません」と不服まるだしで軽く頭を下げる。

花田瑠衣歌。本名では活動をしておらずアーティストネームは『ヒルイ』

顔出しをしないアーティストで、絶大な支持をあびていた。
彼女の作る曲、そして歌声に魅了され街中に彼女の歌声が溢れている。

そんな彼女が失踪したのだ。

ヒルイが所属している事務所『ハルカゼスター』の社長が直々に警察に頼みに来たのが数週間前。
すぐに見つかるだろうと思っていたが捜査は難航していた。
事務所からは『ヒルイはしばらくの間活動を休止します』と声明が出されたが、急なことにファンたちは困惑し、あらゆる憶測が飛び交った。

ーーー『ヒルイってやっぱり病んでたんじゃないの体調心配』

ーーー『事務所も働かせすぎだろ』

ーーー『ヒルイって犯罪者なんじゃね?顔出ししてないし』

ーーー『失踪してるって噂あるよね』


ーーー『そもそもヒルイがいる事務所って前にもアーティスト自殺してなかった?』